ふたりの短編集
1.彼女が俺の服を着た日
その日、真琴は俺の部屋にいた。
理由は単純。
「雨、すごいね」
外は土砂降り。
帰るタイミングを完全に逃した。
「……着替え、どうする?」
俺がそう言うと、真琴は少し考えてから言った。
「悠真の、借りる」
軽率な発言だったと思う。
数分後。
洗面所から出てきた真琴は、
俺のTシャツを着ていた。
大きめで、
肩が少し落ちていて、
太ももが見えている。
「……なにその破壊力」
「だめ?」
だめに決まってる。
「サイズ、大きいね」
「そりゃ俺のだし」
真琴は袖を引っ張って、くいっと顔を埋めた。
「悠真の匂いする」
やめろ。
本気で心臓が死ぬ。
ソファに座ると、
真琴は当然のように隣、というか半分上。
「近い」
「恋人だから」
最強カード。
「ねえ」
「ん?」
「こういうの、憧れてた」
ぽつり。
「彼氏の服、借りるの」
可愛すぎる。
「……嬉しい?」
「うん」
即答。
「私、悠真の彼女なんだなって実感する」
その言葉で、全部吹き飛んだ。
雨音だけが続く部屋。
真琴は俺の腕に頭を預ける。
「ね、悠真」
「なに」
「このまま寝ちゃったら」
一拍。
「起こさないで」
「……俺の理性が起きない」
真琴はくすっと笑った。
「それも含めて、好き」
反則だ。
本当に。
結局、二人で並んでうたた寝した。
起きたとき、真琴はまだ俺のTシャツを着ていて、
小さく言った。
「これ、洗って返すね」
「……返さなくていい」
「え?」
「また着ればいい」
一瞬きょとんとして、
次の瞬間、満面の笑み。
「じゃあ、次も来る」
当然の未来みたいに。
――俺の負け。
2.名字呼びが許されなくなった件
異変は、朝の挨拶から始まった。
「おはよう、白石」
そう言った瞬間、
真琴がぴたりと止まった。
「……なに?」
「え?」
「今、なんて呼んだ?」
嫌な予感がした。
「白石、だけど」
真琴は一歩近づいてくる。
「それ、他人行儀」
近い。
目が真剣だ。
「付き合ってるのに?」
「あ、いや、別に深い意味は――」
「じゃあ」
にっこり。
「下の名前で呼んで」
心臓が跳ねた。
「……真琴」
試しに呼ぶと、
彼女の表情が一瞬で柔らぐ。
「うん」
それだけで満足そう。
「もう一回」
「真琴」
「もう一回」
回数制限ないのか。
講義中。
ノートを取っていると、
真琴が小声で囁く。
「ねえ、悠真」
「なに?」
「今の呼び方、好き」
耳元で言うな。
集中力が死ぬ。
「……逆は?」
「ん?」
「俺のことは?」
真琴は当然のように言った。
「悠真」
呼び捨て。
しかも、自然。
「……不公平じゃない?」
「恋人特権」
強い。
昼休み。
三浦ひなたが怪訝そうに聞いてくる。
「ねえ白石先輩、
今日から呼び方変えました?」
真琴が即答する。
「変えた」
「え、なんで!?」
「恋人だから」
万能すぎる。
「名字、禁止にした」
三浦が崩れ落ちた。
「供給過多……」
帰り道。
夕焼けの中で、真琴が俺の袖を掴む。
「ねえ、悠真」
「なに?」
「もし、間違えて名字で呼んだら」
嫌な予感しかしない。
「どうなる?」
真琴は少し考えてから、
とんでもないことを言った。
「罰」
「内容は?」
「……内緒」
「怖すぎる」
「でもね」
少しだけ照れた声。
「悠真って呼ばれるの、
私だけって思うと、嬉しい」
独占欲、健在。
でも――
それが可愛いのが問題だ。
家の前で立ち止まる。
「じゃあ、また明日」
「うん」
別れ際。
真琴が一歩近づいて、
小さく言った。
「悠真」
「……なに」
「好き」
呼び捨て+直球。
反則。
「……俺も」
そう返すと、
真琴は満足そうに微笑った。
「知ってる」
名字呼びが、
もう二度と戻らない予感がした。
でも。
悪くない。
むしろ――
一生これでいい。
3.嫉妬してるのに可愛いのはどういうことですか?
異変に気づいたのは、昼休みだった。
俺が学食で並んでいると、
後ろから声をかけられた。
「白石くん?」
振り返ると、同じ学部の女子だった。
「この前のレポート、助かりました」
「ああ、どういたしまして」
その瞬間。
背後の空気が、変わった。
振り向くと、
真琴がいた。
無言で。
にこりともせず。
ただ、俺の隣にぴったり立っている。
「……真琴?」
「こんにちは」
女子に向かって、
完璧な営業スマイル。
「白石悠真の、彼女です」
名乗りが強い。
女子は一瞬固まってから、
「あ、そうなんだ!」と引き下がっていった。
席につくなり、
真琴は俺のトレーをじっと見る。
「……なに?」
「さっきの人」
「同じ学部」
「ふーん」
声は平坦。
でも。
俺の袖、掴んでる。
「嫉妬してる?」
小声で聞くと、
真琴は一瞬だけ視線を逸らした。
「……してる」
即答だった。
「だって」
箸を動かしながら言う。
「悠真、優しいから」
「それ、俺が悪い?」
「悪くない」
「じゃあ――」
「でも、私のだから」
さらっと言うな。
心臓がやられる。
午後の講義。
真琴は、明らかに距離が近い。
肩、くっついてる。
手、絡めてくる。
「今日、甘くない?」
囁くと、真琴は小さく言った。
「独占強化日」
「そんな日あるの!?」
「今できた」
制度が軽い。
講義後。
廊下でさっきの女子とすれ違う。
軽く会釈された。
その瞬間。
真琴が俺の腕に、ぎゅっと。
「……あの人?」
「さっきの」
「ふーん」
まただ。
でも、今度は。
「ねえ悠真」
「なに」
「好きって言って」
突然すぎる。
「……なんで」
「今、必要」
必要なら仕方ない。
「好きだよ」
「……どれくらい」
「世界一」
真琴が、ぱっと顔を上げた。
「ほんと?」
「ほんと」
数秒見つめ合ってから。
にこっと笑う。
「じゃあ、許す」
許された。
帰り道。
真琴はご機嫌だった。
腕を組んで、歩幅も小さくて。
「ねえ」
「ん?」
「さっきの、嬉しかった」
「好きって?」
「うん」
「私だけの言葉みたいで」
独占欲の自覚、あり。
でも。
可愛いから、全部許される。
家の前。
真琴が一歩近づく。
「……ごめんね、嫉妬して」
「いいよ」
「ほんと?」
「むしろ、嬉しい」
そう言うと、
真琴は小さく息を吸って――
「じゃあ、もう少し独占する」
ちゅ。
頬に、軽いキス。
「……反則」
「恋人特権」
またそれか。
嫉妬してるのに可愛い。
どういうことかというと――
真琴だから。
それだけだった。
4.熱を出したら看病が恋人仕様でした
異変は、朝からあった。
頭が重い。
喉が痛い。
立ち上がると、視界が揺れる。
「……やばいな」
熱を測ると、38.2度。
大学は無理だ。
スマホを手に取って、
震える指でメッセージを送る。
【悠真:ごめん、今日休む。熱出た】
送信して、
そのままベッドに倒れ込んだ。
どれくらい寝ていたのか分からない。
ピンポーン。
インターホンの音で目が覚めた。
「……?」
もう一度鳴る。
仕方なく起き上がって、ドアを開けると。
「おはよう」
真琴が立っていた。
大量の買い物袋を持って。
「……なんで」
「恋人だから」
即答。
部屋に入るなり、
真琴は俺の額に手を当てる。
「熱、高い」
「……来なくてよかったのに」
「だめ」
きっぱり。
「放っておけない」
そのままキッチンへ直行。
「ちょっと横になってて」
完全に主導権を握られた。
ベッドで横になっていると、
コンコン、とノック。
「入るよ」
真琴が、マグカップを持ってきた。
「スポーツドリンク、薄めた」
「……ありがとう」
「無理して喋らない」
額に、ひんやりしたタオル。
優しすぎる。
「ねえ」
ぼんやりした頭で言う。
「なに」
「……看病、慣れてる?」
真琴は少し考えてから答えた。
「慣れてない」
「じゃあ――」
「でも」
視線を落として、
小さく微笑う。
「悠真のことは、知ってる」
それだけで、胸がいっぱいになる。
しばらくして。
「はい」
スプーンを差し出される。
「おかゆ」
「あー……」
無意識に口を開けると、
真琴が少しだけ照れた。
「……あーんは、初めて」
「……ごめん」
「いい」
「恋人だから」
またそれだ。
でも、今は反論する元気もない。
熱でぼーっとしていると、
真琴の手が、俺の手を包んだ。
「冷たい」
「……安心する」
「よかった」
指を絡めて、そのまま。
静かな部屋。
時計の音だけが聞こえる。
「ねえ悠真」
「……ん」
「弱ってるの、かわいい」
「それ褒めてる?」
「褒めてる」
「……最悪」
そう言うと、
真琴はくすっと笑った。
「早く元気になって」
「うん」
「そしたら」
一拍。
「いっぱい甘やかされてもらうから」
すでに十分甘い。
眠くなってきて、
意識が落ちそうになる。
最後に聞こえた声。
「大好きだよ、悠真」
「……俺も」
目を閉じる。
手は、ずっと繋がれたままだった。
5.この二人、砂糖工場です
最初に異変に気づいたのは、私だった。
――三浦ひなた、文学部二年。
講義室のドアを開けた瞬間、
私は悟った。
今日もだめだ。甘すぎる。
白石先輩と真琴先輩。
並んで座ってるだけなのに、距離がゼロ。
いや、マイナス。
肩はくっついてるし、
手は当然のように繋がってるし、
なんなら真琴先輩、白石先輩の袖つまんでる。
「……何あれ」
隣の友達が呟いた。
「恋人」
即答した。
もはや説明不要。
講義中。
白石先輩がノートを落とした。
拾おうとした瞬間、
真琴先輩が同時に手を伸ばす。
指が触れる。
一瞬、見つめ合う。
――笑う。
何この空間。
教授、見てますか。
ここ、講義室です。
昼休み。
二人は学食でも一緒。
というか、真琴先輩が白石先輩の隣から一ミリも離れない。
「悠真、野菜食べて」
「あ、うん」
「はい」
あーん。
あーん!?
周囲が一斉に死んだ。
「……え、そこまでして付き合ってないんですか?」
誰かが呟いた。
私も、心の中で叫んだ。
いやもう結婚しろ。
放課後。
二人が並んで歩いてるのを後ろから見た。
手、繋いでる。
指、絡めてる。
真琴先輩が何か言うと、
白石先輩がちょっと照れた顔で頷く。
何それ。
「尊い……」
誰かが言った。
分かる。
角を曲がる直前。
真琴先輩が立ち止まって、
白石先輩の袖を引いた。
「ねえ」
「なに?」
「ちゃんと一緒に帰るよね」
「当たり前だろ」
それだけで、
真琴先輩は満足そうに笑った。
世界、平和。
翌日も。
その次の日も。
二人は相変わらずだった。
甘い。
近い。
幸せそう。
見てるだけで、胸がいっぱいになる。
結論。
この二人は、砂糖工場です。
近づきすぎると火傷します。
でも。
目を離せない。
ゼロ距離のふたり、付き合ってないの!? いすず さら @aeonx
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