「数字の実験」
ナカメグミ
「数字の実験」
小学校も中学校も。学校生活の色は灰色。どちらかというとなじめない。楽しめない世界だった。
その中で1点だけ。輝いた美しい記憶。
中学校の理科の実験。亜鉛と塩酸を反応させて、水上置換法で水素を集める。発生した水素に、火を近づける。ボン、という音を立てて、オレンジの炎が一瞬、大きく、跳ね上がった。素直な驚き。今でもはっきりと覚えている。
もうひとつ。酸素とマグネシウム。物質の成分元素の質量比は一定。
「定比例の法則」だ。
右肩上がりに真っ直ぐに伸びる、比例の直線グラフ。やはり、美しい。
この実験の数字は、納得だ。
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子供のころから、数字が好きだ。なぜか。単純。明解。わかりやすい。
数はいつだって素直だ。人の微妙な気持ちを把握する。僕はそれが苦手だ。
比べて数字は、とてもわかりやすい。
1は1。2は2。1.5は1.5。そこに行間なんてない。
数字こそ最強。感情や忖度の入る余地がない、真実だ。
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僕は今、中高一貫校の中学3年生。15歳。
いつも腹が立つ。通う塾のガラス窓に貼られた、塾生の実績を示す数字。
1番上。〇〇中学校Aさん、定期テスト5教科総合、150点アップ。
その下。✕✕中学校Bくん、学力コンクール5教科総合、偏差値65。
この違い、わかる?。
Aさん、伸びしろ、ありすぎだろう。150点もアップするということは、それだけ元の得点が低かったから。それに比べて、定期テストよりもずっと範囲が広い学力コンクールで、偏差値60以上が常連のBくんが、その数字を維持し続ける努力。
数字の持つ意味が、全然ちがうんだよ。いら立ちながら、ドアを開ける。
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今日は定期テスト初日だった。帰宅が早い。翌日の教科のインプットを、自室でしたい。
リビングのテーブルに、普段より化粧が濃い母親。満足気だ。その周りに、小学校のとき以来のママ友たち6人。
母親は、よくわからないカタカナの民間資格を取った。それ以来、いつもよく集まる茶飲み友達を「生徒さん」と呼ぶようになった。つまり、自分は「先生」のつもり。民間資格の知識を披露した後、菓子を囲んで噂話。
母よ。それは茶飲み友だち6人を集めた先生ごっこだ。6人の生徒。生徒か?。
その数字の質は、僕は認めない。
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定期テストの結果が発表された。ある教科で、学年の下から2番目だった。この数字は納得。だって勉強しなかったんだから。この数字は、受け入れられる。
その結果を持って行った塾。先月から始まった新たな試みの数字が、壁に張り出されていた。いわゆる「塾で学習した時間が長かった人ランキング」。
先頭の名前を見て、思わず吹き出した。いつも寝ているか、たまに先生を戸惑わせるほど、基礎的な質問をする常連。いわゆる「ただ塾にいる時間が長かっただけの人ランキング」。
この数字は、貼るに値する数字なのか?。僕は受け入れられない。
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定期テストあとの学力テスト。ひどい出来だった。小学4年生からの塾通いで、
中学受験を経て入学した私立の中高一貫校。入学以来、僕の成績は超低空飛行だ。
今、僕は、エスカレーター式であるはずの高校進学が危ぶまれるレベル。この場合、「先生」の母親は役に立たない。父親が、塾の授業時間数を増やした。月謝が馬鹿にならないと、愚痴られた。
中学受験に合格した時に頂点を極めた自己肯定感。右肩上がりの比例グラフ。
その線が途中で切れた。もう1度高めたい、自己肯定感。
ほかの数字を求めて、実験を始めることにした。
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スマホ。小学校4年生で塾通いを始めたとき、父親に与えられた。使いすぎないよう、ギガ数は最低プラン。あまり長い時間は使えない。でも何事もトライだ。
X(エックス)を始めた。短文をつぶやくらしい。最初は新鮮だった。日々の生活。うれしいこと、腹が立つこと。人並みには、ある。つぶやき始めると、「おすすめ」に、似たようなつぶやきが流れてくる。表示回数が出る。数字。
1語1語に力を込めて入力したはずの言葉。次々と流れていく、似たような言葉の中に、時間とともに埋もれていく感覚。
知らず知らずに、数字を求めるようになった僕のつぶやき。
これは、僕が求めている数字ではない。チェンジ。
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スマホ。もうひとつ、同級生たちが、しきりにやっている。インスタグラム。
アカウントを作って、やってみた。写真は元々、好きだった。学校祭の思い出の写真を、みんなにグループLINEで送ったり。そして特に好きなのが空の写真。これはあくまで、自分の趣味。キャプションをつけて、インスタに上げ始めた。
あっという間に、その存在に操られた。シャッターを切る回数だけが、無駄に増えた。インスタに上げるときのことを考えながら、撮影する自分がいる。
撮影したときの感情すら思い出せた、自分だけの空の写真。次々に流れてくる、見も知らない人たちの風景写真の中で、輝きが薄れていくようだった。
キャプションに変わった言葉を探し始めた。自分の中から、自然にほとばしり出た言葉はいい。ハートマークがなくても好きだから。
でも無意識に、ハートマークを求める自分に気づいた。
自分の目でまったく景色を見ていない自分自身にも、気がついた。
大好きな空。スマホのレンズを通すと、微妙に美しくない。僕の大切にしていたものが、数字への意識に削られていく。チェンジ。
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スマホにあふれる数字。言葉。
表示回数。YouTube再生回数。ストリーミング再生回数。ハッシュタグ。RT。リポスト。フォロー中。フォロワー。フォローリクエスト。承認。削除。ブロック。おすすめ。
僕は小学校4年生から、中学受験の勉強漬けで。スマホ使ってる暇はなかった。
用語自体がもう何が何やら。わけがわからない。YouTubeを見て、いちいち学ぶには、ギガが足りない。これだとスマホを、いつも持ち歩かなくてはいけなくなる。
本当は、たった1人にでも伝わればいいと思っている言葉や写真なのに。
周りにあふれる。売り上げ◯万部突破。発行部数◯部。動員数◯人。エトセトラ。
もう、どの数字が自分にとって大切なのか、わからなくなっちゃった。
1度、数字から離れてみようと思ったんだ。
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進学校でバカ認定されてから、ひねくれた僕。心を開ける友達なんていない。
そこで思いついたのが、ファミリーレンタルサービス。今、だだ下がりの自己肯定感を、ただ上げてほしい。
幸い、うちは金はあるから、母親にこう言った。
「一緒に勉強してくれる友達がほしい」。
僕は18歳未満だから、このサービスを使うには、親権者の同意が必要だった。
「勉強のため」って言ったら、ほいほい、サインしてくれた。
希望どおりの、気さくな男子大学生。数字とは対局の価値観、のはずだった。
結論。虚しかった。「そうだね」「そうなんですね」「いいですね」「頑張ってるね」。金でただ買った、肯定の言葉。
所詮、向こうは、金を対価にサービスを与える側なわけで。こちらの話にひたすら、同意を示すだけ。
結局、本音のやりとりなんか、元からありえないわけで。こっちの機嫌を取っているだけなのが、透けて見えた。4時間2万円。払った。
虚しさが増しただけだった。
数字もダメ。人間もダメ。勉強もダメ。僕はダメ。
おそらく、この先の未来もダメ。
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それで結局、数字に戻ることにしたんだよね。
今、入場券を買った。210円。天井からぶら下がる電光掲示板。列車名と発車時刻、地名が並んでいる。思いついてしまった。俺が影響を与える最高の数字。
「◯万人の足に影響が出ました」。よくテレビのニュースで聞くフレーズだ。1人の人間が残せる、桁数の大きい数字。
昔、「点と線」という小説を読んだ。昭和の社会派推理小説家が書いた。列車が重要なテーマだ。駅を発車する列車を見ながら、ぼんやりとその小説を思い出した。
そういえば、列車の時刻表も美しかったな。
キャリーケースやボストンバッグを持つ、列車の乗り場に向かう人々。並ぶ人々。行き先がある人。旅の目的がある人。
頬に当たる、1月の真冬の風。冷たい。かじかむ指。線路のわきに残る白い雪。
深呼吸。足を1歩、前に踏み出す。
でも待てよ。勝手に数字に傷ついて、数字のために死ぬこと、あるか?。
僕がこれからしようとしていることは、おそらく旅行客のスマホで撮影されて、拡散されて、それで終わり。ニュースで一瞬、流れて終わり。僕の後処理をしてくれる人の迷惑を、考える気力はもうないけれど。
やーめた。1回、リセット。駅のゴミ箱。持っていたハンカチに包んで、おにぎりが入っていたコンビニのビニール袋に、電源を切ったスマホを入れた。捨てた。
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今、文房具店の3階にいる。静かだ。周りも。自分の心も。
結局、人の一瞬の評価の数字は、僕にとっては重要に思えなかった。
数字の向こうの相手に、自分の思いが本当に届いているのか。見えなかった。
たった1人に届けばいい。そうは言っても今の時代、伝えようとしなければ届かない。やってみなければ、わからない。
やってみるべきは、自分が本当に好きなことだ。
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あの日、実験で見た火。一瞬で膨張したオレンジの炎。純粋な反応。それに感動した自分。そこのところを信じてみてもいいのかなって。
画材の棚。水彩。アクリル。アクリルガッシュ。油絵の具。クレパス。クレヨン。色鉛筆。ポスターカラー。
オレンジ。赤。一言で言っても、どれだけの種類があることか。どれだけの選択肢があることか。色と一緒にいるのなら、絵なのかなって。1人で向き合う。人の評価を気にせずに。
伝えたくなったら、その時は覚悟して数字と向きあう。
数字と自分の心を、完全に切り離して。
数字に表れる人の評価や価値観なんて、あっという間に移り変わるものなんだから。
大きくても、小さくても、自分の頭で納得できる数字なら、受け入れられる。
初心者用のアクリル絵の具セットを一式。手に取った。レジに向かう。
自分で足掻いて出した結論なら、受け入れられる。
数字の実験。終了。
(了)
「数字の実験」 ナカメグミ @megu1113
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