第3章 向けられた問い 第2話 月の光
玄関のドアを閉めた瞬間、光流は自分の呼吸が浅いことに気づいた。
少し早い。
意識して吸おうとすると、うまく入ってこない。
靴を脱ぎ、壁に手をつく。
その拍子に、視界がにじんだ。
――あ、と思ったときには、
頬を一筋、涙が流れていた。
拭うほどでもない。
止まらないわけでもない。
ただ、落ちただけだった。
悲しいわけじゃない。
うれしいわけでもない。
ほっとした、でもない。
理由を探そうとして、やめる。
洗面所へ行き、手を洗う。
水の冷たさが、指先に残る。
(……今日は)
そのまま、無意識に電子ピアノの前に座っていた。
楽譜は開かない。
指が覚えている音を、そっと落とす。
ドビュッシーの《月の光》。
音が揺れる。
一定じゃない。
間が、呼吸みたいに伸び縮みする。
数小節弾いたところで、
熱をもっていた頭の奥が、少しだけ静かになった気がした。
肩の力が、わずかに抜ける。
(……あ)
ふと、思う。
今度。
あのホスピタルピアノで、この曲を弾きたい。
あのグランドピアノの、生の響きで。
気持ちを整えたい、と言うほど大げさじゃない。
ただ、この揺らぎを、
もう少し大きな音の中に置いてみたいと思った。
それだけだった。
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