第2話「現実の追跡」

 

 果たして本当に女だろうか。声色から女だと判断したがローブは全身を覆っていて顔も見えなければ身体付きもわからない。


「なんですか一体、僕は急いでいるんです」

 こんな人の気配のない路地裏で話しかけてくる明らかに怪しい風貌の人間。そんな輩には関わらないに限る。適当にいなして立ち去ろう。リンクスはそう考えていた。


 リンクスは立ち上がるとリュックを拾い上げて再び肩に背負う。

 その時路地の先から誰かが歩いてくるのが分かった。


 視界に捉えたのは二人組の男。二人とも帝国軍の魔道具で武装している。同じ装備のため、まるで制服のように見えた。


「やっと見つけたぞ、イド・ダハーカ」

 武装しているうちの一人がそう言った。


 これはチャンスかもしれない。なんだかわからないが揉めている。

 リンクスは背負ったリュックが揺れることを気に留めずにその場から走り出した。


「あっおいちょっと待っ……」

 背後から女の声がしたような気がする。


「よそ見してる暇などないぞっ」

 そう言って戦闘体勢に入る帝国軍兵士の脇をリンクスは通り過ぎた。

 軍人達の魔道具に魔力の気配が満ち、次々に起動していくのが分かる。


 こんなところにいてもろくなことはない。早く家に帰ろう。脇目も振らずリンクスの足は路地裏を駆ける。


  だが背後で鈍い音がした瞬間、路地を囲む倉庫を薙ぎ倒して何かが目の前に転がった。

 周囲は一瞬で瓦礫になる。瓦礫の粉塵が巻き上がり、リンクスは反射的に目と鼻を腕で覆った。


 なんだ。さっきの爆発もこれなのか?

 リンクスの頭の中でそんな思いが逡巡した。


 だがよく見ると周囲に赤い霧ができている。そして先程目の前に転がったのがなんだったのかようやく分かった。


 さっきの帝国兵の腕だ。

 目を凝らすと瓦礫と粉塵の先に原型を留めていない帝国兵の上半身らしき肉の塊があった。


 スタンッと目の前にさっきの女が降り立った。その拍子にローブのフードがめくれて顔が露わになる。


「ったく、私はお前らに用なんかないっつーのに毎度毎度しつこいね」

 女は街角でナンパにでもあったかのようにそう言った。


 リンクスは思わず尻餅をついてしまった。

「な、なんでお前がいるんだ」


ーー現在


 住民基本台帳、区役所、久しぶりに聞いた言葉がリンクスに自分のかつての世界を想起させた。


 平道佐奈、それは確かにかつての僕だ。

 リンクスは赤い霧を撒き散らした帝国兵の残骸とは別の恐怖に襲われた。

 なんで僕がもう一人いるんだ。僕がここにいるなら目の前のこいつは一体なんなんだ。


 そして目の前でショートカットの黒髪をかき上げた女は紛れもなくかつてのリンクスの外見をしている。


「不思議だろ? お前も私もサナだ」

「私、い、いや、今の僕はリンクス、リンクス・デンゼルハイム。別人だ」

 そう言ってリンクスは立ちあがろうとした。


「もう遅い。まぁ異世界に来たくらいで魂の現実から逃げられるわけねーよな」

 サナは片手に持っていた兵士の頭部を持ち上げて腹話術の人形のように口をパクパクとさせながらそう言った。


 リンクスは恐怖に苛まれながら思う。まるで別人だ。少なくとも今の僕もかつての私もこんなことを平然とやってのけるような人間ではない。


 外見だけ平道佐奈の別人。そういう可能性もある。だが、その上で関わるメリットがあるとは思えない。リンクスはそう思った。


 周囲に人の騒ぐ声がし始めた。


「ちょっと騒がしくなってきたな。場所を移すか」

 サナはそう言うとリンクスに近づいてきた。


 リンクスは思わず魔力を掌に集めてサナにかざした。

「やっぱり。魔法は使えるのか」

「舐めるなよ」

 リンクスは学校では同年代はおろか教職員でさえ凌駕する魔力量だ。


 リンクスは掌の魔力を雷に変えて放った。範囲広く、触れただけで相手の動きを制限できる魔法。この選択は自分がこの場から速やかに退避するために最適だとリンクスは判断した。


 だが次の瞬間、目の前からサナの姿は消えトンっと後頭部に軽い音と深い衝撃を感じて視界が暗転した。



ーーリンクスの夢


 それはまだリンクスが平道佐奈であった頃の夢だった。


「今日は残念だったね」

 平道佐奈は就寝前の男の子の寝室でベッドに横たわる少年に向けて言う。


「……しょうがないし」

 少年は投げやりに応える。

「でも、好きなんでしょ、お母さんのこと」

 今日少年は外出先で面会交流中の母親から暴行を受け、通りかかった人の通報で児相に保護され、普段生活している児童養護施設まで送られてきた。


「当たり前じゃん。親に見捨てられた子供に価値なんて無いでしょ」

 そう言って少年は布団を頭から被ってしまった。

 価値がない。それは平道佐奈にとっても他人事ではない言葉だった。


ーー


 リンクスの目が覚めるとそこには簡素な板が打ち付けてあるだけの小屋の天井があった。小屋、いやここはあの路地裏の倉庫の中のどれかだろう。リンクスが周囲を見渡すとそこにはやはりサナの姿があった。


 倉庫の中に小型のランプを持ち込んでいるサナはその輪郭を暗闇の中にクッキリと浮かべている。さっき見た胸糞悪い夢と同様、この世界に現れたサナも夢であってくれたらどれだけ良かっただろうか。


「目が覚めたか」

 サナは瞼を持ち上げたリンクスにすぐ気が付くと声をかけた。

 寝ぼけた意識をかき分けて眼前に現れた現実をリンクスいまだに受け入れ難いと思っていたが、サナの方はそんなリンクスをよそに泰然として見えた。 



 リンクスは自分の身体を確かめながら、脇にリュックが置かれていることを確認した。特に身体を拘束されているわけでもない。


 サナはリンクスに注いでいた視線を手に持った小型ランプと共に少し角度を変えた。

 そこに現れたのは木箱に押し込められた結晶だ。


「おいっこれ見ろよ。なんだかわかるか?」

 そこにあったのは魔青華症を発症した際にできる魔力結晶だった。


 魔青華症。それはこの世界でまだ治療法が確立していない病だ。50年ほど前に突如として人類、魔族を問わず発症する無差別の病。この病に罹患すると徐々に魔力を失い、代わりに薄く青い魔力の結晶が何枚も人体を突き破って生えてくる。それは罹患者の魔力が尽きるまで続き、やがて命を落としてしまうのだ。


 今サナがリンクスに見せているのはその結晶を集めたものだった。

「な、なんでそんなものがここにあるんだ」

 リンクスは口を覆いながら思わずそう言わずにはいられなかった。


 口を覆ったのは感染経路が不明とされているためである。万が一空気感染があるならマスクもなしにこんなところにいるのは危険だ。


「そんなの決まってる。これは交易品なんだよ。それもこの国の経済を動かすために重要なものさ」

「交易品だって?」


「ああ、主に輸出用だがな。知っての通り魔青華症は帝国領から始まり、今では世界中に罹患者がいる。中でも罹患率が高いのは帝国の平民以下の属性の連中さ」


「そ、そのくらいは知ってる。でもそれもここ最近はこの地域ではあまり確認されていないはずだ」

 リンクスはそんなことよりもっと他に話すことがあるだろう、と思いながら唐突なサナの会話に話を合わせていた。


「ここはターシェだからな。ここが病で弱体化すれば困るのは帝国そのものさ」


「なんだよ。その言い振りは、それじゃあまるで……」

 リンクスがそう言いかけると


「そういうことさ。帝国はこの病を管理している」

 とサナは言って木箱をコツンと手の甲で叩いた。


「い、一体なんのために?」

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