第3章 向けられた問い 第1話 どうやったら
最近、お昼が重ならない。
綾瀬は、それに気づいてから、胸の奥にしまってきたものが、静かに騒ぎ出すのを感じていた。
全く会わないわけじゃない。
ただ、前よりも、同じ時間に休憩を取ることが減った気がする。
忙しいだけかもしれない。
シフトの都合だってある。
それでも。
自分にとって特別な時間が、より輪郭をはっきりさせてきたのはわかっていた。
その日は、昼食を買って、病院敷地内の外に出た。
職員用の通路を抜けた先にある、小さなベンチ。
先に、光流が座っていた。
「お疲れさまです」
「……お疲れさまです」
声をかけると、光流が顔を上げる。
柔らかい日差しの中で、少しだけ目を細めた。
隣、いいですか。
そう言おうとして、やめた。
言わなくても、光流は何も言わず、少しだけ身体をずらしてくれた。
横並び。
それだけで、胸の奥が静かにざわつく。
しばらく、二人とも黙って食べていた。
風が、カーディガンの裾を揺らす。
綾瀬は、箸を持つ手を止めた。
――このままでいいのか。
何度も、自分に問いかけてきた。
隣にいられるだけで、十分だと思おうとした。
それ以上望まないことが、自分にできる精一杯の誠実さだと思ってきた。
でも。
この距離が、いつか自然に消えてしまう気がしてならなかった。
「……光流さん」
声に出した瞬間、もう戻れないと思った。
それでも、言わずにいるほうが、ずっと苦しかった。
「はい?」
光流がこちらを見る。
少し、驚いたような顔。
綾瀬は、顔を光流の方に向けて、言った。
「どうやったら、こっち向いてくれますか?」
――視線の話じゃない。
自分を、同じ場所に立つ人間として見てほしかった。
一瞬、時間が止まる。
「……え?」
光流が、はっきりこちらを向いた。
「え、ど、どうやったら……って?」
何が、という言葉が続かない。
綾瀬は、そこで初めて体の向きを変えた。
正面から、光流を見る。
「うん。どうやったら?」
冗談にはしなかった。
逃げ道も、用意しなかった。
それは、何度も飲み込んできた言葉の、行き着いた先だった。
光流は、言葉を探すように視線を揺らす。
頬が、ほんのり赤い。
綾瀬は、深く息を吸った。
「俺……光流さんのこと、好きです」
光流の手が、弁当箱の上で止まる。
「隣にいるのが、好きなんです。今までみたいに、たまにじゃなくて……いろんな、ふとしたときに、隣にいたい」
声は、思ったよりも落ち着いていた。
「僕と、付き合ってもらえませんか?」
沈黙。
光流は、すぐには答えなかった。
困ったような、迷うような表情で、こちらを見ている。
その顔を見た瞬間、綾瀬は悟った。
――簡単じゃない。
そうわかった瞬間、胸の奥がわずかにきしんだ。
それでも。
綾瀬は、ふっと力を抜いた。
「……でも」
ほんの一瞬、言葉を探すように間があった。
少し意識して、口元を緩ませる。
「返事は、急ぎません」
光流が、わずかに目を見開く。
「いつか……もらえれば、それでいいです。それまでも、今までと変わらず、たまに一緒にいられたら嬉しいので」
無理に、縛りたくはなかった。
怖がらせたいわけでもない。
ただ、気持ちだけは、ちゃんと伝えたかった――言わずにいられなかった。
しばらくして、光流が小さく息を吸う。
「……気持ちは、ありがとう。でも……考えます」
それだけ言って、視線を落とした。
そのとき。
綾瀬のポケットの中で、スマホが短く震えた。
昼休み終了のバイブレーション。
綾瀬は立ち上がり、ベンチを離れる。
「じゃあ……午後も、頑張りましょう」
そう言って、軽く手を振る。
光流は、小さくうなずいた。
変わらない距離。
けれど、もう同じではない距離。
それでも。
踏み出したことを、後悔はしていなかった。
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