第4章 選ぶということ 第3話 返事

 朝の通用口へ向かう廊下で、光流は少し前を歩く背中を見つけた。


 綾瀬だ。

(……前、よく絡まれてたな)


 特別な用事があるわけでもなく、用もない雑談を振られて、曖昧に笑って受け流していた日々。


 今、その隣を歩く自分を想像してみる。

 ──肩が並ぶ。

 ──会話が続く。

 ──それが日常になる。


 想像は、すぐに途切れた。

 胸の奥は静まり返ったまま、何も返してこない。

(……やっぱり)

 きちんと返事をしなきゃいけないと、わかっている。



 昼休み。


 光流は久しぶりに、外のベンチへ向かった。

 弁当は持っていない。水筒もない。

 ただ、行くと決めただけだった。


 ベンチに腰を下ろしてすぐ、足音がした。

「あっ、光流さん!」

 振り返ると、綾瀬がいた。

 思ったよりも近くで、思ったよりも嬉しそうな顔で。


 光流は反射的に、会釈程度の笑顔を作る。

 でもそれは一瞬で、すぐに真剣な表情に戻った。


 綾瀬はそこで、光流が手ぶらであることに気づいたらしい。

 一瞬だけ、視線が宙を彷徨った。


「……今日は、返事を言いに来た」


 そう切り出した瞬間、空気が変わったのがわかった。

 綾瀬は何も言わず、ただ黙って聞く姿勢になる。


「好きになってくれて、ありがとう。でも……」

 言葉を選ぶ必要はない。

 もう、答えは出ている。


「お付き合いは、できません。ごめんなさい」

 光流は、そう言って頭を下げた。


 しばらく、何も聞こえなかった。

 顔を上げると、綾瀬は唇をぎゅっと噛みしめていた。


 少し間を置いて、頭の後ろに手をやる。

「……まじかぁ……」

 小さく、力の抜けた声。

 そのまま俯いて、数秒。


 やがて顔を上げて、無理のない声で言った。

「わかりました。考えてくれて……ありがとうございました」


 光流は、何も言えずに頷く。

 

 すると綾瀬は、少しだけ声を震わせながら言った。

「……本音言っていいっすか?」

「……?」

 首をかしげた光流に向かって、綾瀬は無理やりニカッと笑った。

「めっちゃ悔しい〜!」


 その笑顔に、胸の奥がきゅっと縮む。

視界が、ほんの少し滲んだ。


「残念でしたけど……これからも、光流さんのこと応援してます。仕事、お互い頑張りましょう」

「……うん。ありがとう」


 それだけ言って、光流はその場を離れた。

 背中に、何も追ってくる気配はなかった。


 歩きながら、胸に手を当てる。

 心臓の音は、落ち着いている。

 罪悪感はある。でも、迷いはない。


 決めなきゃいけないことは、まだ残っている。

怖さを感じる言葉はまだそのまま。


 でも――


 光流は、足を止めずに歩き続けた。

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