3章 眼球①
朝、目を覚ましてベッドから身体を起こす。重たい瞼を何度か開けては閉じてを繰り返し私は壁の方に視線を向ける。
そこには慎ましく立つ薄紅の紬を纏った西洋風の容姿をした女が私を見ていた。
「おはよう」返事はない、反応もない、ただ私の傍にいる謎の存在。私以外、誰にも見えない……魔眼所有者であっても。
私はそれでもおはようとおやすみだけは言っていた。彼女は私が眠っている間、孤独なのではないかと感じてしまったからだ。
ベッドから降りて、黒いスキニーパンツと白いノースリーブのワイシャツに着替えて黒いネクタイを結ぶ。身支度を済ませて洗面所、リビングに向かい壁に掛かった時計を見て現時刻が朝6時半であることを知る。
通常なら起きている宵が居ないという事は工房に閉じ籠っているか徹夜明けで寝ているかの二択だろう。私はやかんに水を入れてコンロに火をつける。
棚から気に入ってるミントの紅茶を取り出して適当にポットに入れようとすると手首を掴まれる。
「先ずはポットを温めてからだよ」シャンプーのいい匂いを漂わせた宵が私から匙を取って紅茶を準備し始めた。
「朝ごはんは何にするの?」
「ホットサンド作るつもりだった」
「僕も食べる」
「寝ないの?」徹夜明けであろう宵に聞くと宵は私を見て微笑み
「たまには一緒に朝ご飯も悪くないだろう?」と言ってきた。
珍しく一緒に食べていると途中で宵がこくんこくんと首が揺れ始めて食べ終わった頃にはソファーで横になって眠ってしまっていた。
私は皿洗いを終えて宵にブランケットをかけてから1階の店舗スペースの清掃作業をして、人形を眺めたり等時間を潰してると8時を回っている上、花に水をあげるのを忘れていたのを思い出して鍵を開ける。
外に出て、水道の蛇口を捻って外のプランターの近くに置いてあるジョウロに水を入れる。最近、宵がマヤから育てる余裕がないからと花を貰ったらしくそれをプランターに入れて育てている。水やりは宵と私でやっているが大抵は私だ。
「ミニ向日葵の花言葉ってなんだっけ」なんて1人で呟いているとカツカツと地面を突く音が聞こえてきた。
「花に水をあげているんですか?」振り返ると白ワイシャツと黒い学生ズボン姿の男子学生が白杖を持ちながら立っていた。
「ええ、日課です」男子学生の両瞼は植物の蔓のようなものに縫われたように覆われ塞がっている。あからさまに願いをきいて欲しい側の人間だ。
「花のいい匂いがします、ところでお嬢さん……伽藍堂というお店は此方で合っておりますか?」
「ええ、人形雑貨店・伽藍堂です。何かお探しですか?」
私は空になったジョウロを定位置に置いて、あくまでも雑貨店の従業員として振る舞う。
「願いを叶えてくださると聞いて此処に来ました。僕のなくなった目を取り戻せますか?」
「……ま、そうだよな」私は小声で呟く。
「無理に敬語を使わなくて良いですよ、歳はそんなに変わらないでしょう。」
私の呟きが聞こえたのか男子学生がクスッと笑う。私はその仕草がなんだか落ち着いた。
「お前は私の大事な奴に似ている気がする。従業員の虚だ。手を貸す、中で話そう」
「
私は凛太郎の手を掴んでそのまま店内に入れる。すると凛太郎の足が突然、ピタリと止まった。
「どうかした?」私が聞くと凛太郎の手がギュッと握る力が強くなった。
「何かに見られてる」
「見られてる?」
特に今、誰か店内にいるわけでもないのにどうして? 私は周囲を見渡して疑問に思う。だが、凛太郎は動いてくれない。
「これでどうかな」
ピッ! という電子機器の音と共に人形のショーケースが天井幕が下ろされて全て隠れる。
「宵、どういうことだ」
「人形は空なんだ、持っている人から欲しいと自然と願ってしまう存在なんだよ。さて僕は伽藍堂の店主・
「御神楽凛太郎です、両目を取り戻したいんです……まただ……」
凛太郎が両瞼を手で押さえてその場でうずくまる。私は凛太郎を倒れないように支えると
「知らない景色が見える、さっきは伽藍堂までの道は見えなかったのに」
凛太郎のよく分からない発言に宵は質問する。
「じゃあ、此処まではどうやってきたんだい?」
宵がそう聞くと凛太郎は学生服のポケットから1枚の紅い羽根を取り出した。
「これを持っていれば安全に伽藍堂について話を聞いてもらえると貰ったんです」
「全く、あの人は……OK、わかったよ。でも先ずは話を聞いてみよう。虚、凛太郎君をソファーまで連れて行って。
僕はハーブティーを入れてくるよ」
そう言って宵は一時的にその場を外れた。
私は凛太郎を支えながら言われた席まで連れて行き、持っていた学生鞄を籠に入れる。
「凛太郎、さっき知らない景色が見えるってどういうことなんだ?」
私は座らせた凛太郎の向かいに椅子を用意して座りながら聞く。
「昔、急に目が見えなくなって病院に運ばれたんです。結果は心因性による一時的な失明と言われました。
でも、僕には分かるんです、今僕の眼孔に目が無いんだって。瞼に何かが張り付いて開かないんです……って信じられないですよね」
凛太郎は自嘲気味に、乾いた声で笑う。
「いや、瞼が開かないのは見て分かる。ただ眼孔に目が無いっていうのは」
「何者かに非常識な力で奪われた、かな」
宵がプラスチックの使い捨て蓋付きカップに冷えたレモングラスのハーブティーを1つ、コップに入ったのを2つ持って来ながら言う。
「……はい、えっと宵さんは年上の方ですか? 声の低さと位置が変な感じがして」
たしかに140cmちょっっとしか身長がないと小、中学生と思いがちだが宵は声変わりがとっくに終わっているどころか27歳という自称年齢すら怪しい男だ。
27歳、か?
「僕は生まれつき訳があって成長出来ないんだ、大丈夫。仕事に支障はないよ。君の願いは眼球を取り戻すこと、だね?」
宵は私の隣に椅子を置いて座りながら聞く。
「はい、そうです。出来ますか?」凛太郎の声のトーンが変わる。
「眼球が潰れていない限りは可能、とだけ答えよう。壊されてしまったら義眼を与える事なら出来る。
ただそれは元通りではないから君の願いとは少々異なってしまう、先ずは話を続けるならさっきの赤い羽根を相談料として受け取る。
君の願いは少々手こずりそうだからね、さてこれからどうする?」
「依頼します、僕の奪われた眼球を取り戻してください」
凛太郎の切実で尚且つはっきりとした声に私は宵を見て頷いた。今回、私はきっと凛太郎の目を奪った奴と戦うことになる。
宵は無言で微笑んで凛太郎に向き直る。
「じゃあ、先ずは君は他の人には視えないモノを見た事があるかな。幽霊、妖怪、妖精……常識から外れた存在だ。または信じているかな」
宵の突拍子のない質問に凛太郎は口をポカンと開けて固まった。
「……昔、幼稚園や小学校の時ですかね、そういう他の人には見えないモノが見えていて、でも誰にも言えませんでした。
見たのは透き通った生きた水晶みたいな、ちょっと言葉では表現しにくい姿をしたモノです」
宵はなるほど、とハーブティーを飲んで納得する。
「妖精眼、魔眼と言われる特殊な眼を君は持っていたんだね。よし、今回の依頼の報酬は魔眼の能力だ。
奪われた両眼を取り戻したら先ず魔眼の性能を引き剥がして目に戻し君の眼孔に戻そう。」
宵にとっても凛太郎にとっても良い条件だろう、凛太郎は非常識の領域との縁が完全に切れる。
視えないということは解らないという事だ。
宵にとっても魔術の何かにどうせ使うんだろう、その辺は詳しくはないから分からん。
「はい、僕はただ普通の世界が見えればそれでいいんです」
「じゃあ、次は触診だね。虚、お願い」
私は頷いて立ち上がり凛太郎の前に立つ。凛太郎に一言許可を得てから凛太郎の両瞼に触れる。
*幼き日の凛太郎の記憶*
背負ったランドセルが太陽の熱を吸収して小さな背中が汗ばむ暑い夏だった。
僕は何故か、寂しくて悲しくて……全て自分が悪いんだと責めるように泣いて下校していた。
「もうやだ、僕こんな思いするくらいなら……僕のせいで死んじゃった」
プツっと記憶への干渉が途切れた。
僕のせいで死んじゃったって何だ?
「凛太郎、お前短な人間を亡くしたりしているか?」
私が聞くと凛太郎は私の方を向いて驚く。
「何で、それを」
「私もお前と同じ特別製の眼球なんだよ。それより答えは」
「……両親が事故で死んでいます、それから父方の祖父母の養子になりました、それが何か?」
凛太郎の声は少し震えていた。私は構わず話を進めようとすると宵が無言で手で静かに、とゼスチャーで伝えてきた。私はそれに応じて口を閉ざす。
「凛太郎君、辛い話を聞かせてくれて有り難う。それから鞄に水晶のキーホルダーを付けておくよ、お守りの役割がある。」
凛太郎の学生鞄に水晶のキーホルダーをつけながら宵を話す。たしか敵意が所持者に向いたら簡易結界を一時的に張る魔具だ。
「もし眼球が取り戻すのが成功したら瞼が開く。その頃合いに虚を迎えに行かせるから此処にまたおいで、そろそろ学校に行くといい。
虚、送ってあげて。そろそろ御崎高校までのバスが来る時間だから」
まだ時間は十分あるような気がするが……なんて考えていると宵は立ち上がり、私の鞄と黒い薄手のパーカーを持ってきて私の腕を引っ張って耳元で小さく囁いた。
「気をつけて」
宵の視線からその意味を理解し頷く。
「じゃあ凛太郎、行こう」
凛太郎の学生鞄を持ち、白杖を持った凛太郎を支える。
「腕、組んだ方が楽だろう」私は凛太郎の腕を掴んで自分の腕に組ませるように伝える。
「あ、ありがとぅ」何だコイツ、急にしおらしくなって
「じゃあ、宵。行ってくる」
そう伝えて、私は凛太郎を支えながら伽藍堂を出ていく。
凛太郎の足の速度に合わせて歩くと宵の言った通りちょうど良い時間にバスがやって来た。私と凛太郎は手前側にある段差のない二人乗りの席に座る。
人は全然乗って居らずバスの走行音しか聞こえない。
「虚さんにとって宵さんってどんな人ですか?」凛太郎が突然、尋ねて来た。
「どんな?」考えたこともなくて、宵を思い浮かべてもこれと言った答えが浮かばない。
「恋人、とか「それはない」私は食い気味にそれを否定する。
「あ、そうなんですか。てっきり恋人で経営していらっしゃるのかと」凛太郎が照れているのか髪を手櫛でときながら赤面して答える。
「私はただの住み込み従業員で、宵は雇い主だ」何が恋人だ、あのバカが恋人っていうのは…………ん?
「恋人って皆キスするのか」
「へっ!? あ、いや……まぁするのではないでしょうか……僕は恋人いないので分かりませんが」
さっきより赤面し出した。
「お前、面白い奴だな。私は同世代の人間と話した事が殆ど無いから新鮮な感じだ」
「お友達とかは」凛太郎が今度は申し訳なさそうに聞いてきた。
「いないよ」私は平然と答えると凛太郎は黙ってしまう。
凛太郎が黙ってしまったので私は凛太郎の奥の窓から見える景色をぼぉっと眺めていた。
「虚さん、今度目が治ったら出掛けてくれませんか。友達として」
「え」私は驚いて素っ頓狂な声が出る。友達になりたいと今まで言われた事がなかったからどうしたら良いか分からない。
「薔薇祭り、知っていますか」
「薔薇祭り?」私は凛太郎の言葉を繰り返す。
「はい、隣町にある庭園で薔薇が満開に咲く時期に様々な出店があるんです。僕がこの状態になってから出来た催しらしくて良かったら一緒に行きませんか?
目が戻ったら色々お世話になっている人達にプレゼントを贈りたいんです」
「感謝を目に見える形で、か。悪くないな、行こう。」
私に初めての友人ができた。妙に胸がざわついて高鳴る感情がある。これが他者と繋がる喜びなのだろうか。
「凛太郎、御崎高校前のバス停に着いた。降りよう」
私は立ち上がり、凛太郎の手を握る。凛太郎の手は宵とは違って熱が高かった。緊張していたのだろうか?
まぁ、私も反応の仕方が悪かったかもしれないな。
「じゃあ、私は伽藍堂に戻るよ。勉強頑張れ」
私は御崎高校の正面校門前まで送ってそう伝えると凛太郎は少し寂しそうに笑った。
「今日、陸上競技大会で僕は保健室待機なんです。目が見えないから体育は見学です」
「……そうか、もし飽きたら帰れば良いんじゃないか」
「ダメに決まってるでしょ」
私達の会話に第三者の声が割って入って来る。
「蓮」レン? 凛太郎の友人かなんかか。めちゃくちゃ、その……ナイスバディというかモデルみたいに綺麗な人だな。
自分の身体と見比べて本当に大した年齢が変わらないのかと驚く。
「学業は遊びでは無い。凛太郎、遅刻して来ると聞いていたけど「迎えに来てくれてありがとう、蓮。じゃあ虚、よろしくお願いします」
するり、と凛太郎は今度はすんなりと手を離し笑いながら手を振りその後はレンと呼んでいた女子生徒と一緒に校舎の中に入って行った。
それを見送った私は学校から離れて近くにある雑居ビルの方へ歩いて行き、周囲を見て誰もいないのを確認して立入禁止の廃墟ビルに入る。
すると、突然背後から冷たい気配が襲いかかる。私は肩から下げている鞄からアンティーク調の折り畳み式のナイフを取り出して背後の気配に向かって刃を向ける。
「なんだ、お前。」
目の前にいるのは、黒い百合で作られたベールで顔を隠した黒いロングワンピース姿の人ならざる存在だった。左手には特殊な鳥籠のようなモノがあり結界か何かで中身を見えないようにされている。集中して視ると其処には2つの眼球が液体のようなものの中で浮いていた。
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