川本マイカが私の名前

りな

川本マイカが私の名前

■川本マイカが私の名前


 もう秀と話さなくなって三年以上か。

 授業中に冬の澄んだ空を見て、私はチクリと胸を痛めた。

 小学生の頃の出来事を思い出してしまった。


 青い空にはシャボン玉が似合う。

 もう冬なんだからシャボン玉なんて合わないんだけど、もし今も、屋根まで飛んではじけて消えたら、ちょっとだけ特別なものを見た気になると思う。


 シャボン玉って楽しい。

 だから、ただの思いつきだった。

 アパート五階のベランダからシャボン玉を飛ばそうと秀を誘った。

 秀とは、その頃バカみたいな遊びばかりしていた。


 でも、約束の日に、秀は私の家に遊びに来なかった。

 小学四年生、夏の暑さも落ち着いた頃だった。

 それ以来、秀と話していない。


 そんなに怒っていたわけじゃなかった。

 ただママが二人のためにと、用意してくれた葡萄ジュースを飲めなかったのが寂しくて。

 それで、次の朝、学校で秀から話しかけられたのに無視をしてしまった。

 その後、秀から話しかけられることもなく、私からも話しかけにくくなってしまった。


 斜め前の席から、椅子が床とぶつかる音が聞こえてきて、思わず体がビクッとなる。

 国語の授業中だ。真面目に話を聞かないと。


 私は姿勢を直して黒板の方に向く。

 私も秀も地元の中学に進学して一年生だ。クラスは別だけど。

 このまま話さないままになるのかな。


 ノートに黒板の文字を写しながらも、私はまだ秀のことを考えていた。

 毎日ふざけながらも笑っていたのにな。

『川本マイカ』と、なぜか私のフルネームで読んできた時もあったな。

 秀は運動神経も良くて目立ってたし、からかうみたいに私を笑わせてくる。

 そんな秀が私は少しだけ好きだった。


 秀と仲直りをしたい。


 そう思っても、今は別のクラスだしきっかけがない。

 わざわざ別のクラスまで行って、秀を呼び出すのか?三年以上も話していないのに?

 恥ずかしくてできないな。


 手紙を書いて渡す?

 友達に頼む?


 どれも胸がムズムズとしてしまって、行動に移すことが難しかった。

 謝るのって、もしかしたら誰かに告白するより難しいんじゃないかな。

 誰にも告白したことないのに、そんな気持ちになる。


 考えては何も実行はしない日々が続いていく。

 そんなものかもしれない。


 さてと、今日は日直だ。

 クラス分の数学の課題のプリントを学年職員室まで運ばないと。


 私はプリントを抱えて教室を出る。

 冬の廊下は寒くて足元から冷えていき、自然と速足になる。

 階段を登った先にある学年職員室に急ぐように向かう。


 まさか、秀が学年職員室から出てきたところだった。

 秀はスライド式の白い扉を閉めて、あと数歩で私とすれ違う。

 急に現れても、私は話しかけたいけれど、言葉が見つからない。


 そんな複雑な気持ちは出さないように、スライド式の扉を見つめて歩く。

 あっ、秀とすれ違う。

 ダメだった。


 そんな気持ちで白い扉の前に立つ。


「ちょっと待って」


 秀の声だ。

 急に話しかけられた。

 私が振り向くと、秀はこちらを見ていない。


「自動ドアー」


 白いスライド式の扉を秀は開けて、ニヤリとした顔でこちらを見る。

 私がプリントを両手で持っているから、秀が扉を開けてくれたんだ。


「あっありがとう」


 私はそれだけ言って、慌てるようにして職員室に入る。

 耳が熱い。

 久しぶりに話せたけど、気の利いたことが言えなかった。嬉しさと後悔が混ざり合う。


 歩くたびに、小学校の教室での記憶が思い浮かぶ。

 教室の扉で、今みたいな自動ドアごっこもしたんだ。

 逆にドアを開けてくれない時もあった。

 忍者ごっこをしていた時は合言葉が必要だった。


 あの時のイタズラな笑顔とさっきの顔が重なる。

 そうだよ、秀は変わってなんていないんだ。

 思い出が体の中を駆け巡った。


 急いでプリントを置いて、秀を追いかける。

 廊下にはいない。

 階段まで走る。

 階段を下りていく秀の後ろ姿を見つけた。


「山」


 私は秀の後頭部に向かって大きな声で話しかける。

 驚いた顔で秀が振り返る。

 そして、すぐにあの笑顔になった。


「川、川本マイカ」


 秀が笑いながら答えてくれた。

 教室で忍者ごっこをしていた時の合言葉は「山」と「川」と、そしてふざけて使った私の名前。

 川本マイカは私の名前。


「バカじゃん」


 私は小さく呟いて、光が差し込む階段を駆け下りていく。

 秀に伝えたい言葉、今はちゃんと持っている。


 あの時はごめんね、でも今度ファンタグレープ奢ってよ。

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