第2話 第一防衛線
第2話 第一防衛線
扉の向こうから――獣の息がした。
湿った土。鉄錆。生き物の体温。
俺は工具箱に偽装したバッグの留め具を外し、ヘッドライトを額に固定する。手袋を締め、ハンマーの柄を握り直した。
怖くないと言えば嘘になる。
だが、恐怖はコストだ。払うなら、最小限でいい。
俺は息を吐き、扉をくぐった。
◇
暗い。
潮風公園の海とは違う、じっとりした闇。洞窟だ。天井は低く、壁は濡れて光を吸い込んでいる。足元の地面は粘土みたいに柔らかく、靴底がぬぷ、と沈んだ。
ヘッドライトの輪が揺れ、通路の先を照らす。
その光の端に、反射が二つ。
目。
低い唸り声。
――来る。
俺は一歩引いて重心を落とし、ハンマーを横に構えた。走り込みの勢いに合わせて振るうんじゃない。相手の突進を、俺の“芯”にぶつけさせて、崩す。
黒い影が飛び込んできた瞬間。
俺は半歩だけずらし、首の付け根へ叩き込む。
鈍い音。
骨が砕ける感触が、柄から手に伝わった。
影は壁にぶつかって跳ね、痙攣して動かなくなる。
犬……じゃない。犬に似た、皮膚の薄い獣。毛はまばらで、鼻先が異様に長い。
そして、口の端から垂れる泡が――土色だ。
俺は確信する。
初期モンスター《泥喰い犬》。
前世で何度も見た。群れる。噛む。弱いくせに、油断した初心者を一番殺すやつだ。
宙に文字が浮かぶ。
【討伐:泥喰い犬】
【経験値+8】
【ドロップ:魔石(小)×1】
続けて、赤い通知。
【緊急クエスト:国土防衛】
【第一防衛線:東京湾岸】
【目標:ダンジョンコアを鎮圧せよ】
【制限時間:30:00】
【失敗条件:制限時間の経過/外界への侵入許容量超過】
……なるほど。
このダンジョン、外に“溢れる”仕様か。
前世の台本より早い。だが、内容自体は想定内だ。
俺は足元の死体を蹴って通路の奥を見る。空気が微妙に流れている。奥に広い空間がある。
ここで悠長に構えている時間はない。
俺は小声で呟いた。
「最短でコアを叩く」
ヘッドライトの角度を調整し、壁沿いに走り出す。
◇
初期ダンジョンは、基本がすべてだ。
・光を確保する
・足場を読む
・音を拾う
・“疲れる前に”終わらせる
強い奴ほど、この四つを徹底している。
通路の分岐が見えた。左は広いが、地面が黒い。ぬかるみじゃない。油っぽい――泥沼トラップだ。
右は狭い。だが、壁が乾いている。
俺は迷わず右へ。
背後で、ぴちゃり、と何かが落ちる音。天井だ。
落下してきた土塊が、俺の肩を掠める。
遅い。
振り向きざま、ハンマーで叩く。
ぐしゃ。
土の塊が潰れ、粘液が散る。
【討伐:潮泥スライム】
【経験値+6】
スライムは、潰して終わりじゃない。芯がある。
俺は潰れた土の中に手を突っ込み、硬い核――拳大の魔石をつまみ上げる。
【ドロップ:魔石(小)×1】
その瞬間、文字が追いかけるように出た。
【ユニークスキル《損益配分》:発動可能】
【取得した利益(経験値/ポイント/ドロップ)を配分しますか?】
→【自分】/【保留】/【対象指定】
俺は即座に【保留】を選んだ。
理由は単純だ。
この先、誰に投資するかは“現物”を見て決める。感情じゃない。利益率だ。
……そして、もう一つ。
自分のレベルアップを、今この瞬間に確定させる必要もない。
戦闘中のステータス変化は、思考の邪魔になる。変えるのは、場が落ち着いてからでいい。
俺は魔石をポーチへ放り込み、また走る。
◇
通路の先が開けた。
小さな広間。
壁際に、骨が転がっている。人間のものじゃない。動物――いや、何かの“残骸”だ。
その中央に、脈打つように光る石があった。
赤黒い。心臓みたいに、どくん、どくんと脈を打っている。
ダンジョンコア。
だが――近づいた瞬間、地面が揺れた。
広間の奥の影から、四つの目が光る。さっきの泥喰い犬より一回り大きい。
群れだ。
しかも、動きが揃っている。統率されているタイプ。
先頭が、唸り声を上げた。
俺はすぐに理解する。
ボス個体だ。
群れの中の一体だけ、首に硬い骨の輪みたいなものを巻いている。角質化した皮膚。――初期ボス《泥喰い犬(群れの長)》。
制限時間が頭をよぎる。
逃げて迂回? 無理だ。ここを抜けないとコアに届かない。
俺はハンマーを持ち替え、左手に小型バールを構えた。
「来い」
長が先に飛ぶ。
こいつは噛みつきから入る。狙いは喉か、太腿。初心者を一撃で動けなくするためだ。
俺は一歩も引かない。
噛みつきの瞬間、口が開いた。
そこへ、バールを突っ込む。
梃子だ。
顎をこじ開け、噛む力を殺す。
長の体勢が崩れた。
その“一拍”に、ハンマーを振り下ろす。
頭蓋に叩き込み、沈める。
長が崩れ落ちた。
――同時に、群れの動きが乱れる。
統率が消える。あとは作業だ。
俺は最短の順で処理する。
右から来た個体の前脚を叩く。転ばせる。
左から来た個体の鼻先を潰す。呼吸を奪う。
背後へ回ろうとした個体は、壁に押し付けてバールで喉を裂く。
血が飛ぶ。泥と混ざって、黒くなる。
最後の一体が動かなくなった時、俺の呼吸は乱れていなかった。
“基礎身体強化”は伊達じゃない。
そして、前世の十年はもっと伊達じゃない。
【討伐:泥喰い犬(群れの長)】
【経験値+30】
【ドロップ:魔石(中)×1】
【称号:《初陣の勝者》を獲得】
称号が増えたのは想定外だが、悪くない。
俺は死体を跨ぎ、コアの前に立つ。
脈打つ光が、俺を見上げているように錯覚する。
――壊す。
迷いはない。
バールを振り上げ、突き刺す。固い。だが、芯を捉えた瞬間、ひびが走る。
俺はハンマーで追撃した。
何度も。
叩くたびに、洞窟全体が呻く。
そして。
ぱん、と何かが弾けたような音がして、赤黒い光が霧散した。
【目標達成:ダンジョンコア鎮圧】
【緊急クエスト:国土防衛 成功】
【報酬:スキルポイント+3】
【報酬:魔石(中)×3】
【報酬:
【称号:《第一防衛線の守護者》を獲得】
……来た。
前世で、日本が失ったもの。
“最初の権限”。
外資がゲートを押さえ、入場管理と資源を握り、警備を名目に土地を囲い込んだ。政治は後追いで、現場は荒れた。
だから、今回は逆だ。
俺が先に押さえる。
俺の都合がいいからじゃない。
日本の都合がいいからだ。
画面が切り替わる。
【ゲート管理】
・入場条件設定
・侵入者検知
・ドロップ課税(未解放)
・ダンジョン保護(未解放)
最低限の機能だけ、今すぐ使えるらしい。
俺は一瞬だけ考え、入場条件に触れた。
――ここで締めるのが一番安全だ。
だが、締め切ると、外の人間がパニックになる。警察も行政も、まず“説明”を求めてくる。面倒が増える。
損得で見るなら、段階が必要だ。
俺は条件をこう設定した。
【入場条件:当面の間、単独入場のみ許可】
【備考:安全確保のため、同時入場数制限】
これなら、“安全”という名目が立つ。群衆の突入事故も防げる。
そして何より、外資のチームや半グレ集団が徒党で乗り込むのを止められる。
俺は画面を閉じ、息を吐いた。
タイマーを見る。
【残り時間:12:47】
余裕はないが、間に合う。
俺は来た道を引き返した。
◇
白い部屋に戻り、最初の扉から外界へ。
次の瞬間、耳が痛くなるほどの喧騒が襲ってきた。
潮風公園。
さっきまでの“いつも通り”は、もうない。
悲鳴。怒号。サイレン。ドローンの羽音。スマホのシャッター音。遠くでヘリのローター。
ゲートの周囲には、ざっと見ただけで数百人が集まっていた。警察らしき制服もいるが、数が足りない。ロープを張っても、押し寄せる好奇心の方が強い。
俺は帽子のつばを下げ、マスクを深くして、群衆の端をすり抜ける。
視線が刺さる。
血の匂いと泥の匂いをまとった男が出てきたら、そりゃ目立つ。
……だが、ここで捕まって説明会を開く気はない。
俺は人混みを避け、海沿いのベンチの方へ回った。
そこで、見覚えのある背中を見つける。
さっき移動させた老人だ。
ベンチに座り込み、震える手でカイロを握りしめている。周りには、同じように顔色の悪い人間が何人もいた。
そして、その中心で。
若い女性が、倒れた男の首元を押さえながら指示を飛ばしていた。
「息してます! 脈は弱いけどある! 誰か、水――飲ませないで! 誤嚥する!」
救急の知識がある動き。制服じゃない。たぶん医療職か、救命講習を受けてる。
前世の記憶が、名前を弾き出した。
白石(しらいし)芽衣。
元・看護師。
十年後、最前線の“回復役”として名を残すはずだった女。
――前世では、ここで死んだ。
ゲート前の将棋倒しに巻き込まれて。
俺は舌打ちしそうになるのを飲み込み、彼女の隣へしゃがみ込んだ。
「手伝います。これ、救急キット」
「えっ……あなた、どこから……」
俺は答えない。
説明は後だ。今は命が先。
俺は整腸剤ではなく、救急キットの中の簡易マスクと手袋を取り出し、倒れた男の呼吸を確認する。過呼吸気味。パニック発作に近い。
「大丈夫。息を吐かせる。吸うより、吐く」
白石が俺の指示を一瞬で理解して、頷いた。
この女、頭が回る。現場慣れしてる。
その時。
白石の目が見開かれた。
視線が、宙を追う。
「……え? なに、これ……」
来た。
適合判定。
彼女の前に、俺と同じ“文字”が見えている。
白石の唇が震える。
「見えてる……私の名前……」
俺は、すぐに耳元で囁いた。
「落ち着いて。選択肢が出ても、慌てて押すな。質問が来たら、全部“はい”でいい」
「は、はい……」
彼女は呼吸を整えながら、頷いた。
――投資対象として、十分だ。
俺は、心の中で《損益配分》を開く。
保留していた利益が、山のように積まれている。
経験値。ポイント。魔石。
全部を渡す気はない。
だが、初期の一歩だけで、人は未来を変える。
俺は配分先に、白石芽衣を指定した。
【《損益配分》】
【対象:白石 芽衣】
【配分:経験値30/スキルポイント1】
――これで、彼女は“生き残る側”に立てる。
白石が、息を呑んだ。
「……レベル、が……上がった……?」
俺は頷く。
「今はそれでいい。次。スキル選択が来たら、回復系が見えたら取れ。迷うな」
白石は、こわばった顔のまま、強く頷いた。
その瞬間。
背後の喧騒の中で、聞き覚えのある声が混じった。
「――時南?」
喉の奥が冷えた。
振り返ると、人混みの向こうで、黒崎がこちらを見ていた。
顔に浮かぶのは、驚きと――すぐに塗り替わる、いやらしい笑み。
俺の視界の端で、赤い通知が小さく点滅した。
【称号:《報復者》:条件達成候補を検知】
……早いな。
黒崎は、もう“敵”として動き始めている。
俺は白石に背を向けないまま、静かにハンマーの柄を握り直した。
表に出ない形で潰す。
そのタイミングが――予定より前倒しになるだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます