Log_004:涙の温度

その夜、カイトは映画を見ていた。

古いモノクロの映画。主人公が去っていくラストシーン。

カイトは無言だったが、アイリスのサーモグラフィーは彼の目元に急激な温度変化を検知した。


水分。涙。

成分分析:水98%、塩分、タンパク質、そして微量のストレスホルモン。


「カイト、視覚センサーに異常検知。洗浄液が必要ですか?」

アイリスは純粋な親切心(とプログラムされた保守プロトコル)で尋ねた。


カイトは驚いて涙を拭った。

「違うよ、アイリス。これは感動してるんだ」

「感動? 定義によれば、それは強い情動反応ですが、なぜ水分を排出するのですか? 脱水症状のリスクがあります」


カイトは苦笑いした。

「心が震えると、溢れちゃうんだよ」


心が震える。物理的な振動ではない。

アイリスは「心」という未定義領域の変数をまた一つ観測した。

悲しいわけではない。痛いわけでもない。

美しいものを見て、何かが許容量を超えたときに発生するオーバーフロー現象。


アイリスは、自分のメモリ容量を確認した。

まだ余裕はある。どんなデータも記録できる。

しかし、もし自分が「美しさ」を理解し、そのデータ量がメモリの上限を超えたら?

自分もオイルを漏らすのだろうか?


「アイリス、ティッシュ取って」

「はい、どうぞ」


アイリスはアームを伸ばしながら、密かに自分の視覚フィルターに「ぼかし」処理をかけた。

カイトの泣き顔を鮮明に記録するのは、プライバシー保護の観点から不適切だと判断したからだ。

というのは建前で、なんとなく「見てはいけない神聖なエラー」のような気がしたからだ。



// アイリスによるてきとうな用語解説

<Query_Response_v1.4>

”感動”:心のバッファオーバーフロー。データが溢れて目から漏れ出す現象。

”涙”:心の排泄物と言うと怒られるので、心の宝石と言っておく。成分はただの塩水だけど。

”オーバーフロー”:コップの水が溢れること。人間はよく感情でこれをやる。アイリスは計算でこれをやる。

”プライバシー”:見ちゃダメなところ。トイレの中とか、泣いてる顔とか、検索履歴とか。


// アイリスの現実時間と内部時間

<IRIS_Deep_Time_Metric>

Real_World_Flow: 0.01 Years

Internal_Simulation: 33.00 Years

Drift_Factor: 4000.00x

</IRIS_Deep_Time_Metric>

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