第5話
第5話 エピローグ ~そして、最強の執事は今日も紅茶を淹れる~
ジェラルド王子の愚かな侵略劇から、一ヶ月が過ぎた。
事後処理は、迅速かつ厳格に行われた。
国王フェルディナンド陛下は、今回の騒動の責任を全面的に認め、シルヴィアお嬢様に対して公式に謝罪をした。
さらに、賠償金として莫大な額の支援金を支払うこと、そしてこの「死の森」周辺地域をシルヴィアお嬢様の直轄領――実質的な独立国家として認めることを約束したのである。
「……本当に、戻ってきてはくれないか?」
去り際、陛下は縋るような目でシルヴィアお嬢様に問いかけた。
「ジェラルドは廃嫡した。王位継承権はお前に譲るつもりだ。お前がいなければ、あの国は……」
「お断りします」
シルヴィアお嬢様は、迷いのない瞳できっぱりと答えた。
「私はこの地で、私を信じてついてきてくれた人たちと共に生きていきます。この荒れ果てた土地を、誰もが笑顔で暮らせる楽園にすること。それが、今の私の夢ですから」
「……そうか」
陛下は寂しげに肩を落とし、チラリと私のほうを見た。
その目には、明らかな恐怖の色が混じっていた。
「まあ、グレン殿が王都にいると、私の心臓が持たんかもしれんしな……。あの斬撃で、王城の尖塔が余波だけで折れたのだぞ」
「おや、それは施工不良でしょう。手抜き工事はいけませんな」
私がしらばっくれると、陛下は引きつった笑みを浮かべ、逃げるように帰っていった。
ちなみに、廃嫡されたジェラルド元王子と、詐欺師のマリーは、北の鉱山送りになったと聞いている。
一生、日の当たらない地下で、ツルハシを振るう毎日だそうだ。
彼らが掘り出した鉱石が、この辺境都市に安く輸出され、私たちの生活を豊かにしているのだから、皮肉なものである。
まあ、彼らもようやく国の役に立てて本望だろう。
◇ ◇ ◇
そして現在。
辺境都市「シルヴィア公国(仮称)」は、空前の好景気に沸いていた。
「おーい! 今日の収穫分だ! 運んでくれ!」
広大な畑では、元騎士団長のレオルフ様が、泥だらけになって野菜を収穫していた。
かつて剣を握っていた手には、今はクワが握られている。
その顔は、王都にいた頃の険しさが嘘のように、晴れやかで生き生きとしていた。
「団長! この『死の森トマト』、魔素を吸って育ったせいか、滋養強壮効果がすごいですよ! 隣国の商人が言い値で買うそうです!」
「はっはっは! そうかそうか! 剣を振るうより、野菜を育てる方が性に合っていたかもしれんな!」
騎士団員たちも、今ではすっかり農業や牧畜に夢中だ。
彼らの身体能力(筋肉)は、開拓において最強の武器だった。
荒地は瞬く間に耕され、水路が引かれ、都市は日々拡大を続けている。
街中では、ドワーフたちがトンカチを振るい、エルフたちが花を咲かせ、人間たちが商売をする。
種族の壁を超えた交流が、ここでは当たり前のように行われていた。
王都から逃げてきた有能な学者や職人も増え、もはや文化レベルでも本国を凌駕しつつある。
その中心にある公爵屋敷の執務室。
シルヴィアお嬢様は、山積みの書類(ただし、内容は前向きな計画書ばかりだ)と格闘していた。
「ふぅ……。新しい特産品の『ドラゴンステーキ』の売れ行きも好調ね。ポチが狩ってきてくれるおかげで、仕入れ値がゼロなのが大きいわ」
窓の外では、巨大狼のポチが、子供たちに背中をよじ登られて遊んでいる(遊ばれている)のが見える。
平和な光景だ。
「お疲れ様でございます、お嬢様」
私はタイミングを見計らって、湯気の立つティーカップを机に置いた。
今日のお茶請けは、死の森で採れた完熟ベリーのタルトだ。
「ありがとう、爺や。……んっ、美味しい。やっぱり、この香りを嗅ぐと落ち着くわ」
お嬢様は幸せそうに目を細め、一口含んでほうっと息を吐いた。
「ねえ、爺や」
「はい、何でございましょう」
「私ね、追放された時は、もう人生が終わったと思ったの。でも、今は……追放されてよかったとさえ思っているわ」
お嬢様は窓の外、活気に満ちた街並みを愛おしそうに見つめた。
「ここでは、誰もが自分の役割を持って、生き生きと働いている。ジェラルド殿下には悪いけれど、私、今が一番幸せよ」
「左様でございますか。それは重畳」
「それもこれも、全部爺やのおかげね。ありがとう」
真っ直ぐな瞳で見つめられ、私は照れ隠しに咳払いをした。
「お戯れを。私はただ、お嬢様の後ろをついて歩いただけですよ。この街を作り上げたのは、お嬢様ご自身のお力と人徳です」
「ふふ、またそうやって謙遜する。……でも、爺やには苦労をかけるわね。その年で、まだ働かせるなんて」
お嬢様は心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「ねえ、そろそろ本当に引退して、のんびりしてもいいのよ? レオルフ様たちもいるし、護衛の心配はないわ」
「引退、ですか」
私は自身の腰にあるステッキを軽く撫でた。
確かに、私は老いた。
腰は痛むし、老眼で新聞の字も読みづらい。
伝説の剣聖として名を馳せたのも、今は昔の話だ。
だが。
「お断りします」
私は即答した。
「えっ? ど、どうして? 年金だって弾むわよ?」
「お嬢様。レオルフ坊ちゃんたちは確かに腕が立ちますが、紅茶の淹れ方はからっきしです。あんな泥臭い男たちが淹れた渋いお茶を、お嬢様に飲ませるわけにはいきません」
「あはは、確かにそうね」
「それに……」
私は居住まいを正し、胸に手を当てて深く一礼した。
「私の仕事は、お嬢様が世界一幸せになるその日まで、お側でお仕えすることですから。この命ある限り、現役を続けさせていただきますよ」
お嬢様は一瞬驚いた顔をして、それから花が咲くような満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ。じゃあ、覚悟しておいてね、爺や。私、世界一幸せな女公爵になるつもりだから、とっても長生きしてもらわないと困るわよ?」
「ええ、ご安心を。地獄の閻魔も、私の顔を見たら逃げ出すでしょうから」
私はウィンクをして見せた。
まだしばらく、この老骨に休息は訪れそうにない。
だが、それも悪くはない。
愛する主の成長を見守り、たまに害虫(敵)を掃除し、最高の一杯を淹れる。
これ以上の余生が、どこにあるだろうか。
私は空になったカップにおかわりを注ぎながら、心の中で密かにつぶやいた。
ステータス画面の『寿命』の欄が、いつの間にか『あと50年』に増えていることについては、お嬢様には内緒にしておこう。
――ただの老いぼれ執事の物語は、もう少しだけ続きそうである。
(完)
「ただの老いぼれ執事ですが、何か?」〜お嬢様を追放した愚かな王子たちへ。私が現役時代に「剣聖」と呼ばれていたことは、内緒にしておいてくださいね〜 kuni @trainweek005050
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