コミュニケーション許可局 番外編|日常是正録

53歳おっさんテケナー

許可は、どこから必要か


シーン1 昼/本社ビル

昼休み前。

本社ビルの廊下は静かだった。

人の気配はあるが、会話はない。

コピー機の稼働音だけが、一定のリズムで響いている。

若手社員の 山下(24) は、資料の束を抱えたまま立ち止まっていた。

進行方向の先に、ひとり歩いてくる人物がいる。

スーツ姿。

足取りは速くない。

スマートフォンも見ていない。

佐伯ミナ(25)だった。

山下は一瞬、声をかけるか迷う。

それでも、口が先に動いた。

「……あの、佐伯さん」

佐伯は足を止めた。

振り向き方に、ためらいがない。

「はい。何でしょう」

声は低く、一定だった。

山下は少し言葉を探す。

「最近、忙しそうじゃないですか」

「無理、してないかなって……」

廊下に、わずかな沈黙が落ちる。

佐伯は表情を変えないまま、確認するように言った。

「ご用件は、それだけですか」

「はい。えっと……」

山下は続ける。

「もし、誰にも相談できないこととかあったら」

「俺でよければ、話、聞きますよ」

自分では、いいことを言っているつもりだった。

気遣い。

善意。

職場の人間関係として、自然な言葉。

佐伯は、少しだけ首を傾けた。

「確認します」

「……はい?」

「私は、あなたに」

「個人的な相談を希望したことがありますか」

「……いえ」

「私が困っている、あるいは助けを求めているという」

「事実確認は取れていますか」

山下は、言葉に詰まる。

「……雰囲気、というか」

佐伯は頷かない。

「では、それは推測に基づく感情介入です」

「え……?」

「善意であっても」

「相手の状態を確認せずに支援を申し出る行為は」

一拍置いて、続ける。

「コンパッション・ハラスメントに該当する可能性があります」

山下は思わず声を落とした。

「俺、責められてます?」

佐伯は小さく首を横に振る。

「いいえ。説明しています」

「でも……」

「気遣いって、必要じゃないですか」

「必要です」

即答だった。

「ただし」

佐伯は続ける。

「許可を取った気遣いだけが、有効です」

「……許可?」

佐伯は一度、姿勢を正した。

「改めて自己紹介します」

「佐伯ミナです」

「本社・第一企画部所属」

「兼務として、コミュニケーション許可局の規程監査を担当しています」

山下は、その肩書きを初めて正面から意識した。

「私の役割は」

佐伯は言葉を選ぶように、静かに言った。

「悪意のない侵入を、止めることです」

山下は、何も言えなくなる。

怒られたわけではない。

拒絶されたわけでもない。

ただ、線を引かれた感覚だけが残った。

佐伯は一歩、距離を保ったまま言った。

「事実確認」

「許可取得」

「そのうえで、介入するか判断する」

それだけ言って、歩き出す。

廊下には、再びコピー機の音だけが残る。

山下は、その場に立ち尽くしたまま、

自分の言葉を頭の中でなぞっていた。

――ここは、コミュニケーション許可局。

許可のない感情は、

ときに侵入になる。

シーン2 夕方/帰り道

退社時刻。

本社ビルを出ると、空の色が変わっていた。

昼の白さが抜け、街の輪郭が少し柔らぐ。

駅前へ続く通り。

仕事帰りの人波に、速度のばらつきが出始める時間帯。

佐伯ミナは、ひとりで歩いていた。

スマートフォンは見ていない。

イヤホンもしていない。

警戒しているわけではなかった。

ただ、距離を開けているだけだった。

「ねえ」

声がした。

軽い。

慣れている。

距離が近い。

佐伯ミナは歩みを緩めただけで、立ち止まらない。

「俺の顔、悪くないよね?」

振り返らずに答える。

「評価基準を提示してください」

一瞬、間が空く。

男は笑った。

「え、そこ?」

「普通さ、

 “そんなことないですよ”とかじゃない?」

「質問の前提が不明確です」

男は、少しだけ歩調を合わせてくる。

距離は詰めない。

詰めないことに慣れている動きだった。

「頭いいんだね」

「評価の必要はありません」

「暇でしょ?」

「私が“暇だ”と言いましたか」

「ひとりで、落ち着いた歩き方だし」

佐伯ミナ

「それは“観察”です」

一拍。

佐伯ミナ

「“許可”ではありません」

男は、口角を上げたまま肩をすくめる。

「理屈っぽいな」

「事実です」

会話は続いている。

だが、佐伯ミナの歩調は変わらない。

「でもさ」

男は言う。

「こうやって話してるってことは、

 ちょっとは興味あるんじゃない?」

佐伯ミナは、ここで初めて立ち止まった。

振り返る。

視線は冷たくない。

正確だった。

「それは誤認です」

「え?」

「私は“応答”しています」

「“同意”はしていません」

男は眉をひそめる。

「……違い、ある?」

「あります」

「あなたは今、

 “会話が成立している”ことを理由に、

 “関係が許可された”と解釈しています」

男は黙る。

少しだけ、表情が変わった。

「それは、境界の誤読です」

人通りが増える。

背後を、誰かが追い越していく。

男は、しばらく考えるように黙ってから言った。

「俺、悪いこと言ってないよね?」

「悪意は確認できません」

「じゃあ、なんでダメなの?」

佐伯ミナは、答える前に一拍置いた。

説明する価値があるかを測る沈黙。

「あなたは」

「“拒否されていない”ことを、

 “許可された”と解釈しています」

男は苦笑した。

「普通じゃない?」

「“普通”という言葉は、

 責任を曖昧にします」

風が吹き、

街の音が一瞬、強まる。

「私は、あなたを嫌っていません」

男の眉が、わずかに動く。

「ですが」

「あなたと関係を築く意思もありません」

「……即答なんだ」

「即答できない関係は、

 始めるべきではありません」

男は、息を吐いた。

「手厳しいな」

「明確です」

しばらく沈黙。

男は、最後に尋ねる。

「じゃあさ」

「どうすれば“許可”取れた?」

佐伯ミナは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。

「最初に」

「話しかけてもいいですか、と聞いてください」

「……それだけ?」

「はい」

男は、苦笑する。

「難しい時代だな」

「安全な時代です」

男は一歩、距離を下げた。

「……勉強になった」

その言葉が、

理解を意味するのか、

諦めを意味するのかは分からなかった。

男は踵を返し、

人波に紛れていく。

佐伯ミナは、その背中を追わない。

歩き出す。

駅前の明かりが近づく。

そのままの足で、

彼女は郊外行きの電車に乗った。

買い物をして、帰るつもりだった。

――このあと、

誰かの「普通」が、

もう一度、静かに揺らぐことを、

まだ知らないまま。

シーン3 夕方/郊外のスーパー

定時で退社した会社員が、

一斉に街へ流れ出る時間帯だった。

電車は混みすぎず、

座れないほどでもない。

佐伯ミナは、吊り革につかまりながら、

車内広告をぼんやり眺めていた。

特売。

期間限定。

数量限定。

どれも、

急がせる言葉ばかりだった。

最寄り駅で降りる。

改札を抜けると、

夕方の空気に、

惣菜と排気の匂いが混じっている。

帰宅途中の流れに乗るように、

佐伯ミナはスーパーへ入った。

店内は、

一日の終わりを急ぐ人たちで満ちていた。

仕事帰りのスーツ。

保育園帰りの親子。

一人分の買い物かご。

精肉コーナーを抜け、

米売り場へ向かう。

足が、自然に止まった。

張り紙がある。

《本日限り

 5キロ・コシヒカリ特売

 1世帯(ご家族)1袋まで》

残り時間。

あと十分。

床に列表示はない。

それでも、

十数人が、

黙って並んでいた。

佐伯ミナは列の外に立つ。

急いでいない。

だが、急いでいる人たちの中にいる。

列の先頭近くで、

小学校低学年くらいの子どもが、

米袋を抱えている。

体に対して、少し大きい。

レジへ向かう。

店員は、何も言わない。

誰も、何も言わない。

会計が終わり、

子どもは米袋を抱えたまま、

売り場を離れていった。

数分後。

再び、米売り場。

今度は、

同じ子どもが、

母親と一緒に列の最後尾に立っている。

当然の顔だった。

特別なことではない、という態度。

列の後方にいた中年の男性が、

一歩、前に出る。

「すみません」

声は大きくない。

母親を見る。

「さっき、

 お子さんに買わせてましたよね」

母親は、一瞬だけ目を細める。

「……それが何ですか」

「ここ、

 一世帯一袋って書いてあります」

「もう一回並ぶのは、

 ダメじゃないですか」

周囲が、わずかにざわつく。

視線が集まり、

すぐに散る。

母親は、少し間を置いてから言った。

「この子、

 親戚の子です」

沈黙。

「同じ家族じゃありません」

誰も、

それを否定できない。

別の客が、小さく言う。

「……分からないよね」

「店員さんが決めることでしょ」

中年男性は口を閉ざすが、

列からは離れない。

そのとき、

列の外側から、

佐伯ミナが一歩近づいた。

買い物かごは空。

誰の味方にもならない位置。

「失礼します」

視線が集まる。

「今の話、

 事実だけ確認します」

声は、低く、一定だった。

「このお子さんは、

 先ほど一袋購入した」

「今、同じ売り場に、

 同じ大人と一緒にいる」

頷きが、いくつか返る。

「問題は、

 “親戚かどうか”ではありません」

張り紙を見る。

「この

 “一世帯”

 という言葉です」

「日本の小売では、

 一世帯は、

 同行している購入グループとして

 扱われることが多い」

「戸籍や財布は、

 ここでは確認できません」

「だから、

 一緒に来ているかどうかで

 判断されます」

母親が口を開く。

「でも、それは——」

「はい」

遮らずに続ける。

「法律ではありません」

「ですが、

 ここは裁判所ではない」

「ここはスーパーです」

列の空気が、少し固まる。

「この場の公平性は、

 店と、

 それを利用する人たちの

 共通理解で保たれています」

「今、

 二袋目を認めると」

「並んでいる全員が

 同じことをしても

 止められなくなります」

沈黙。

子どもが、

母親の服を引いた。

「……ママ」

「怒られたの?」

母親の表情が、

一瞬、揺れる。

何かを言いかけて、

やめる。

子どもの手を引く。

「帰るよ」

母子は、列を離れた。

誰も追わない。

誰も責めない。

列が、

静かに前へ進む。

中年男性が、

小さく頭を下げる。

「……ありがとうございました」

佐伯ミナは、首を振る。

「いいえ」

「誰が悪いかを

 決めただけでは」

「また、同じことが起きます」

それだけ言って、

彼女は列に並ばなかった。

米売り場を離れ、

惣菜コーナーの明かりの中へ消える。

佐伯ミナは、

私生活では、

他人の選択に干渉しない。

線を引かないことで、

距離を保つ生き方を選んでいる。

けれど、

それは「無関係」でいられる場合に限られる。

彼女が見ていたのは、

善悪ではない。

嘘か、本当かでもない。

日常の中で、

誰もが「自分は関係ない」と

通り過ぎてきた線。

それが、

静かに踏み越えられたとき、

誰が説明するのか。

次は、

自分が

問われる側になるかもしれない。

だから、

彼女は立ち止まった。

それを、

介入と呼ぶかどうかは、

人によって違う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コミュニケーション許可局 番外編|日常是正録 53歳おっさんテケナー @52saiossanTekenaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画