第4話 承認の防壁

 開演三十分前。

 祝賀会場のボルテージは、経済紙の記者たちが放つ殺気と、投資家たちの期待が混ざり合い、逃げ場のない熱気となって停滞していた。


 私は舞台袖の導線で、イヤーカフに触れ、インカムの音量を上げた。

「三枝室長、記者席の配置、最終確認済み。羽鳥さん、スタンバイ入ります」


『了解。久住、導線から目を離すな。……鼠が紛れ込んだ』


 三枝の冷徹な声と同時に、下手しもての関係者入口から烏丸が現れた。今度は一人ではない。彼の背後には、今回のイベントに多額の出資をしている最大手スポンサーの役員三名が、威圧的な態度で控えていた。


「三枝室長、急な変更ですが、これは『決定事項』です」

 烏丸の声は、もはや提案の体裁をなしていなかった。彼は手に持ったタブレットを、司会者の鼻先へ高圧的に突きつけている。


「スポンサー側の強い要望で、乾杯の直前に共同プロジェクトの特報を差し込む。羽鳥さんの祝辞も、その景気のいい数字に合わせたものに差し替えてもらう。演出用のテロップも、私が作り直した」


 司会者が青ざめ、インカム越しに助けを求めてくる。

「三枝さん、どうしますか?  進行表キューシートのタイムラインを書き換えないと……」


 現場が不安に揺らぐ。

「スポンサーの意向」というカードは強い。現場の人間にとって、抗いがたいご神託だ。これに逆らうことは、共同プロジェクト全体の資金を危うくすることを意味する。


 烏丸が私に近づき、低く囁いた。

「久住ちゃん。これが現実だ。君が昨晩必死に書いた『誠実な原稿』なんて、一億の出資の前では、お子ちゃまの落書きだよ」


 私は、三枝を見た。

 彼は、烏丸の背後にいる役員たちを一瞥し、手元のノートPCを一度叩いた。


「烏丸さん。……それから役員の皆さん。残念ですが、その変更は物理的に不可能です」


「不可能なものか。原稿を差し替えるだけじゃないか」


「いいえ。今回の公式キューシートは、昨夜二時の時点で広報のマスター権限でロックしました。差し替えには、私の電子署名が要る」

 三枝は視線をスポンサー役員に移した。

「ここで無理を通せば、『スポンサーが進行を強引にねじ曲げた』事実が祝賀会の現場に残ります。明日、誰かが漏らせば、炎上するのはあなた方だ」

 先頭に立った役員の眉が動く。沈黙が刺さる。


 烏丸は唇を薄くして笑った。

「脅しが上手いな。三枝室長」

「脅しじゃない。広報の仕事は、火種がきる前に踏み消すことだ」


 三枝は淡々と、しかし決定的な事実を告げた。

「さらに、烏丸さん。あなたが昨夜、特定の経済記者に送ったメール……『祝辞に不穏な動きあり』という偽のリーク情報。迂闊うかつでしたね、これ、当社の関連グループメディアにも送られていますよ。すぐさま、ご注進がありました」


 烏丸の頬が、はっきりと引きった。


「あんたは言葉を『武器』にしているつもりだろうが、俺から見ればただの『放火魔』だ。自分の書いた火種で会社を炎上させ、その消火活動で恩を売る。……だが、俺の管理する現場では、煙一筋たりとも起こさせない」


 三枝は役員らに向き直った。

「皆さん。今回の特報は、祝辞の後に『最も効果的なタイミング』でこちらから発表します。それが、投資家に対する広報としての最善策です。……それとも、今ここで烏丸さんの『リーク行為』を、主幹事証券全体に共有した上で、強行されますか?」


「……覚えておけ。次の案件は、うちの判断で決める」

 代償の宣告だった。役員たちは、烏丸と三枝を交互に見た後、苦々しく吐き捨てて立ち去る。烏丸は去り際に私を睨み、「キミのきれいごとは、次の四半期で試される。初値が崩れたら――久住ちゃんが戦犯だ」と呪詛のように吐き捨てた。


 後ろ盾を失った烏丸を、三枝は一瞥もしない。

「鼠は処理した。久住、残り三分」

 その短い言葉だけで、私は息を取り戻した。

――この人のチームにいる限り、きっと私の心は折れない。


 三枝が守り抜いたのは、単なるスケジュールではない。羽鳥の、あの「空白」に込めた意志そのものだ。


「……羽鳥さん、行けますか」

 羽鳥は、私が渡したコピー用紙を一度強く握り、静かに頷いた。

「ああ。今なら、言える。必ず」


 司会者のアナウンスが流れる。

「続きまして、代表取締役社長兼CEO、羽鳥航平よりご挨拶を申し上げます」


 拍手が鳴り響く。

 私は舞台袖の暗がりから、眩しいほどの光に包まれた壇上へと向かう彼の背中を見送った。

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