第4話 失われたもの
義父の葬儀が執り行われているはずの日の、午後だった。
タケシ部長が、深刻な顔で部長室から戻ってきた。 そして、コーヒーを淹れようと席を立ったトシアキさんの肩を、強く掴んだ。
「トシアキ。……別室に来い」
ただならぬ雰囲気に、フロアのタイピング音が止まる。
数分後、別室から戻ってきたトシアキさんの顔は、まるで生気というものが一切抜け落ちたかのように、真っ白だった。
タケシ部長が、重い口を開いた。
「トシアキ、君の奥さんから、私宛に電話があった。……聞くんだ」
トシアキさんは、怪訝な顔をしながらも、どこか虚な目で部長を見返した。
タケシ部長が伝えた奥さんの言葉は、トシアキさんを絶望の淵に突き落とすには、十分すぎるものだった。
『……私たちの不幸より、仕事を選んだ夫に、もう何も期待しません。子供たちと実家に帰ります。私たちのことは、もう構わないでください』
タケシ部長は、静かに続けた。
「……それが、奥さんからの最後通告だ」
トシアキさんは、一瞬で顔から血の気が失せ、まるで時が止まったかのように、その場に立ち尽くした。
カタカタと、彼の手にしたマグカップが小さく震え、乾いた音を立てている。
仕事のために家族を犠牲にし、「当然の犠牲だ」と豪語していた男が、最も大切にすべきものを、自らの手で完全に失った瞬間だった。
翌日、トシアキさんは、普段と変わらない時間に、会社に出社した。
だが、彼から発せられていた、あの人を寄せ付けない尊大さや威圧感は、霧が晴れるように消失していた。
会議でも、彼はほとんど発言しなかった。 時折、意見を求められても、力のない「ええ」「はい」という、空気の漏れるような相槌を打つだけだ。
あれほど速かった資料に目を通すスピードも落ち、以前の鋭い眼光はどこへやら、焦点の定まらない瞳で、終日デスクのモニターをただ見つめていることが多くなった。
トシアキさんは、その後も会社には出社し続けた。
だが、それはもう、仕事への情熱というより、行く場所が他にない人間の、惰性や習慣のようにしか見えなかった。
かつて私に浴びせた「家族なんて後回しだ」「仕事優先だ」という言葉は、二度と彼の口から出ることはなかった。
私や同僚たちは、もう彼の顔色を伺う必要はなくなった。
その代わりに、家族を失い、生きる気力さえも会社という箱に捧げてしまった元上司の姿に、深い同情と、拭い難い虚しさを感じていた。
私は、この一連の出来事を通して、痛感した。
人が人として持つべき敬意と、守るべきものを守り抜く強さこそが、本当の意味での「仕事の成功」にも繋がるのだと。
トシアキさんは、仕事という戦場で勝者となり、すべてを手にしようとした。
だが結局、彼は、最も価値のあるものを失った「敗者」として、今日も静かに、このオフィスの空間に存在し続けている。
「『たかが忌引きだろ』と父の死を侮辱したパワハラ上司が、半年後に自らの行いで家族を失い再起不能になった件」 品川太朗 @sinagawa
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