第15話 生活が、少しずつ楽になっていく

 最初に変えたのは、

 何かを買うことじゃなかった。



 コンビニで、値段を見なくなった。


 それだけ。


(……あ)


 気づいた瞬間、

 少しだけ笑ってしまった。



 以前なら、

 飲み物一つでも悩んでいた。


 今は――

 必要なら、買う。


 それだけだ。



 次に変えたのは、

 住む場所だった。


「引っ越すの?」


 ひよりが聞く。


「はい」


「豪華なとこ?」


「静かなところです」


 見栄は、いらない。



 駅から少し離れた、

 築浅のワンルーム。


 家賃は上がったけど、

 心拍数は下がった。



「……なんか」


 部屋を見たひよりが言う。


「大人の部屋だね」


「それ、褒めてます?」


「たぶん」



 家具も、少しずつ。


 安物を一気に捨てない。

 壊れたら、ちゃんとした物に替える。


(前世は、逆だった)



 競馬の後。


 ファミレスじゃなく、

 落ち着いた店を選ぶ。


「ここ、高くない?」


「大丈夫です」


「その“大丈夫”、

 最近よく聞く」



 それでも、

 贅沢はしない。


 勝負の軸は、変えない。



 ある日。


 ひよりが、ぽつりと言った。


「ねえ」


「はい?」


「桐生くんさ」


「?」


「“お金が増えた人”の顔じゃないよね」



「じゃあ、どんな顔です?」


「……余裕が増えた人」



 その表現が、

 一番しっくり来た。



 桐生こういちは、

 知っている。


 生活水準が上がると、

 判断は鈍る。


 だから――

 上げすぎない。


 段階を踏む。



 今はまだ、

 「楽になった」だけ。


 でも――

 その積み重ねが、

 後で一番効く。



 ひよりは隣で、

 自然に笑っている。


 それが、

 何よりの証拠だった。

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