第2話「境界線は、拒絶ではない」
夕方。
駅前のカフェ通り。
人の流れがゆるみ、
声が軽くなる時間帯。
佐伯ミナは、一人で歩いていた。
スマホは見ていない。
イヤホンもしていない。
警戒はしていない。
ただ、境界が開いていないだけだった。
そのとき。
「ねえ」
声。
軽い。
慣れている。
距離が近い。
男は、悪くなかった。
背は高く、清潔感もある。
服も、顔も、雑誌の中なら減点はされない。
いわゆる――イケメン。
ナンパ男
「俺の顔、悪くないよね?」
佐伯ミナは、立ち止まらなかった。
歩調を緩めただけで、答える。
佐伯ミナ
「“悪い”の定義を示してください」
男は一瞬、笑う。
ナンパ男
「え、そこ?
普通さ、
“そんなことないですよ”とかじゃない?」
佐伯ミナ
「質問の前提が不明確です」
ナンパ男
「前提?」
佐伯ミナ
「“顔の善悪”は主観評価です。
評価者と評価基準が提示されていません」
男は、少しだけ間を置く。
ナンパ男
「……頭いいんだね」
佐伯ミナ
「評価の必要はありません」
男は、歩調を合わせてくる。
距離は詰めない。
慣れている動きだった。
ナンパ男
「暇でしょ?」
佐伯ミナ
「私が“暇です”と言いましたか?」
ナンパ男
「いや、だって――」
佐伯ミナ
「“暇だ”と判断した根拠は?」
男は、少し困った顔をする。
ナンパ男
「一人で歩いてるし?」
佐伯ミナ
「一人=暇、
という因果関係は成立しません」
ナンパ男
「……理屈っぽいな」
佐伯ミナ
「事実です」
男は笑った。
ナンパ男
「でもさ、
こうやって話してるってことは、
ちょっとは興味あるんじゃない?」
佐伯ミナは、初めて立ち止まった。
振り返る。
視線は冷たくない。
ただ、正確だった。
佐伯ミナ
「それは誤認です」
ナンパ男
「え?」
佐伯ミナ
「私は“応答”しています。
“同意”はしていません」
ナンパ男
「……違いある?」
佐伯ミナ
「大きくあります」
佐伯ミナは、静かに続ける。
佐伯ミナ
「あなたは今、
“会話が成立している”ことを理由に、
“関係が許可された”と解釈しています」
ナンパ男
「……」
佐伯ミナ
「それは、
境界の誤読です」
男は、黙った。
少しだけ、
今までと違う顔をしていた。
同じ通り。
数分後。
男は、まだ立っていた。
去らなかった。
逃げなかった。
ナンパ男
「……さ」
佐伯ミナ
「はい」
ナンパ男
「俺、悪いこと言ってないよね?」
佐伯ミナ
「悪意は確認できません」
ナンパ男
「じゃあ、なんでダメなの?」
佐伯ミナは、少しだけ考える。
“説明する価値があるか”を測る沈黙。
そして、答えた。
佐伯ミナ
「あなたは、
“拒否されていない”ことを
“許可された”と解釈しています」
ナンパ男
「……普通じゃない?」
佐伯ミナ
「普通、という言葉は
責任を曖昧にします」
風が吹く。
街の音が戻る。
佐伯ミナ
「私は、
あなたを嫌っていません」
男の眉が、わずかに動く。
佐伯ミナ
「ですが、
あなたと関係を築く意思もありません」
ナンパ男
「……即答なんだ」
佐伯ミナ
「即答できない関係は、
始めるべきではありません」
男は、苦笑する。
ナンパ男
「手厳しいな」
佐伯ミナ
「明確です」
ナンパ男
「……正直さ、
今までこんな返され方したことない」
佐伯ミナ
「それは、
境界を言語化されてこなかっただけです」
男は、少し考えてから言った。
ナンパ男
「じゃあさ」
佐伯ミナ
「はい」
ナンパ男
「どうすれば“許可”取れた?」
佐伯ミナは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
考えたのではない。
過去をなぞっただけだった。
佐伯ミナ
「最初に、
“話しかけてもいいですか”
と聞いてください」
ナンパ男
「……それだけ?」
佐伯ミナ
「はい」
男は、息を吐く。
ナンパ男
「難しい時代だな」
佐伯ミナ
「安全な時代です」
男は、最後に笑った。
ナンパ男
「……勉強になった」
一歩、下がる。
距離が、元に戻る。
ナンパ男
「じゃ、
話しかけていいですか?」
佐伯ミナは、少しだけ間を置いて答えた。
佐伯ミナ
「今回は、不要です」
ナンパ男
「はは」
男は、去った。
軽く、
でも前より静かな足取りで。
ナレーション
――ここは、コミュニケーション許可局。
ナンパは罪ではない。
好意も、欲望も、否定されない。
だが、
“許可なき接触”は、
善意であっても侵入になる。
佐伯ミナは、
誰かを論破したわけではない。
誰かを見下したわけでもない。
ただ、
境界を言葉にしただけだ。
境界線は、
壁ではない。
それは、
通行証を求めるための線だ。
許可を取る者だけが、
先へ進める。
それだけの話である。
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