第3話「叱るという免罪符」



昼下がり。


商業施設の通路。


人通りは多く、


気の緩む時間帯。


佐伯ミナは、立ち止まってスマホを見ていた。


メッセージを確認し、


画面を閉じた、その瞬間だった。


視界の下で、


何かが跳ねた。


軽い影。


次の瞬間。


スカートが、持ち上がる。


子ども


「パンツ白ー!」


甲高い声。


周囲に、笑いが散る。


「こらっ!」


母親の声。


子どもの腕を引き、


強く叱る。


母親


「何やってるの!


 ダメでしょ!」


子どもは笑っている。


悪気はない。


“面白かった”という顔だ。


母親は、すぐに佐伯ミナへ向き直る。


母親


「すみません、本当に……


 この子、最近マセてて……」


謝罪。


形式は整っている。


佐伯ミナは、


スカートを直しながら、


何も言わない。


視線は、子どもではなく、


母親に向いていた。


母親は、子どもの頭を


ぱん、と叩いた。


音は軽い。


だが、確かに叩いた。


母親


「ダメって言ってるでしょ!」


子どもは、少し顔をしかめる。


母親


「晩ごはん抜きだからね!」


周囲の空気は、


「まあまあ」で流れ始めている。


しつけ。


教育。


よくある光景。


佐伯ミナは、


一歩、前に出た。


声は低く、


だが、はっきりしていた。


佐伯ミナ


「その行為、


 今すぐやめてください」


母親が、驚いて振り向く。


母親


「……え?」


佐伯ミナ


「子どもに対する


 頭部への打撃」


佐伯ミナ


「威圧を目的とした怒鳴り声」


佐伯ミナ


「食事を罰として取り上げる行為」


一つずつ、


淡々と列挙する。


佐伯ミナ


「それらはすべて、


 身体的・心理的制裁です」


母親


「ちょっと……


 しつけですから」


佐伯ミナ


「“しつけ”は、


 免責理由になりません」


母親の表情が、


強張る。


母親


「でも、この子が悪いことを――」


佐伯ミナ


「違います」


即答だった。


佐伯ミナ


「この子は、


 “してはいけない理由”を


 理解していません」


佐伯ミナ


「あなたは今、


 恥を感じた自分の感情を、


 罰という形で処理しています」


子どもは、


黙って二人を見上げている。


佐伯ミナは、


一度も子どもに視線を落とさない。


佐伯ミナ


「あなたが叱っているのは、


 子どもの行為ではありません」


佐伯ミナ


「“自分が恥をかかされた”


 という感情です」


母親の声が、少し荒れる。


母親


「じゃあ、どうしろって言うんですか!」


佐伯ミナは、


少しだけ息を置く。


佐伯ミナ


「今すぐ、


 この場で行うべきことは三つです」


佐伯ミナ


「一つ。


 身体に触れない」


佐伯ミナ


「二つ。


 声を荒げない」


佐伯ミナ


「三つ。


 “なぜいけないか”を


 事実として説明する」


母親は、言葉を失う。


母親


「……それじゃ、


 言うこと聞かなくなるじゃない」


佐伯ミナ


「“聞かせる”ことと、


 “理解させる”ことは違います」


佐伯ミナ


「恐怖で従わせた行動は、


 監視がない場所で再発します」


沈黙。


通路の音が、戻ってくる。


佐伯ミナは、最後に言った。


佐伯ミナ


「先ほどの行為について、


 私はあなたを通報しません」


母親が、息をのむ。


佐伯ミナ


「ですが、


 “正当な叱責だった”という


 認識は訂正してください」


佐伯ミナ


「それは、


 境界を越えています」


佐伯ミナは、


そこで初めて、子どもを見る。


目線は低く、


静かだった。


佐伯ミナ


「あなたは、


 悪いことをしました」


佐伯ミナ


「でも、


 殴られる理由にはなりません」


母親は、


子どもの肩に手を置いた。


今度は、叩かなかった。


佐伯ミナは、


一礼だけして、その場を離れる。


ナレーション


――ここは、コミュニケーション許可局。


子どもは、


社会の弱者であり、


感情の代償を支払う立場にない。


しつけという言葉は、


ときに暴力の


最も都合のいい衣装になる。


佐伯ミナは、


母親を裁いたわけではない。


子どもを救った英雄でもない。


ただ、


「越えてはいけない線」を


大人に向けて引いただけだ。


境界線は、


誰かを罰するためのものではない。


弱い立場の人間に、


恐怖が向かわないように


設置されるものだ。


ここは、コミュニケーション許可局。


大人の感情は自由だ。


だが、


子どもの尊厳は、


常に優先される。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る