第4話 世界一幸せな継母です!

 その夜、王が私の部屋を訪ねてきた。ノックはなかった。けれど、扉の外に“王がいる”気配だけは嫌というほど伝わってくる。

「……王妃」

 声をかけられ、扉を開けると、メイドが「ひぃ」と短く悲鳴を上げて逃げていった。……あ、ごめん。存在してて。

 王は、部屋の中に入ろうとせず、扉の前で立ち尽くしたままだった。まるで、あと一歩を踏み出す理由を探しているみたいに。

「王子が」

 王は喉の奥で言葉を詰まらせるようにしてから、続けた。

「……お前を、“ママ”と呼んだ」

「呼びましたね」

 私はできるだけ平坦に返した。声が震えたら、また悪魔の微笑みとセットで誤解される。王はゆっくり頷いた。

「……私は許した」

「許可制だったんですか」

 思わずいつもの調子で返してしまう。

「……父親は、そういうものだ」

 王は苦笑とも言えない表情で視線を逸らした。その横顔は昼間の“王”ではなく、ひどく不器用な“父”の顔だった。

「本当は……怖いのだ」

「何がです?」

「王子が私を置いていくことが」

 その言葉は刃物みたいに鋭くもなく、かといって軽くもなく、ただ胸の奥にずしんと落ちてきた。……ああ、この人も。

 私は思った。王子だけじゃない。この人も失うことに怯えている。

「置いていきませんよ」

 私は少しだけ声を柔らかくした。

「王子は“置いていく”んじゃなくて、“前に進む”んです」

 王が私を見た。

「お前は言い方が変だな」

「よく言われます」

 王は小さく息を吐いた。

「最近、王子が笑うようになった」

 それは報告のようで告白みたいな言葉だった。私は肩をすくめる。

「私は顔が怖いので、ギャグで殴るしかないんです」

 王は一瞬きょとんとしてそれから本当にほんの少しだけ、笑った。部下が見たら卒倒するレベルの奇跡の微笑み。

「……お前は強い」

「強くないです。泣かれてましたし」

「それでも逃げなかった」

 王は一歩、近づいた。近づくなと言いたいのに言えなかった。距離が縮まるのが怖くなかった。

「……王妃」

「はい」

「私は……お前を、誤解していた」

「城中全員がそうです」

「私もだ」

 王は深く息を吸ってから――

「……ありがとう」

 それは命令でもなく、王としての言葉でもなく、一人の父親として絞り出した言葉だった。私はつい口角を上げそうになって、慌てて押さえた。悪魔の微笑みになるから。

「どういたしまして」

 王はそれ以上何も言わず、踵を返した。扉が閉まる音が、静かに響いた。――その直後。

「ママ」

 廊下から聞き慣れた小さな声。振り向くと王子が立っていた。花輪はもう持っていない。代わりに昼間くれた組紐をぎゅっと握っている。

「どうしたの?」

「……ききたいこと」

「なあに」

 王子は少し考えてから、ぽつりと言った。

「……しあわせ?」

 私は一瞬だけ言葉に詰まった。世界一って簡単に言っていいのかな。泣かれて怖がられて、誤解され続けた人生だったのに。でも――今、ここにいる。

「うん」

 私ははっきり言った。

「世界一、幸せだよ」

 王子はにこっと笑って私の手を握った。その瞬間、気づいた。廊下の向こうでメイドが倒れずに見守っている。騎士団長がなぜか花を抱えて待機している。重臣が床に額を擦り付けている(それはやめろ)。……城が慣れてきてる。

 怖い顔でも黒いドレスでも悪役令嬢と呼ばれても。私はここに居ていい。この世界には、泣かないで私を見てくれる小さな王子がいて、花を持つくらいには変わった王がいて、そして私は黒いドレスの中でようやく“居場所”を見つけたのだから。


 ――数年後。

「ユリ王妃、笑顔の練習はほどほどに。クマが“怪異”になってます」

「ごきげんよう、アデル。……怪異は私の十八番よ」

「自慢しないでください」

 鏡の前で私が頬をつつくと、アデルが手際よくコンシーラーを滑らせる。昔は“ひぃ”と逃げていたメイドが、今は私のクマを叱る。人生とは実に面白い。ドアが開き、青年になった王子――ロンが駆け込んできた。

「母上! 僕のネクタイ、変じゃない?」

「変じゃない。……でも、気合い入れすぎて眉間にシワ寄ってるわよ。苦味の術が出てる」

「それはもう古い!」

 ロンが笑う。笑いながら私の顔をまじまじ見て、さらっと言った。

「僕、母上の顔、好きだよ」

 心臓が変な音を立てた。昔、泣かれてばかりだった私の顔を――“好き”と言う子がいる。

「……ロン、今さら言う?」

「今さらじゃない。ずっと思ってた。母上は怖くない。……格好いい」

 照れ隠しみたいに言って、ロンは廊下へ飛び出していく。その背中を見送る間もなく、今度は重い足音。

「ユリ」

 呼び捨て。いつの間にかそれが当たり前になっていた。王――ウィルが扉のところに立っている。昔より目が優しい。……悔しいけど、だいぶタイプになった。

「昨夜、また笑顔の練習をしていたな」

「……ばれた?」

「君は努力が顔に出る」

「ひどい」

「褒めている」

 ウィルが私の頬のあたりを指先でなぞるように見る。

「その顔が私は好きだ」

「なっ――!」

 アデルが口元を押さえて笑った。廊下の向こうで騎士団長が花束を落とした音がした(まだやってる)。私は咳払いして練習した“泣かれない笑顔”を作ってみる。……誰も泣かない。逃げない。倒れない。

 だから私は心の中じゃなく――ちゃんと声に出して言った。

「ごきげんよう。今日も世界一幸せな継母です」

 ウィルが眉を上げる。

「“今日から”ではないのか?」

「今日も、よ。――毎日更新です」

 ロンが廊下から顔を出して叫んだ。

「母上、その言い方好き!」

 私が笑うとみんなが笑った。――顔が怖いせいでずっと欲しかったもの。

 ここに全部、あったから。私は今、世界一幸せ者だ。

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ごきげんよう、今日から世界一幸せな継母です 日向マキ @hinata-maki

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