第1章 傷の余韻 第1話 それぞれの翌日

 目覚ましが鳴る前に、光流は目を開けていた。


 薄暗い部屋の中で、天井を見つめる。

 眠った記憶は、ほとんどない。

 時計を見ると、もう朝だった。


 その事実だけを確認して、身体を起こす。

 洗面所の鏡に映った自分の顔に、一瞬だけ視線が止まる。

 目元が腫れている。

 クマも、はっきりとわかる。


(……ひどい顔)


 きっとメイクでも誤魔化せない。

 こんな顔でも、仕事のある日常は迫ってくる。

 何より、気持ちがもつか自信がない。

 考えれば、きっと立っていられなくなる。


 顔を洗い、髪を整える。

 服を選ぶ手つきも、いつも通り。


 誰にも、気づかれないように。

 何事もなかったように。


 息だけは、気持ちとリンクしてまだ小刻みに震えている。

 

――歩いてるうちに、整えないと……


 光流は大きく深呼吸を一つすると、アパートを出て、職場へ向かった。


        ❋❋❋


 放射線科に出勤してきた及川光流の姿を見て、不破は一瞬だけ視線を上げた。


 俯きがちで、足取りもどこか重い。


(……あ)


 すぐに気づく。

 目元の腫れと、隠しきれない疲れ。

 昨日がイブだったこと。


 及川が、その日に向けて努力を重ねていたこと。

 ――知っている。


 周囲の同僚が声をかけようとする気配を察して、不破は先に口を開いた。


「ちょっと早いけど、朝礼始めまーす」


 軽い調子で言いながら、及川の方は見ない。

 触れない。

 踏み込まない。


 今そこに触れると、及川は持たないんじゃないか…


(今日は、それでいい)


 不破はそう判断していた。


        ❋❋❋


 昼休み。


 看護師の綾瀬は売店へ向かう途中で、視界の端に見慣れた後ろ姿を見つけた。


(……え)


 売店から出てきたのは、及川だった。


 弁当を持参する人だ。

 この時間に、売店にいるのは珍しい。


 自然に声をかけようとして、足が止まる。


 俯いた横顔。

 腫れた目元と、濃い影。


 ――昨日。

 イブ。


 想い人との、大事な用事があったはずの夜。


 不破の言葉が、ふと脳裏をよぎる。


『少なくともクリスマスが終わるまでは、手を引いてほしい。俺もそうする』

『ズレてるけどよ、一生懸命なのだけはよくわかる。だからその頑張りを、邪魔したくはないんだ』


(……そういうことか)


 呼びかける声は、喉の奥で消えた。


 及川は、そのまま通り過ぎていく。

 振り返らない。


 綾瀬は、ただその背中を見送った。


 胸の奥に、言葉にならないものを残したまま。

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