第9話 もう「バイト代」じゃ追いつかない
気づいたきっかけは、
本当にどうでもいいことだった。
*
家賃の引き落とし日。
「……あ」
通帳を見て、俺は一瞬固まった。
(減ってない)
いや、正確には――
減っているのに、増えている。
*
バイト代が入る前。
競馬の開催も、まだ。
なのに残高は、
先月より多かった。
「……そういうことか」
計算するまでもない。
競馬の収支が、
生活費を完全に上回っている。
*
三か月前。
競馬は「趣味」だった。
一か月前。
「副収入」になった。
そして今――
(これ、もう“柱”だな)
*
競馬場。
ベンチに座るひよりに、
俺は何気なく言った。
「今月、バイト代より
競馬の方が多いです」
「……え?」
ひよりは、一拍遅れて固まった。
「え、待って」
「はい」
「“ちょっとプラス”とかじゃなくて?」
「普通に、です」
*
数秒の沈黙。
それから、ひよりは笑った。
「……すご」
声が小さい。
「いや、すごすぎでしょ」
*
「でもさ」
ひよりはすぐに真面目な顔に戻る。
「調子乗ったら終わりだよ?」
「分かってます」
即答だった。
むしろ、
調子に乗らないために、今が怖い。
*
それでも、現実は変わらない。
資金は増える。
選択肢も増える。
無理に賭けなくても、
“やるべき時だけやれる”。
*
ある日。
ひよりが、ぽつりと言った。
「ねえ……」
「はい?」
「もしさ」
少し照れたように。
「私が急にバイト辞めたら、
どうする?」
「……何の話ですか」
「冗談だよ、冗談」
でも、目は本気だった。
*
(ひよりも、気づいてる)
この関係は、
ただの「競馬仲間」じゃない。
生活に影響するレベルに、
なり始めている。
*
その日の帰り。
駅のホームで、
俺は初めて思った。
(前世みたいに、
全部失うことはしない)
この世界では――
守りながら、増やす。
それが、
桐生こういちのやり方だ。
*
もう戻れない。
「金がない大学生」には。
でも――
まだ誰にも言っていない。
(本当に怖いのは、
金が増えることじゃない)
それに気づかれることだ。
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