第7話 第三防衛線
四十九分。
神奈川が落ちれば、首都圏の血管が切れる。
優しさで動くんじゃない。
放っておけば、後で俺が損をする。
だから動く。
視界に、赤い通知。
【緊急クエスト発生:国土防衛】
【第三防衛線:神奈川湾岸】
【発生まで:00:49:10】
俺は即座に《クエスト詳細》を開いた。
【第三防衛線:神奈川湾岸】
【発生地点:川崎市川崎区 浮島町公園】
【目標:ダンジョンコアを鎮圧せよ】
【制限時間:30:00】
【失敗条件:制限時間の経過/外界への侵入許容量超過】
浮島町公園。
アクアラインの出口に近い、海沿いの公園だ。
――なるほど。
東京と千葉で人を煽って、次は道路と物流の首を締めに来る。
台本は崩れてる。
でも、嫌がらせの方向はわかる。
白石芽衣が、乾いた声で言った。
「……川崎、ですか。私たち、また……」
「まただ」
俺はハンマーの柄を握り直す。
恐怖はコスト。
払うなら最小限でいい。
◇
出発前に、“留守番”だけ増やす。
俺は《ゲート管理》を開いて確認した。
潮風公園。
【入場条件:当面の間、単独入場のみ許可】
【入場条件:誓約】
【違反時:報復(自動)】
幕張海浜公園。
【入場条件:当面の間、単独入場のみ許可】
【入場条件:誓約】
【違反時:報復(自動)】
よし。
あとは勝手に動く。
ルールは置いた。俺は行く。
問題は移動手段だ。
タクシーを探す時間はない。
だから――敵の資産を使う。
さっき喉を痙攣させた連中が、まだ公園の端で揉めていた。
折れた手首を抱えた男が、仲間に支えられている。
俺が近づいた瞬間、男が口を開く。
たぶん「殺す」とか、その類だ。
そこで、喉がひくりと跳ねた。
「ごっ……げほっ……!」
声にならない。
咳き込んで、膝をつく。
周りの空気が一段だけ冷える。
――誓約違反。
“脅迫”は、もうこのゲートじゃできない。
俺は男の足元に視線を落とした。
キー。
車のキーだ。
俺が指を差しただけで、男は理解して顔を歪める。
反抗しても、今度は喉が終わる。
仲間も同じだ。
男は悔しそうにキーを投げてきた。
黒いワゴン。
荷台が広い。
ちょうどいい。
俺は白石の手首を掴み、運転席へ押し込む。
「シートベルト。窓は少し開けろ」
「……はい」
返事が小さい。
怖いのは当然だ。
だから、怖いまま動かす。
◇
狙うルートは一つ。
東京を貫くと渋滞で死ぬ。
だから南へ落ちる。
東関道。
木更津。
アクアライン。
川崎。
“ゲートを見に行く”群れの流れと逆。
道路は思ったより空いていた。
人間は一斉に同じ方向へ動く。
同じ方向へ動く群れの横を抜けるのは、簡単だ。
ラジオは、狂ったみたいに同じ言葉を繰り返す。
『——正体不明の“門”が——』
『——政府は現在、原因を調査中——』
調査中。
便利な言葉だ。
でも、時間は返ってこない。
白石が窓の外を見たまま、ぽつりと言った。
「……私、さっきの人たちの車……」
「囲い込みの代償だ」
「……代償」
「放置したら、次は人を奪う。だから先に奪う」
白石は何も言わない。
納得はしてない。
でも、理解しようとしている。
それで十分だ。
やがて、海が見えた。
アクアラインの入口。
路肩に止めて海を撮る車が数台ある。
――今日、止まる場所はそこじゃない。
料金所を抜けて、海の上へ。
窓の向こうの東京湾が、妙に静かだった。
静かすぎて、不気味だ。
視界の端で、通知が点滅する。
【侵入者検知:通知】
【潮風公園ゲート:誓約違反(脅迫)】
【報復(自動):発動】
黒崎か。
似たような小物か。
どっちでもいい。
ルールは勝手に動く。
それが、俺の“留守番”だ。
◇
川崎に入った瞬間、空気が変わった。
潮の匂いが薄れて、油と鉄の匂いが混じる。
視界の端が歪む。
前兆。
浮島町公園に着いた時、残りは十分を切っていた。
【発生まで:00:08:42】
間に合った。
公園は思ったより人がいる。
釣り竿。
カメラ。
双眼鏡。
飛行機の撮影だ。羽田が近い。
そして今日という日は、“門”も撮りたい。
俺は白石の肩を押し、堤防の陰に入れた。
「白石。ここから動くな。俺が呼ぶまで、回復も浄化も使うな」
「……わかりました」
その返事が終わる前に、空気が裂けた。
曇り空が一瞬だけ黒く沈む。
耳の奥がキーンと鳴る。
鉄錆の匂いが濃くなる。
そして。
海沿いの遊歩道の上に、黒い長方形が現れた。
第三の
悲鳴。
後退。
――でも、スマホは上がる。
現代はそういう生き物だ。
ゲートの縁から黒い霧が漏れる。
霧の中で、羽ばたきの音。
次の瞬間。
黒い影が、まとめて飛び出してきた。
鳥。
……いや、鳥の形をした“刃物”。
翼の先端が金属みたいに硬い。
嘴が細く尖って、光を吸う。
目だけが不自然に赤い。
《錆喰い鴉》。
前世でも港湾系で見た。
弱い。
だが、群れる。
目を狙う。
初心者を一番殺すやつだ。
俺はハンマーを振り上げる。
飛び込んできた一羽の翼を叩き落とす。
ガン、と金属音。
鴉が地面を転がり、黒い血を撒いた。
【討伐:錆喰い鴉】
【経験値+9】
後ろで誰かが叫んだ。
「ぎゃああっ! 目が! 目がぁ!」
カメラを構えていた男が、顔を押さえてしゃがみ込んでいる。
鴉が眼球を狙った。
俺は舌打ちしそうになる。
だが、放置は損だ。
死者が増えれば救急が増える。
パニックが増える。
道路が死ぬ。
首都圏が死ぬ。
俺は男の前に滑り込み、ハンマーを水平に振った。
鴉の首が折れる。
男が震えながら俺を見上げた。
「た、助かった……」
「動くな。目を閉じろ」
白石に叫ぶ。
「白石! 一回だけ!」
「……はい!」
白石が駆け寄り、男の目元に手をかざす。
淡い光。
《小治癒》。
出血が止まり、痛みが引く。
視界が戻るかは運だが、今死ぬよりマシだ。
白石は息を吐いて、すぐ俺の背中へ戻った。
命令を守れるヒーラーは強い。
鴉はまだ出る。
数が多い。
俺は最短で“湧き口”を潰す。
ゲートの縁に寄る。
霧の濃い場所――そこに叩き込む。
叩く。
叩く。
叩く。
羽が舞う。
黒い血が散る。
そして、赤い通知。
【緊急クエスト:国土防衛】
【第三防衛線:神奈川湾岸】
【目標:ダンジョンコアを鎮圧せよ】
【制限時間:30:00】
始まった。
外で遊んでる時間はない。
「白石。行く」
「はい」
俺は彼女の手を引き、ゲートへ踏み込んだ。
◇
白い部屋じゃない。
暗い。
コンクリートの匂い。
油。
湿った鉄。
頭上に、オレンジ色の街灯みたいな光が点々と浮いている。
そして――高い。
見上げるほどの柱。
橋脚。
何層にも重なるスロープ。
巨大なジャンクションの裏側。
現代の構造物が、そのままダンジョンに飲み込まれている。
嫌なタイプだ。
タイマーが既に削れている。
【残り時間:28:48】
外で一分ちょい使ったか。
――いい。まだ勝てる。
俺は白石を壁際へ寄せる。
「右手で壁を触って進め。足元は油で滑る。転ぶな」
「……はい」
水音じゃない。
ぬる、とした粘りの音。
ヘッドライトの輪の中に、細い線が走った。
糸――いや、ワイヤーだ。
次の瞬間、黒いワイヤーが俺の足に絡みつく。
引かれる。
上だ。
天井の梁に、何かが張り付いている。
蜘蛛。
いや、蜘蛛の形をした鉄骨。
脚が鉄筋みたいに細く硬い。
胴体がコンクリートの破片で覆われている。
《鉄骨蜘蛛》。
絡めて落として、群れで噛む。
初見殺しの代表。
俺はバールを抜き、ワイヤーを切り裂いた。
火花。
嫌な金属音。
蜘蛛が落ちてくる。
狙いは首。
俺は半歩ずらし、ハンマーを叩き込んだ。
ガン。
硬い。
砕けない。
だが、衝撃は通る。
脚が一本折れ、体勢が崩れる。
そこへ追撃。
ガン、ガン。
胴体に亀裂が走り、黒い液が漏れた。
【討伐:鉄骨蜘蛛】
【経験値+14】
【ドロップ:魔石(小)×2】
【ユニークスキル《損益配分》:発動可能】
→【自分】/【保留】/【対象指定】
俺は【保留】。
今レベルが上がっても、敵は減らない。
白石が震える声で言った。
「……蜘蛛、が……」
「まだ来る」
俺は天井を睨む。
光の外側に、赤い目がいくつも光っていた。
巣だ。
そしてさらに奥。
柱の間に、赤黒い脈動が見える。
コア。
近い。
だが――その前に、影がある。
蜘蛛よりでかい。
柱を一本、抱え込めるサイズ。
脚の数が、ありえない。
赤い警告が、嫌なタイミングで点滅した。
【警告:外界への侵入許容量 上昇】
……来る。
俺はハンマーを握り直し、白石にだけ聞こえる声で言った。
「白石。浄化は温存。俺が噛まれたら、すぐ使え」
「……はい」
赤黒い脈動の前で、巨大な影がゆっくり動いた。
鉄骨の脚が床を叩き、火花が散る。
低い振動が腹に響く。
蜘蛛の王だ。
視界に、赤い文字が浮かんだ。
【出現:鉄骨蜘蛛(橋脚の女王)】
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