第17話 マスターの声

 ――いい子で眠っているんだ。


 闇の中で声が聞こえる。シャノンにとっては聞き慣れた男性の声だった。


(マスター……わたし、ずっといい子で待っていたのに。それなのに、もう迎えに来てはくれないの?)


 ――お前を、誰にも渡さない。


 狂気染みた声がする。最後に見たマスターの悲しそうな瞳を思い出した。


(これは、夢? 人形のわたしが夢を見るなんて……)


 ――すまなかった、シャノン……僕は。


(マスター、あの時あなたはなにを言おうとしていたの? あなたのために、わたしができることはもうなにも残っていないの?)


 悲しくて胸が苦しい。人形のくせに心が痛むなんておかしな話だ。


「マスター……会いたい」



『僕もだ。会いたかった、シャノンよ』



「っ!?」


 飛び上がり辺りを見渡す。ルーファスの悪ふざけかと思ったが、鳥籠の外はいつの間にか深い霧に包まれていた。これはまだ夢の続きなのだろうか?


『シャノン、シャノン、ああ、やはりお前なのだな。ずっと探していた。また会えるとは』


 気が付けば鳥籠の外側をぐるぐると、闇色の霧がとぐろを巻くように漂っている。

 怖い、と思った。けれど、姿なきその闇からはマスターの気配がするのだ。


『お前に触れたい。可愛い、僕の、僕だけの花嫁』


(マスターじゃ、ない?)


 ダグラスは一度だってシャノンの事を花嫁などと呼んだことはない。

 自分は彼が作り出した人形だ。それ以上でも以下でもない。

 これもシャノンを陥れるための、敵の心理的な攻撃と捕らえるべきだろうか。けれど。


『おいで、こちらへ来るんだ、シャノン』


 ぐるぐると渦巻く黒い闇からは、紛れもないマスターの声がする。

 ルーファスとは違う。口調も間違いなくマスターのものだった。

 しかし黒い闇は鳥籠の隙間からこちらへ侵入しようとしたところ弾き飛ばされた。


『ぐあぁあぁあぁあっ!?』


 ダグラスの苦しむ声に反応してしまい、シャノンは籠の外へと手を伸ばそうとした。その時。



「シャノン!」



 名前を呼ばれハッと目を開ける。

 いつの間に眠っていたのか、窓の外はすっかりオレンジ色に染まっていた。

 やはり今のは夢だったのか。鳥籠の外には霧などなく、心配そうにこちらを覗き込んでくるルーファスの顔があった。


「どうした? うなされてたぞ」

 ルーファスはシャノンを鳥籠からつまみ出すと、確認するように掌の上にのせる。

「だ、大丈夫です。少し怖い夢を見て……」

 シャノンはぎゅっと自分の身体を抱きしめながら答えた。


「急に黒い靄が現れて鳥籠に巻き付いているのが見えた。すぐに弾かれて消えたけど」

「えっ」

「怖い夢は、その靄のせいかもしれないな。でも、もう大丈夫だ」

 優しい指先が震えるシャノンの頬に触れ頭を撫でる。それだけで不安だった気持ちが、すっと消えてゆくことにシャノンは戸惑った。


 先程までダグラスの声に動揺し不安でしかなかったというのに、この男の存在を感じ安心している自分がいるなんて。


「どうした、黙り込んで。まだご機嫌斜めなのか?」

 無言で俯いているシャノンが昼間の言い合いを根に持っていると思ったのか、ルーファスは指先で頬を突いてくる。

 それがくすぐったくて、シャノンは怒ってないと首を横に振って答えた。


「ごめんなさい……さっきは」

「……もういいよ。オレも言いすぎた、ごめん」

 そう言うとルーファスが慣れた手付きでシャノンを自分の胸ポケットに入れる。


「ルーファス?」

「黒い霧の件が気になる。この部屋は空気が悪いから、少し外に出よう」

「はい」

 シャノンは大人しく彼のポケットに潜り込んだ。


(ルーファスの匂いがする)


 それが今のシャノンには安定剤のように働いて、なんだか堪らなくなって目を閉じた。

 マスターに対して後ろめたいような複雑な感情が芽生えたことに気付かないフリをして。

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