第2話
しばらく、謎の物体と見つめ合う。
だが、こちらを見つめ返す以外、何の挙動も示さない。
その形状は、球体。
まごうことなき、完全な球体だ。
弱々しい光を放ち、
目がある。
だが、それ以外には何もない。
膝立ちのまま、少し後ずさる。
すると、同じ距離だけ近づいてくる。
左右に動いてみても、
やはり、同じようについてくる。
――ただ、それだけ。
「……な、なんなんだ、これ……?」
そっと人差し指を近づける。
すると球体は、ためらうように一瞬だけ止まり、
すっと距離を詰めて、ぴとりと指先に触れた。
(……あたたかい)
周囲の冷気でかじかんだ指先に、
確かな温もりが伝わってくる。
体温……と言っていいのか分からないが、
少なくとも、冷たいものではない。
肌触りは、すべすべしている。
つん、と軽く突いてみる。
球体はふわりと離れ、
少し間を置いてから、またゆっくりと近づいてきた。
(……少なくとも、今のところ危険ではなさそうだ)
胸の奥に溜まっていた緊張が、少しだけほどける。
呼吸を整え、改めて声をかけてみた。
「……お前は、なんなんだ?」
問いかけても、
球体は相変わらず、黙ったままふわふわとついてくるだけだ。
「……まあ、いいか」
小さく息を吐く。
「追尾機能付きの光源が手に入った、
……そう思えば」
自分に言い聞かせるように呟き、
ひとまず、この先どうするべきかを考えることにする。
(光源が手に入ったとはいえ、まだ何もわからない。
取りあえずここを抜け出して、人里でも探さないといけないな)
球体の放つ光を頼りに周囲を探ってみるが、
持っていけそうなものは何も見当たらなかった。
(よし……慎重に探索範囲を広げよう)
決心し、頼りない光源をお供に、
暗闇に沈む洞窟の奥へと足を踏み入れる。
地面はところどころ凹凸があり、歩きづらい。
一歩ずつ足場を確かめながら進む。
周囲への警戒も、可能な限り怠らない。
「なあ、ここがどこだか知ってるか?」
どこまでも続く暗闇と孤独感に不安が募り、ふと光源に話しかけてしまう。
だが、その球体はこちらを観察するように見つめるばかりで、
なにも応答を返してはくれない。
「はあ、お供がこれじゃあな。って、怒っていなくなったりしないでくれよ!」
そんな一方通行の会話を続けつつ、一歩一歩進んでいく。
――どれくらい歩いただろうか。
いくつも枝分かれする道を選びながら進んでいると、
やがて少し大きな空洞に出た。
岩がごろごろと転がり、見通しはあまり良くない。
壁沿いを選び、慎重に進もうとした――その時。
ごとり。
対角線上の暗がりから、
岩が転がる音がした。
思わず息を潜める。
続いて、
何かの荒い息遣いと、
軽い――だが確かな足音が近づいてくる。
(だ、誰か……?
……いや、違う。何か、かもしれない)
こちらには、弱々しいとはいえ光源がある。
足音は迷うことなく、こちらを目指していた。
(……どうする)
近くの岩陰に身を滑り込ませ、
光源を胸元に引き寄せて、そっと前方を窺う。
数秒後――
暗闇の中から、何かが姿を現した。
はっきりとは見えない。
だが、腰丈ほどの高さ。
二足で、歩いている。
(二足歩行……なら、話が通じる可能性も――)
「だ、だれ――」
声をかけようとした、その瞬間。
球体が、ふっと前に進み出た。
一瞬だけ、
周囲が白く染まるほどに光が強まる。
「ギャッ――!」
甲高い叫び声を上げ、
二足歩行の生物は慌ただしく後ずさり、
そのまま闇の奥へと逃げ去っていった。
光に照らされた一瞬、
その姿が目に焼きつく。
獣のようで、
それでいて、どこか人に近い。
歪み、攻撃性を孕んだ、異様な何か。
(……なんだ、あれ)
猿にも見えた。
だが、もっと人間に似ていて、
それ以上に――危険な印象を残していた。
「……たす、助けてくれたのか?」
球体に、そう声をかける。
だがそれは、
ただ静かに、ふよふよと浮かびながら、
こちらを観察するような視線を向けてくるだけだった。
大広間を四半周した先で、ようやく前へ進める通路を見つける。
あの獣――いや、あの“何か”の逃げた方向を避けられたことに、思わず安堵した。
もっとも、向こうが正解の道だった可能性も否定できないが……。
さらに道なりに進み、分かれ道に差し掛かったとき。
肌を撫でるような、微かな空気の動きを感じた。
指を口に含み、湿らせた指先を立てる。
「……風が、吹いてる」
思わず声が弾む。
逸りそうになる足を抑え、風の流れてくる方へ慎重に進む。
進むにつれ、
空気は確かな流れとなり、肌でも感じられるようになってきた。
(よし……出口が、近い)
胸の奥が、ほっと緩んだ――その直後。
背後から、
腹の底を震わせるような咆哮が響いた。
「ガアアアアァァァァ!!」
続いて、隠しもしない無数の足音。
しかも、先ほどのものとは比べものにならない、重い音が混じっている。
「まずい……!
さっきのやつだ。仲間を連れてきた……走るぞ!」
思わず、球体に向かって叫ぶ。
だが、それは何も答えず、ただふよふよと後を追ってくるだけだった。
全力で駆ける。
だが、背後との距離が、確実に縮まっているのが分かる。
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
息が切れ、足が縺れそうになる。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
やがて洞窟の幅が広がり、
前方が明るくなっていく。
周囲の空気が、少しずつ温もりを帯びてくる。
(もうすぐだ……!
だが、外に出ても追ってきたら……それでも、逃げるしか……)
考えがまとまる前に、
視界の先に、はっきりとした光が見えた。
(出口だ……!!)
出口は坂の上にあり、
岩がごろごろと転がっている。
その隙間を縫うように、必死で這い上がる。
――その最中。
ドスン。
背後で、何かが着地する重い音。
反射的に振り返ってしまった。
そこにいたのは、
先ほどの獣など比べものにならないほど巨大で、醜悪な存在だった。
毛はなく、鈍く光る黒い肌。
太く、力のこもった四肢。
捕まれば、一瞬で砕かれると直感できる腕。
凹凸のない顔の中央に、
赤黒い内側を覗かせる、大きな口だけが開いている。
「あ……あ、あぁ……」
逃げなければならないのに、
体が、動かない。
腕を伸ばしてくるその姿が、
コマ送りのように、ゆっくりと脳裏に焼き付く。
(……ここまで、なのか)
諦めかけた、そのとき。
そばに浮いていた球体が、
突如として、周囲を焼き尽くすかのような光を放った。
「ゴアアアアアアアアアアア!!」
化け物の絶叫。
のたうち回る、重い音。
私の視界も、白く焼き潰される。
それでも、
必死に手探りで、前へ、前へと進む。
視界が戻った瞬間――
洞窟の出口に、同時に飛び出していた。
燦燦と降り注ぐ太陽。
むわりとした、暑い空気。
生きている、という感覚が、全身に流れ込んでくる。
背後の洞窟からは、複数の叫び声が聞こえたが、
どうやら、追ってくる様子はなかった。
「……助かった。ありがとう――」
そこまで言って、
はじめて気づく。
先ほどまで、確かに隣にいたはずの球体が、
どこにも見当たらなかった。
(どこにいったんだ……まさか……?)
洞窟へ引き返したい衝動が、胸の奥からせり上がってくる。
まるで背中を押されているかのような感覚だった。
「……だめだ。合理的じゃない」
思わず声に出して、自分を制する。
「今戻ったら、食い殺されるだけだ。
洞窟の中からは、争っている音も聞こえない。
あいつは……もう、そこにいないか、あるいは――」
言葉が続かず、歯噛みする。
「……くそっ」
拳を握りしめ、地面に叩きつける。
鋭い痛みが走り、その痛みが、喪失の重さを現実として突きつけてくる。
あの、得体の知れない球体が。
たったあれだけの時間の触れ合いで、しかも言葉も交わしていない存在が。
ここまで、自分の感情を揺さぶることになるなんて、思いもしなかった。
「……感謝している。ありがとう」
小さく、呟く。
「……名もなき、友よ」
“友”という言葉が、自然と口をついて出た。
長い付き合いがあったわけでもない。
何を考えていたのかも、正体すら分からない。
それでも。
この何も分からない世界で、
確かに、隣にいてくれた存在だった。
目の奥が熱くなる。
だが、それを乱暴に擦り、深く息を吸って立ち上がる。
「あいつのためにも……
こんなところで、くたばってたまるか」
視線を前へ向ける。
洞窟を背にした広場の先には、
鬱蒼と生い茂る密林が、静かに待ち構えていた。
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