第7話 『不良債権のアセスメント』
母が滞在し始めて、数日が経った。
あれから、義母はすっかり牙を抜かれたようにおとなしくなった。
母が構築した「家事オペレーション・マニュアル」に従い、戸惑いながらも家事をこなしている。
私も、母の「効率的な指導」によって、驚くほどスムーズに動けるようになっていた。
この家を支配していた「理不尽な空気」は一掃され、代わりに「ビジネスライクな効率性」が支配し始めていた。
その状況が、面白くない男が一人。
夫の健一だった。
自分の「盾」であった母親が、嫁の母親に完全に手なずけられている。
家事も苦手だったはずの妻が、自信を持ってタスクをこなしている。
家に帰ってきても、「お疲れ様でした」と報告書(夕食)を出されるような、針の筵(むしろ)だった。
そして、その夜。
ついに健一の不満が爆発した。
「……もう、やめてください!」
完璧に整えられた食卓で、健一が箸を叩きつけるように置いた。
「なによ、健一、急に大声出して」
義母が、ビクッと肩を揺らす。
「お義母さん! あなたが来てから、この家はメチャクチャだ! 俺の知ってる家じゃない!」
健一は、怒りに顔を赤くして、母・聡子を睨みつけた。
「これは! 俺の(・・)家だぞ! 嫁が親を勝手に呼び寄せて、好き勝手しやがって!」
あ、言った。
私はゴクリと息を呑んだ。
そして、健一は、ついにあの「伝家の宝刀」を振りかざした。
「大体なんなんだ! 俺は『長男』なんだぞ! この家の主(あるじ)は俺だ! 俺のやり方に従え!」
(……出たわね)
私の向かいに座っていた母・聡子は、その言葉を待っていたかのように、ゆっくりと食事の手を止めた。
そして、ニコリ、と。
あの、プロジェクト炎上時に、無能な上司を詰める時とまったく同じ、完璧な笑顔を健一に向けた。
「……健一さん。大変、興味深いお話ですわ」
「な、なんだよ!」
「あなたは今、ご自分を『家の主』『長男』と仰いましたね? 結構です。では、その『家長の資格』について、今から簡単なアセスメント(査定)を始めさせていただいても?」
「は? あせすめんと?」
健一が、知らない単語に怯(ひる)む。
「ええ。まず、『家の主』として、この家庭における『経済的貢献度』について伺いましょう」
母は、カバンから一枚の紙を取り出した。
――それは、私の昨年度の源泉徴収票のコピーだった。
「友香、あなたの年収は承知しています。さて、健一さん。あなたの昨年度の年収は、うちの娘より、税込で180万円も低い。違いますか?」
「なっ……!」
健一が絶句した。
義母も「えっ……健一が、嫁より……?」と息を呑む。
私が、夫のコンプレックスを刺激しないよう、ずっと隠してきた「不都合な真実」だった。
「そ、それは……! 稼ぎがすべてじゃないだろ!」
「ええ、仰る通りです」
母は、健一のヤケクソな反論を、あっさりと受け入れた。
「百歩譲って、経済面は友香が担うとしましょう。では、あなたは『主』として、もう一方の重要な責務――すなわち、『家事労働貢献度』を果たしていらっしゃいますか?」
「か、家事は! 女がやるもんだろ!」
ついに本性を現した健一に、母は氷のように冷たい視線を向けた。
「時代錯誤も甚だしい」
ピシャリ、と言い放つ。
「友香は、この数日で家事タスクを標準レベルまでこなせるようになりました。お義母さまも、ご自分の古いやり方を捨て、新しい効率性を学んでいらっしゃる」
母は、健一を指差した。
「一方、あなたは? お茶一つご自分で淹れず、靴下も脱ぎっぱなし。タスク遂行能力は『ゼロ』。違いますか?」
「ぐ……っ!」
「まとめましょう」
母は、冷徹に「査定結果」を宣告した。
「経済的貢献度は、娘より著しく低い。家事労働貢献度は、ゼロ。意思決定は、お義母さまの『古い価値観』に依存」
「……」
「健一さん。失礼ですが、あなたは『家の主』どころか、この家庭において、利益を生み出さないどころか、手間ばかり発生させる『不良債権』であり、完全な『お荷物』です」
「……あ……」
「何か、反論はございますか?」
健一は、口をパクパクさせるだけで、何も言い返せない。
稼ぎも、家事も、ロジックも、すべてで完敗したのだ。
自分の唯一の拠り所だった「長男」という権威が、現代の実力主義(アセスメント)によって、木っ端微塵に粉砕された瞬間だった。
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