一切れのメロン

@kumehara(カクコン11応援)

第1話

 至極どうでもいい話だが、私はメロンが苦手である。


 芳醇な香り、瑞々しい弾力、品のある甘さ。好きな方々に問えば「そこが良いんでしょ」と当たり前のように返されるであろうメロンの魅力が、ことごとく私には刺さらないのだ。食わず嫌いではなく、食べた上で苦手なものの一つである。


 いつから苦手だったのかを掘り起こそうとするならば、幼少期の頃まで遡らなければならない。裕福とは呼べない家庭で育った私が、何かのきっかけでメロンを口にし、「うわ、苦手だ」と判断するまでは五秒もかからなかった。食べ慣れていない高級感溢れる味わいに、まだ幼かった私の体が拒絶反応を示してしまったのかも知れない。


 この「単なる好き嫌い」だけで済んでいれば、成長に合わせて克服することだって可能だっただろう。けれども、成人を迎えて久しい今の私も、やはりメロンは苦手なままでいる。「単なる好き嫌い」では済まない出来事が起きてしまったからだ。あれは忘れもしない、と言うより忘れたくても忘れられない、小学校二年生の頃の話である。




 その日、学校の給食でメロンが出た。小学生用のプレートに収まるサイズの小ぶりなメロンが、ひとり一切れずつ与えられた。滅多に出ないレアなデザートに、ほとんど級友たちは歓喜していたように思う。


 一方、当時すでにメロンが苦手だった私は、自分では手を付けず丸ごと誰かにあげてしまおうと考えていた。食べたい子は山ほどいるだろうし、半端に手を付けて残すのが一番もったいない。生徒間におけるこの手のやり取りは、他のメニューの時にも頻繁に起きていたため、今回もそれで一件落着するものだと疑っていなかった。しかし、その日に限ってそうはならなかったのだ。担任の先生に見つかってしまったのである。


 私が二年生だった時の担任は、女性ながら非常にパワフルと言うのか、エネルギッシュと言うのか、一度火が点くと止められなくなるような人だった。低学年の児童を相手に机を自分の両手で強く叩きながら怒鳴りつけるし、なんなら保護者がいる場でも怒鳴るし、軽い力ではあるが級友が頭を叩かれている姿も何度か見せつけられている。無礼極まりないことを敢えて言うが、生徒からも保護者からもあまり好かれていなかった。少なくとも私は学校で一番苦手だったし、その先生が待つ教室へ行くのが憂鬱すぎて一週間程度の登校拒否さえ起こしている。


 そんな先生が、私が給食のメロンを他の子に丸ごと渡そうとしているところを目撃した。そして、いとも容易く火が点いてしまった。


「kumeharaさん、残したら駄目でしょう? せめて一口は食べなさい」


 私が手にしていた一切れのメロンを取り上げ、私のプレートに戻しながら先生が言う。どうやら苦手なものを丸ごと残しているのがお気に召さなかったらしい。しかし、私はメロンが自分の舌に合わないことを知っていたので、抵抗した。


「メロン食べられないです」

「好き嫌いしないの。栄養が摂れないでしょう。ほら、美味しいよ」

「苦手なんです。無理です」

「一口だけでいいから、ね?」


 先生が一切れのメロンの真ん中あたりをスプーンでくり抜き、私のプレートに置いた。「せめて一口」が最大限の譲歩ラインのようだ。こちらの言い分になど聞く耳を持たない姿勢である。その一口さえも受け付けられないから残そうとしていたのに。


 何を言われても食べられないものは食べられないので、私は拒絶し続けた。先生も折れることなくメロンを勧め続けた。無意味な問答を続ける我々に、級友たちは気まず気な視線をチラチラ寄越してくるに留まっている。相手が他でもない先生なのだから、致し方ない。


 そうして時が過ぎ、あと五分で給食の時間が終わろうとしていた頃。先生がとんでもない暴挙に打って出た。


「皆、kumeharaさんを応援してあげて!」

「!?」


 教室中に轟く大声でそう言うと、先生はゆっくり手拍子をしながら「がーんばれ、がーんばれ!」と音頭を取り始めたのだった。先生が指示を出したのだから、周りの生徒たちは従う他ない。戸惑いつつも級友たちは手拍子をして、「がーんばれ、がーんばれ……」と先生に合わせて声を出した。あっという間にクラスを巻き込んだ「頑張れ」の大合唱が完成してしまった。


 その輪の中心に据えられてしまった私はと言えば、異様な重圧に押し負けて涙目になっていた。もう食べないと逃がしてもらえない空気になっている。好き嫌いが良くないことなのは理解していたつもりだが、ここまですることはないのではないか。緊張で冷や汗が伝う感触も未だに覚えている。


 やがて、観念した私は恐る恐るメロンをスプーンに乗せ、自分の口へ運んだ。苦手な香り、苦手な触感、苦手な味、全てが私に牙を突き立ててきた。この上さらに教室中から与えられる緊張感まで合わされば、食べ物が喉を通るわけもない。手拍子が止み、盛大な拍手が沸き起こる中、私は教室の隅に備え付けられた流し台へ直行するはめになった。


 泣きながら咳き込む私の元へ先生がやって来る。そして背中を摩りながら、上機嫌な声で何度も繰り返した。


「よく頑張ったね! 偉い!」


 え ら い ?


 脳の処理がまるで追い付かなかった。苦手なものを無理やり食べて吐き出すことが、偉い? 他の子が一切れ多く食べられる機会を奪い、半端な食べ残しを生んだことが、偉い? まだ食事中だった子の食欲を奪う絵面を作ってしまったことが、偉い? 流し掃除の手間を増やしたことが、偉い?


 偉いと褒められた理由が、先生が上機嫌な理由が、何一つ理解できなくて、もはや怖かった。自分の知らない何かが目の前に広がっているような気がして、さらに気分が悪くなっていった。結局、その日は昼休みが終わるギリギリまで保健室で横にならせてもらったのだった。




 あの一件以来、私は未だにメロンを克服できずにいる。メロンを直に見ると、級友たちの「頑張れ」コールや先生の「偉い!」と褒める声が脳裏に蘇るのだ。先生は食育の一環のつもりだったのかも知れないが、こちらは大人になっても引きずるレベルのトラウマに近いものを植え付けられてしまっている。ハラスメントが高らかに叫ばれるようになった現代であれば、完全に一発アウトの事案である。しかし悲しいかな、私が子供だった時代にそんな言葉は浸透していなかった。


 好き嫌いせず何でも食べられるのが理想的なのは分かっている。ただ、苦手なものがあることも、ある程度は仕方がないとたまには許容してあげてはくれまいか。嫌いな食べものがある子だって、好きで嫌っているわけじゃない。何でも美味しく食べられるなら、それに越したことはないのだ。いつか克服できるかも、という将来の希望まで摘み取るやり方はしないであげてほしい。世の中、気持ちだけではどうにもならないこともあるのだという事実など、大人のほうがよく知っているはずなのだから。

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