第4章 選ぶということ 第4話 並んで歩く

 昼休みの終わりが近づいたころ、光流は端末から顔を上げた。


 ――今日、言う。


 もう、返事をしないままにはしておけないと、わかっていた。



 業務終了時刻。

 1人機械の点検をしている不破に、声をかける。

「……先輩、あの……」

 不破がこちらを向く。

「どうした」

 光流は一度、息を吸ってから言った。

「あの……今日、お仕事終わったら、外で待ってていただいてもいいですか」

 一瞬、不破は目を見開いたが、すぐにいつもの調子でうなずいた。

「わかった」

 それ以上、何も聞かない。

        


 光流は更衣室でユニフォームを脱ぎ、私服に着替える。

 鏡に映った自分は、少しだけ顔色が悪く見えた。

 病院の正面玄関を出ると、空はすっかり暗くなっていた。

 冷たい夜気に、肩がすくむ。

 そんな中、不破が両手をポケットに入れて立っていた。

 こちらに気づくと、軽く顎を上げる。

 そのまま不破は歩き出し、光流も後に続いた。

 

 不破は街灯の少ない方向へと歩き出す。

 人目につかない場所を、無意識に選んでいるのだとわかった。


 立ち止まったところで、光流は足先を揃えた。

「あの……」

 声が、少し掠れる。

「この間の……お返事です」


 不破は、何も言わずに待っている。

 急かさない。視線も逸らさない。


 光流は一度、視線を落とした。

 胸の奥が、静かにざわついている。


「……先輩からの気持ち、」


 言葉を選ぶ時間を、与えられている。


「……受け取ろうと、思います」


 言い切ったあと、心臓が強く打った。

 音が聞こえてしまうんじゃないかと思うほどだった。


 数秒の沈黙。


 不破が、ふっと息を吐く。

「そっか」

 それから、穏やかに笑った。

「ありがとな」

 それだけだった。


 大げさな喜びも、確認もない。

「じゃあ……」


 不破は少し間を置いてから言った。

「これから、メシでも食いにいくか」

 そう言って、手を差し出す。


 光流は、その手を見た。

 大きくて、仕事で慣れ親しんだ手。

 一瞬だけ迷ってから、そっと指先を乗せる。


 次の瞬間、ぐい、と引き寄せられた。

「――っ」

 身体がぶつかり、不破の腕の中に収まる。


 あまりにも近い距離に、光流は固まった。

 どうしていいかわからない。

 腕を上げることも、突き放すこともできない。


「ごめん」

 不破の声が、すぐ近くで落ちる。

「でも、その前に……ちょっとだけ、こうさせてほしい」


 抱きしめる力は強くない。

 逃げようと思えば、離れられる距離。

 それでも、光流は動かなかった。

 胸の奥が、落ち着かないまま温かい。

 呼吸は浅いのに、苦しくはない。


 しばらくして、不破がゆっくりと腕を緩めた。

「行こうか」

 今度は、手を引くようにして歩き出す。


 光流は一瞬、視線を落としたあと、

 その手を振りほどくことなく、隣を歩いた。

 冬の夜の空気は冷たくて、

 つながれた手だけが、やけにあたたかかった。



 歩き出して、ほんの一分ほど経ったころ。


 光流は、自分の指先に意識が向いていることに気づいた。

 不破の手の中で、指がわずかに動く。

 離すでもなく、握り返すでもない。

 ただ、確かめるみたいに。


 ——逃げていない。


 その事実に、胸の奥が静かに揺れた。

 不破は何も言わない。

 歩幅も、力も、変えない。

 それが、今の光流にはちょうどよかった。

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