第3話 花嫁になれと言われて

 夢か現実か、遠くの方で雷が落ちる音が聞こえてくる。


 ガタン、ゴトンと、二回ほどの大きな揺れに身体が浮いてシャノンはハッと目を覚ました。

 鳥籠の格子の隙間からは光が降り注いでいて、小鳥が羽を休めるためのブランコがゆらゆら揺れているのも見慣れた光景だった。


 どうやらまだおかしな所に売り飛ばされてはいないようだ。

 隣を見れば横顔もダグラスにそっくりのルーファスが、少し難しい顔をして例の魔術書を読んでいる。


「なんだもう術が解けたのか。掛け方が弱すぎたか……」

 シャノンが起きたことに気付いたルーファスは、術を掛けたことなど悪びれもせずこちらを一瞥した。


「あの……わたし、やっぱりどこかへ売られるんですか?」

 恐る恐る見上げてみるが、その時、馬車の窓ガラスを突く伝書鳩が現れた。

 ルーファスは窓を開けると鳩の脚から手紙を受け取り素早く外に返す。


「な、なんですか。今の」

「オマエには関係ない」

 そう答えながらルーファスは手紙に目を通し、少し驚いた様子だった。

 なにが書かれていたのか気になるが、彼はそれきり目を瞑り考え込んでいる。


 自分がこれからどうなるのか不安でならない……。

 やがて彼は溜息を吐いた後、目を開けこう言ってきた。


「さっき、売られるのはいやだって言ってたよな」

「はい、いやです」

「なら……今日からオレの花嫁になると誓えるのなら手元に置いてやるよ」


 あまりにも予想外の提案にシャノンは「へっ!?」と素っ頓狂な声をあげ仰け反る。

 しかし迷っている時間など与えてはもらえない。


「案ずるな、仮初めでいい。どうするのか今すぐに答えろ。異国に売り飛ばされるか、オレの花嫁を名乗るか」


 仮初めの花嫁。意味がわからない。でも、異国に売り飛ばされるなんて絶対にいやだ。そう思ったら勝手に口が動いていた。


「あ、あなたの花嫁になります!」

 思わず勢いで答えてしまったが。


「二言はないな」

「は、はい」


「行き先の変更を頼む。アルラジアス王国へ向かってくれ」

 ルーファスが御者に声を掛ける。すると馬車はすぐに方向転換して走り出す。


 シャノンは戸惑っていたが、魔術書の続きを読み始めた彼に声を掛けることはしなかった。邪魔したらまたうるさいと言われ、術で眠らされるのが目に見えていたから。


(いきなり花嫁だなんて、この人なにを考えているの……あやしい)


 こんな掌サイズの人形に花嫁になれと言うなんて、本気なら正気の沙汰じゃない。


(女性に飢えた変態? でもマスターにそっくりで、女性には困らなさそうな容姿をしているし……なにか裏があるのかしら)


 闇市になど出されたら、それこそとんでもない変態の手に渡ってしまうかもしれない。

 そう考えれば少なくとも売り飛ばされるよりは、ダグラスの末裔というこの男といたほうがマシな気がした。

 どんなに待っていようと、もうダグラスは迎えに来てはくれないのだから……。



◇◇◇◇◇



 それから長いこと馬車に揺られ、予定通り目的の国へと入国したようだった。


「オマエもいずれ係わる国だ。見ておくといい」

「係わるってどういう、きゃっ」

 どういう意味だと問う前に鳥籠を持ち上げられ、シャノンはよろけて格子を掴んだ。


 顔をあげると馬車はゆったりと進んでいて、窓の外に広がる城下町の風景が見渡せる。

 石畳で整備された道に、レンガ調の建物が並ぶ街並み。行き交う人々で賑わっている。

 広場では銅像の周りを走り回る小さな子供たちの姿。いままで鳥籠の中で飼われ外の世界を知らないシャノンにとっては、初めて見るものばかりだった。


「あの銅像はなんですか?」

 横切った広場には精悍な騎士の格好をした、けれど面差しの優しい男性の像が建っている。なぜかシャノンは一瞬だけ目に入ったその像に目を奪われた。


「あれは……救世主リチャード。この国では知らない者のいない英雄だ」

「救世主なんて、きっとすごい人なのですね」

「そうだな……ここアルラジアス王国は、前王を無くしてから王の無き国。それでも王国という形でなんとか平和を維持できているのは、彼の残した組織の存在が大きい」


「それって、この国の王家は崩壊したということ?」

 ルーファスは違うと言うけれど、じゃあどういう意味なのかは今教えてくれる気はないようだ。


「この国にしばらく滞在するんですか?」

「ああ、花嫁には不自由ない生活を提供してやるよ。悪くないだろ?」


 シャノンはわけの分からないままで、なにも返す言葉が見つからなかった。その時、緩やかに進んでいた馬車が大きく揺れ、シャノンはまた籠の中でひっくり返る。馬車が急停車したようだ。


 戸惑うシャノンを残してルーファスは外の様子を見に出て行く。


「すいません。この先の道で黒雷が落ちたみたいで、念のため一時通行止めです」


 御者の『黒雷』という言葉に、シャノンは無意識のうちに身体を強張らせた。


 この大陸は天候が悪くない日でも、いつも突然黒い雷が落ちてくるのだ。

 その原因を『悠遠の昔には行き来ができたらしい天空の城を支配しようとした身の程知らずな人間たちへの天罰』なのだと言う者もいる。


 単なる伝承の一つだが、いつもマスターは黒雷を見るたび苦い表情をしていたので、よくない現象なのだということだけはシャノンも察していた。


「聞こえてたと思うけど、ここからは歩きだ」


 荷物は後で届けてくれと御者に告げ戻ってきたルーファスは、シャノンの返事も聞かず鳥籠にカバーをかけて持ち上げた。

 うっすらと隙間から夕日が入ってくるけれど、景色が見えない籠の中で不安が増してくる。


「どうして、馬車は止まってしまったの?」

「雷のせいだ。黒い方の」


 暫くして周りが騒がしくなってきた。

 その喧騒が単なるお祭り騒ぎではなく事件が起きているせいだということは、聞こえてくる野次馬たちの声でわかる。


「黒雷に憑かれた人が出たってさ。誰か、早く自警団のやつらを呼んで来い!」

「あいつらじゃ役に立たないさ。呼ぶならガーディアンたちだろ」

「誰でもいいから呼んでこいって!!」


 シャノンは不穏な雰囲気が気になって、そっと格子の向こうに手を伸ばしカバーの隙間から顔を覗かせた。

 先程までは穏やかだった空が今では分厚い雲に覆われ、人々はルーファスが向かっている道を逆流するように走っている。


 普通の城下町が、皆まるで戦場であるかのように逃げ惑い血相を変えていた。


「ねえ、ルーファスさん」

「呼び捨てでいい。オマエは仮初めだけどオレの花嫁だ」

「……じゃあ、ルーファス。どこへ向かっているんですか?」

「この先にある目的地」

「けど、みんな逃げてきていますよ。この先に進むのは、危ないんじゃ」


「そうだな、黒雷が人に落ちたようだし」

 ルーファスは逃げ惑う人々を尻目に、なんてことないように歩みそう言った。

 シャノンは、この喧騒の中でそんな余裕のある彼の態度が逆に怖いと思った。

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