第5話 第二防衛線
視界が赤く染まった。
【緊急クエスト発生:国土防衛】
【第二防衛線:千葉湾岸】
【発生まで:01:07:32】
――早い。
前世の台本なら、千葉が燃えるのは明日だ。
今日この時間帯に「第二」は存在しない。
だが、俺の記憶より、システムの方が“今”に正しい。
俺は《クエスト詳細》を開いた。
【第二防衛線:千葉湾岸】
【発生地点:千葉市美浜区 幕張海浜公園】
【目標:ダンジョンコアを鎮圧せよ】
【制限時間:30:00】
【失敗条件:制限時間の経過/外界への侵入許容量超過】
幕張海浜公園。
海。
開けた場所。
人が集まりやすい。
最悪の条件が揃っている。
白石芽衣が、乾いた声で言った。
「……私たち、行くんですか?」
「行く。俺が行かないと、死ぬ人数が増える」
優しさじゃない。
損得だ。
ここで千葉が落ちると、港と物流が死ぬ。
首都圏の首が締まる。
日本を立て直す前に、日本が窒息する。
だから――行く。
◇
出発の前に、俺は《ゲート管理》を開いた。
幕張へ行く間、潮風公園のゲートを放置するのは損だ。
外資も半グレも、必ず嗅ぎつける。
最低限の“抑止”は、もう置いてある。
念のため確認して、足りない分だけ足す。
【入場条件:当面の間、単独入場のみ許可】
【入場条件:誓約】
【内容:暴力・脅迫・窃盗・囲い込み行為の禁止】
【違反時:報復(自動)】
次に、侵入者検知。
黒崎は優先対象のまま。
――問題は、黒崎の“外側”だ。
前世で最初に動いたのは、組織だった連中だった。
顔は覚えている。だが、今はまだ確証がない。
だから“兆候”で拾う。
【侵入者検知:ON】
【通知条件:群集形成/撮影機材の複数所持/武器様の携行品】
雑だが、ないよりマシだ。
白石が恐る恐る聞く。
「……今のって、設定を変えたんですか?」
「留守番のための鍵だ。ここを取られると、国が死ぬ」
白石は黙って頷いた。
口が軽くない。賢い。
俺はバッグを閉じ、彼女に装備を投げる。
「ヘッドライト。手袋。水は一本だけ持て。走るから」
「……私、戦えないですよ」
「戦わなくていい。仕事は“死なない”ことだ」
白石は唇を結び、手袋をはめた。
覚悟の仕草だ。
◇
外へ出た瞬間、街が騒音で膨らんでいるのがわかった。
救急車のサイレン。
ヘリのローター。
誰かの怒鳴り声。
スマホの通知音。
人間が一斉に“情報”へ群がる音だ。
俺はスマホを見ない。
見るべきものは、もう目の前に出ている。
【発生まで:01:05:54】
カウントは淡々と減る。
移動手段は三つ。
電車。
車。
足。
電車は一番早いが、止まるリスクが高い。
門の映像が回れば、駅は詰まる。安全確認で止まる。警察の要請で止まる。
足は確実だが、間に合わない。
残るのは車。
渋滞が敵だ。
……だから、渋滞の外で拾う。
俺は白石を連れて大通りへ出た。
タクシーは捕まらない。来ても停まらない。
運転手も生き残りたい。
今、海沿いに近づくのは自殺だと本能でわかっている。
なら、金で殴る。
信号待ちで止まった個人タクシーの窓を叩き、札束を見せた。
「幕張まで。今すぐ。現金で払う」
運転手が眉をひそめる。
「……兄ちゃん、正気か? 門が出たって——」
「門に近づかないルートで行く。指示は俺が出す。途中で降りてもいい。その時点まで払う」
運転手は迷ってから、ため息を吐いた。
「……乗れ。変な客は慣れてる」
後部座席に白石を押し込み、俺も乗り込む。
「シートベルト。窓は少しだけ開けろ。気分が悪くなったら吐け」
「……はい」
返事が小さい。
怖いのは当然だ。
だから、怖いまま動かす。
◇
俺は運転手にルートを投げる。
「湾岸線は捨てる。下で行く。葛西、浦安、舞浜。そこから京葉道路」
「なんでそこまで言い切れる」
「俺は、損したくないからだ」
運転手が苦笑する。
「そりゃそうだ」
予想通り、湾岸線は早々に死んでいた。
臨海副都心の入口で警察車両が車線を絞っている。
潮風公園に近づけないように、流れを強制的に変えている。
車内のラジオが、同じニュースを繰り返す。
『——東京都内で確認された“門”のような物体について——』
浦安に入ったところで、道路脇のコンビニがすでに荒れているのが見えた。
水の棚が空。
パンの棚が空。
前世より早い。
人間の学習速度が上がっている。
悪いことじゃない。
学習が早いなら、国も立て直せる。
俺はカウントを確認する。
【発生まで:00:38:59】
間に合う。
白石が小声で聞いた。
「……幕張に着いたら、どうすれば」
「俺の背中から離れるな。治療は命令があってから。勝手に“助けに行く”な」
「……わかりました」
素直だ。
だから生き残れる。
俺は続けた。
「もし俺が倒れたら、お前は逃げろ」
「……え?」
「冗談じゃない。回復役が死ぬと、未来が詰む。俺一人の命より、お前の方が“利益”が大きい」
白石の指が膝の上で強く握られる。
「……でも、私は——」
「今は黙れ。考えるのは生き残ってからだ」
白石は唇を噛み、頷いた。
◇
幕張の表示が見えた瞬間。
空気が、また変わった。
潮の匂いが薄れ、鉄錆と湿った土が混じる。
視界の端が歪む。
運転手が声を上げた。
「おい……なんだアレ……!」
海側の空に、黒い長方形が現れる。
第二の
車が一斉に減速する。
路肩へ寄せる車もいる。スマホを掲げて降りる馬鹿もいる。
俺は短く命令する。
「路肩。ハザード。ここで降りる」
「金は——」
「払う。生きて帰れ」
札束を一掴み投げる。
運転手が受け取り、喉を鳴らした。
「……あんた、何者だよ」
「ただの社畜だ」
嘘じゃない。
“だった”だけだ。
俺は白石の手首を掴み、車外へ引きずり出す。
「走るぞ」
「はい!」
◇
幕張海浜公園は、すでに騒ぎになっていた。
悲鳴。
配信。
警察の拡声器。
だが、潮風公園より警察が薄い。
初動が遅れている。
俺はゲートへ近づきながら、《クエスト》のタイマーを睨む。
【第二防衛線:制限時間 30:00】
始まった。
ゲートの縁から黒い霧が漏れる。
霧の奥で、何かが蠢く。
最初に出てきたのは、泥喰い犬じゃない。
細長い影。
濡れた毛。
長い尻尾。
ネズミだ。
だが、犬よりでかい。
前世の記憶が、名前を吐き出した。
噛まれたら終わる。
感染じゃない。呪いだ。体力をごっそり削る。
白石が声を失う。
「……っ」
「見るな。足だけ見ろ。足の向きで動きが読める」
俺はハンマーを構え、跳んできた一体を叩き落とす。
ぐしゃ。
【討伐:湾岸鼠】
【経験値+7】
……経験値が違う。
前世の初期個体より、少しだけ高い。
嫌な予感がした。
台本が崩れているなら、敵も“強く”なる。
ゲートの縁から、二体、三体。
群れで出てくる。
俺は白石を背後の柱へ押し込む。
「そこから動くな。呼吸だけ整えろ」
「……はい」
白石の声が震えていない。
成長が速い。
俺は群れを処理しながら、周囲も見る。
人間が近づいてくる。
バット、鉄パイプ、釣り竿。
武装した一般人――いや、最初からその手の連中だ。
前世の最悪のパターンが、頭をよぎる。
ゲートを囲う。
入場料を取る。
回復役を奪う。
白石の価値に気づかれた瞬間、終わる。
俺は低い声で言った。
「白石。マスクを上げろ。顔を隠せ。目立つな」
「……はい」
その時。
武装した男の一人が、白石を見て笑った。
「お、女いるじゃん。連れてけよ」
――来た。
潮風公園なら《報復》で止められる。
だが、ここは俺の管理外だ。
つまり、法律もシステムも頼れない。
頼れるのは、俺の手だけだ。
俺はハンマーを持ったまま、男の前に出る。
「一歩でも近づいたら、歯を折る」
男が鼻で笑う。
「なんだよ、ヒーロー気取りか? 門の中で強くなったのかよ」
図星だ。
だが、答える必要はない。
俺は足元の石を拾い、男のバットへ投げつけた。
カン、と乾いた音。
バットがわずかに弾かれた瞬間――俺は距離を詰める。
膝。
肘。
手首。
武器を握れない角度へ、最短で折る。
「がっ……!」
男が崩れた。
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