第2話 私:王妃、距離2メートルで子育てを開始する
その日の夜。私は王妃として与えられた豪華すぎる部屋で、ベッドの端に座り、深刻な顔で考えていた。
「詰んだ?」
冷静に状況整理しよう。私=悪名高い売れ残り令嬢(顔面闇属性)。王=死別した王女の夫、感情処理が壊滅的。王子=五歳、警戒心MAX、でも天使。城=全員、私を見ると息が止まる……これ、何かするだけで悪役扱いされない?
そんなとき、扉がノックされた。
「王妃さま……夕餉のご準備が……」
メイドの声が震えている。
「ありがとうございます。……あの、お願いがあるんだけど」
「は、はいっ!」
……遺言じゃないよ。
「王子の夕餉、同じ部屋で食べたいの。――でも、距離を取る。絶対」
「えっと?」
メイドは理解できていない顔をしたが、私が“王妃”だという肩書きがあるため、震えながら頷いた。
そして十分後。ダイニングに通されると、長いテーブルが待っていた。……リレーできそうね?
片側に王子。反対側に私。距離、約2mある。いや、もっとある。育児というより遠距離恋愛の会食だ。王子は椅子の上でちょこんと座り、例の“安全距離リング(花輪)”を握ったまま、じっと私を見ていた。……慎重でかんわいぃ!
私はゆっくり、笑顔にならない程度の「柔らかい表情」を作り、言った。
「夕飯、おいしそうだね」
王子はしばらく固まってから、小さく頷いた。
「うん」
……会話成立!
私はガッツポーズを心の中で決めた。しかし、そのとき――扉が開き、王が入ってきた。瞬間、部屋の空気が凍った。王は私と王子の席を見て、眉をひそめた。
「……何をしている」
「見ての通り、夕飯です」
「なぜそんなに距離がある」
私は言った。
「安全距離です」
王子が花輪を掲げた。
「これ、あんぜん」
王が固まった。私は説明した。
「王子がこれを持ってる間、私は近づかない契約です」
王のこめかみに、うっすら青筋が浮いた。
「……王妃が息子と契約?」
「はい。平和条約です」
……王、言葉の意味を理解するところから始まってるわ。
王は椅子に座り、低い声で言った。
「……お前は、息子を懐柔しようとしているのか」
「違います。怖がらせないようにしてるだけです」
「ではなぜ花輪だ」
「たまたま花瓶があったので」
王は黙ったまま、王子を見る。王子は花輪を握りしめ、私を見る。そこで、王子が言った。
「ママ、こわくない」
王が動揺した。
「ママ?」
……それは私じゃなくて亡き王女のことな気が! 王、早まるな!
だが王は完全に早まっていた。
「お前、何を吹き込んだ」
「何も吹き込んでません! 私は息を吐いていただけです!」
「息が怪しい」
……息まで疑われるとは。
私は内心で突っ込みながらも、王子に向かって言った。
「王子、食べましょう。冷めるわ」
王子はこくっと頷いて、スープを飲んだ。――瞬間。王子の眉がぎゅっと寄った。
「……にがい」
私の中の保育士魂が即座に反応した。……子どもは苦いの無理!
私は立ち上がりそうになって、すぐ止まった。契約は破らない。私は二メートル先から叫ばない程度の声で指示を出した。
「メイドさん! 王子のスープ、香草減らせる? あと蜂蜜ちょっと! 子どもには苦い!」
メイドが「はいっ!」と駆け寄ろうとして、私と目が合い、ビクッと止まった。……遅い、私の顔のせいで!
そのとき王が言った。
「……王子は甘やかしてはいけない」
私は反射で返した。
「いや、五歳は甘やかしていいです」
……しまった。説教くさくしないって誓ったのに、正論が出た!
私は慌てて言い直す。
「正確に言うと、甘やかすんじゃなくて、苦味がトラウマになると野菜界隈が負けます」
「……野菜界隈?」
王子が小声で言った。
「やさい、きらい」
……ほら!
王が低い声で言う。
「王妃。お前は、王子を“野菜嫌いの反乱者”にする気か」
「私は世界平和のために野菜界隈と交渉してます」
「意味が分からん」
王子が花輪を握ったまま、じっと私を見ていた。私は気づいた。……この子、私の変な言い回しを面白がってる!
そこで私はあえてふざけた。
「王子。今のスープは苦味の術がかかってる。解除するには……」
王子が身を乗り出した。
「眉間にしわ寄せるのをやめること!」
王子は一瞬固まり――ぷっ、と吹き出した。かわいい笑い声が部屋に落ちた。王が箸を止めた。メイドが口を押さえた。廊下の向こうで、誰かが「今、笑った……?」と呟いた気がした。……やった。
――しかし、問題はここからだった。王が私を見たまま低く言った。
「……お前は、息子を笑わせるのが得意なのか」
私は一瞬言葉に詰まった。……前世持ちとか言えない! 最初泣かれたし。
そこで私は、正直に言った。
「得意じゃありません。……泣かれてました」
王が目を細めた。
「笑うと悪魔の微笑みって言われて」
王は一瞬だけ沈黙した。そして――。
「分かる」
小声に思わず動揺した。王は視線を逸らしながら続けた。
「私も笑うと部下が怯える」
……似た者親子じゃん!
王子が言う。
「パパ、こわい」
この家、顔面が原因で家庭崩壊しかけてる。そのとき、メイドが苦味を調整したスープを持ってきた。王子が飲む。
「……おいしい」
私は勝利した。しかし同時に、廊下の向こうから複数の囁き声が聞こえてきた。
「王妃が王子を笑わせたって……」
「王まで固まったって……」
「黒いドレスで“苦味の術”……新手の呪い……?」
……待って待って待って。呪術師扱いされてる?
王はため息をつき、低い声で言った。
「……城中が騒いでいる」
「やめてください。私の評判、これ以上落ちると地下に突き抜けます」
王子が花輪を握ったまま、こそっと言った。
「……ママ、へんなひと」
私は笑いたくなった。でも笑うと悪魔の微笑みになるので、声だけ笑った。
「うん。変な人だよ」
王子が、また小さく笑った。その瞬間、扉が勢いよく開いた。
「失礼いたします!」
騎士団長っぽい男が飛び込んできた。
「王妃さまが王子殿下に“呪いの契約”を結ばせ、王を涙に追いやったと聞き――」
「涙に追いやってません!」
王が低い声で言った。
「……誰が泣いた」
「はい! 城内では王が泣いたと」
王が怪訝そうな目線を向ける。……終わったぁ。
王子が花輪を掲げて言った。
「これは、あんぜん」
騎士団長は花輪を見て固まった。
「……花?」
王が低く言った。
「出て行け」
「は、はいっ!」
騎士団長が退室する瞬間、廊下の奥にいたメイドたちが一斉に身を引くのが見えた。……誤解が、誤解を呼んでるわ。
王は深く息を吐いて言った。
「王妃」
「はい」
「城中の誤解を解け」
「無理です。私は存在してるだけで怖がられます」
王子が言った。
「……じゃあ、ぼくがいう」
私と王が同時に見た。
「え?」
王子は花輪を胸に抱えて、小さな声で言った。
「ママ、こわくない」
王の顔がほんの少しだけ揺れた。私の胸もぐっと熱くなった。……泣きそう。
しかし私はすぐに自分を叱った。……説教も感動も後から勝手に来い! 今はコメディだ!
私は咳払いして言った。
「じゃあ明日は城中の前で“安全距離リング講習会”を開こうか」
王が即答した。
「やめろ」
王子が笑った。廊下の向こうで誰かが叫んだ。
「王子殿下の笑い声が聞こえた!」
「王妃さま、ついに王子殿下を支配」
「黒いドレスの呪術が――!」
……だから違うって!
私は心の中で叫びながら確信していた。この城、絶対これからもっと大変になる。
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