第2話 負債を返すとき

「広報室長、主幹事しゅかんじのデスクから電話です。……あちらさん、かなり荒れてますよ」


 臨時の広報拠点となっている会議室。駆け込んできたIR担当の悲鳴に近い報告に、三枝は表情ひとつ変えずにノートPCの画面を見つめている。

「繋げなくていい。どうせ烏丸が裏で火をつけたんだろう」


 私はデスクにタブレットを置き、解析画面を共有した。

「烏丸さんの新稿、SNSの過去の炎上ワードと照合しました。五行目の『徹底した淘汰』という表現、これ、三年前の……」


 口の端が乾く。私は一度言葉を切り、左耳のイヤーカフを無意識に指先で弾いた。チンと、金属の震える音が頭蓋に響く。


「……三年前、私がいた会社が解散に追い込まれたとき、代表が放った一言と完全に一致します。あの時は『無能な既存勢力の排除』という表現でしたが、文脈は同じです。リリースから三時間でハッシュタグが作られ、翌日には主要取引先から提携解消の通知が届きました。SNSにおける言葉の延焼速度を、経営陣は甘く見ていたんです」


 室内に、キーボードを叩く音だけが響く。

 三枝が視線を上げ、私を真っ直ぐに見た。

「久住。お前はその『負債』を、まだ返せていないと思っているのか」


「……返せていません。あの時の私は『止める側』の言葉を持っていなかった。だから、今度こそは」

 私の言葉に、三枝は笑みを浮かべた。

「広報に必要なのは、言葉を愛することじゃない。言葉の怖さを知っていることだ。それが久住を採用した理由……」


 その時、三枝の私用携帯が震えた。

 相手は社外取締役。上場準備委員会の重鎮だ。三枝がスピーカーをオンにする。


『三枝くん、広報が提示した原稿について、主幹事から懸念の声が出ているよ。広報が「守り」に入りすぎて、せっかくの祝祭感を台無しにしていると。……明日の初値はつねは、我が社の今後十年の投資体力を決めるんだ。現場のこだわりで、会社の未来を潰す気かね?』


「未来を守るために、今の承認フローがあります」

 三枝の声は、驚くほど冷徹だった。「主幹事が欲しがっているのは、明日一日のための『劇薬』です。ですが、広報の仕事はその副作用まで責任を持つことだ。……取締役、今、久住が作成した延焼シミュレーションを共有しました。烏丸案を採用した場合、コンプライアンス的に『グレー』ではなく『黒』に近い箇所が三点あります。それでも、強行されますか?」


 電話の向こうで息を呑む音が聞こえ、通信は一方的に切れた。


「久住。取締役は黙らせたが、烏丸はまだ止まらない。彼は自分の言葉を『商品』だと思っているが、俺たちはそれを『資産』か『負債』かで判断する」


 三枝は立ち上がり、コーヒーで汚れた紙コップをゴミ箱に捨てた。


「烏丸が『刺す言葉』で株価を釣ろうとするなら、お前は『裏付けエビデンスのある言葉』で、投資家の心を満たせ。美辞麗句はいらない。事実だけで構成しろ。……一時間で、羽鳥さんの『本当の心』を広報する原稿を書き上げろ」


 三枝の声は冷たいのに、眼差しだけは不思議と温かい。私はその温度に勇気づけられた。

「はい!」


 私は再びキーボードに向き合う。

 烏丸の原稿にある「圧倒的」「最高」「覇者」といった、中身のない煌びやかな名詞を、一つ残らずデリートしていく。言葉を削いで研ぎ澄ますのだ。

 原稿から派手な光が消え、無機質な、けれど骨太な行動実績だけが残ってゆく。


 三年前、私は「勢い」という名の濁流に流された。

 言葉は、一度放たれれば取り消せない負債になる。


 ならば、その負債を、信頼という名の資産に書き換えるしかない。

 それが広報の仕事だ。


 深夜二時。

 静まり返った会議室で、私は羽鳥さんのための「戦わないための、勝てる言葉」を編み続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る