第2話 神の筆致、あるいは外科手術
アダムの生活は、再び「創作」という名の高熱に支配された。
彼は荒れたアパートのドアに鍵をかけ、世界との間に物理的な境界線を引いた。
イザベルの初期稿と向き合う。
それは、激情的な、しかし制御されていない心臓の鼓動だけが響く原稿だった。
*
アダムは、メスを入れる外科医のように、そのテキストを解体し始めた。
イザベルが描いた「社会への怒り」という生の感情。
それは物語の「心臓」であり、彼はその唯一の真実を決して消さなかった。
彼がしたのは、その心臓から熱い血を送り出すための、強靭な「動脈」と、全体重を支える「骨格」を、ゼロから組み上げることだった。
イザベルが単なる「被害者」として描いていた主人公に、アダムは「過去のトラウマからくる致命的な欠陥(キャラクター・フロー)」を与えた。
その欠陥こそが、観客の共感を呼ぶ人間的な弱さだと知っていたからだ。
散発的で、ただ叫ぶだけだった差別のシーンは、すべて主人公のその「欠陥」を抉り、成長を促すための試練として再配置された。
クライマックス前。
絶望の淵に立たされた主人公が、怒りによってではなく、皮肉にも自分を差別していた人物の(アダムが仕込んだ)ある言葉によって救われるという、「感情的なクリフハンガー」を挿入した。
深夜、改稿したファイルをリチャードだけに送る。
PCの青い光が、アダムの疲弊した、しかし満足げな顔を照らした。
(これは僕の物語ではない。だが、僕の血と肉だ。名誉が無くても、僕は最高の物語を生み出すことしかできない)
数日後、リチャードから返信が来た。
『完璧だ。ただし、D&Iの観点から修正が要る』
指示は、いつものように冷徹だった。
『クライマックスの白人男性の役割が大きすぎる。彼の救済を、イザベルのアイデンティティ(ラテン系)に関わる人物に置き換えろ。商業的に「分かりやすい」方がいい』
アダムは無言で、そのシーンを修正した。
芸術的なカタルシスは薄れ、政治的な正しさが挿入される。
彼の才能は、システムに最適化された「部品」として、恐ろしいほどの精度で機能していた。
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