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アキは小学校の先生になりたくて、この大学に進学したらしい。僕は考える。必ず何かには何かのキッカケがあるように、アキにも、先生になりたいと思うキッカケがあったのだ。アキは言う。
「キッカケはね、中学校の最後の学力テストの時だったの。国語のテストがさっぱり分からなかったから、答案用紙の裏に自分の心にあるイメージをスケッチしていてね。今となっては、その絵を説明するのは難しいけど、大雑把に言うと、自分の中にある涙のようなものが、どこまでも渇いている砂に吸い込まれていくような不安、そんなものをイメージしてね。私は空の上から自分を眺めていて、私の顔には涙の跡が砂で汚れている、そんな絵」
「私は夢中になっていたから、描きかけのままの答案用紙が回収されてしまって、先生に怒られるかなって思ったんだけど、その事については、先生は怒らなかった。それどころか、いざ採点された答案用紙の裏面をみると、なんと私のスケッチの邪魔にならないように赤い丸が見えてね。それだけじゃなくて、先生は私のスケッチに対して、コメントも書いてくれていたんだーー飯村さんは、感受性が豊かなんですね。こういう絵が描ける人は、きっと国語が好きになって得意になると思いますよって。ちなみに、名前は中村先生って言う若い女性の先生で、私が尊敬する唯一の先生だったんだ」
「へー、それは興味深いね。でも、先生になりたいと思うよりも絵描きになりたいって思うのが普通なんじゃないのかな?」と、僕は聞いた。
「そうだよね、最初はそうだったかもしれない。うーんと、私が通っていたのは中高一貫の学校だったんだけど、高校の入学式の時に、美術部の先生からいきなり話しかけられたの。どうしてなのか最初は分からなかったんだけど、どうやら中村先生が私の答案用紙を見せてきたらしくてね。そして、中村先生は嬉しそうに、『先生、この絵って凄いと思いませんか? 素人だからよく分かりませんが、何ていうか、表現したいものをしようと努力している絵だと思ったんです。もちろん、色々な描き方があるとは思いますが、この絵にも伝えたいメッセージが含まれているような気がするんです。彼女が高校に上がった時は、ちょっと声を掛けていただけると嬉しいです』って感じだったらしくてね」
「だから、美術部に入部することになったんだけど、絵描きになるのは、もう最初の一年で諦めちゃった。描けば描くほど、自分には向いてないと思うようになったの。だって、私は自分のことしか描けなかったから。描きたいものじゃないと絵に感情を込めることができない。当たり前よね。だから、どうしても絵に命が宿らないの。そんなふうに悩んでいた時期に、ふと頭に浮かんだのが、中村先生だったんだ」アキは続ける。
「中村先生と言う存在が、私を色々な角度から見てくれていて、真剣に考えてくれていたってことは、本当に嬉しかった。だから、美術部にも入部した訳だし。実はね、小学校の頃、母親がいなかったことで、イジメられた時期があったんだ。悲しいのは私の方なのに、なぜ傷口を広げようとするのかがわからなかった。だから、もしも中村先生みたいな、生徒のことを真剣に考えてくれる先生が小学校にいたとしたら、少しは違っていたんじゃないかと思ったの。それにね、私は別に絵描きになりたいわけじゃないって思ってね。まあ、そう言うことがキッカケで、中学校の先生でもなくて、小学校の先生になりたいなって思った。きちんとクラスの担任が決まっていたから、生徒のこともしっかりと見られるんじゃないかって思ったから」アキは真剣な顔をしてそう言った。
「なるほど、とてもいい話だね」とピエロが言うと、アキはニコッと笑った。
「だから、大学はね、教育学部があれば、どこでも良かったの」アキは懐かしそうに言った。まだ入学して一年も経っていないのに。
「ねえ、マコちゃんは、なんでこの大学を選んだの?」
「うーん、なんとなく。ここじゃなければならない理由なんて本当にないんだ。試験科目が少なかったってこともあるけどね。まあ、本当にやりたいこととかなんて全くなかったし、夢みたいなものも、見つけられなかった。それは良く言えば、将来の夢を探すために大学に入ったわけだけど、悪く言えば、ただの時間稼ぎだね。僕が通っていた学校は一応進学校だったから、高校で就職を考えている人なんてほとんどいなかった。だから、どこでもいいから、大学に入るものだと思ってたんだ。アキみたいに立派な理由なんてないの。恥ずかしい話だけど」と僕が言うと、ピエロは言った。
「別に恥ずかしい話じゃないと思うよ。夢ってさ、いつまでに決めないといけない訳じゃないしね。仕事だけが夢じゃないし、むしろ、人生を豊かにするために夢を見つけるんじゃないかな。一生夢を探すのも悪くないって、僕は思うよ」とピエロが言うので、僕はピエロにお礼を言った。アキも僕らのやり取りを見ながら、ニコニコしている。二人とも優しいなって思った。
「ピエロは? 大体は知ってるつもりだけど」
「えーと、図書館が充実しているからじゃないかな」
「西洋文学のゼミの先生が目当てだったんでしょ? 前に言ってたよね」とアキが言うと、
「そうとも言える」と、ピエロは笑いながら答えた。
ピエロは文学部に所属し、自分が好きな西洋文学を専攻していた。本が本当に好きなのだろう。いつも違う本を持ち歩いているのだから。それだけじゃない。ピエロは読むだけではなく、何かを書くことにも興味があるようで、何か思い付くとメモをとっていた。メモ用紙がないときは、レシートの裏や、自分の手の甲にメモを書くところを、僕らは何度も見ていた。だけど、ピエロのメモについては、僕は読んだことも、聞いたこともなかった。それはきっとアキも同じだと思う。それはひどく個人的なもので、触れてはならないもののように感じていたからだ。
僕とアキは、ピエロよりも歳が一つ上だった。とは言っても、僕はただ受験に失敗して浪人しただけだったけれど、アキは違った。アキは高校二年生の時に、運悪く、学校の階段で足を滑らせ、勢いよく転げ落ちてしまい、頭を打ってしまったらしい。それが原因で、顔や足に麻痺が残ってしまい、今でも頭痛で悩まされているらしかった。
アキは、リハビリには通っていたが、顔の痙攣が治らなかったため、段々と不登校になり、自分の部屋に引きこもる時期が続いたそうだ。そのため、学校側からは、出席日数が足りないので、このままでは留年となるとの話があったが、事情が事情であるため、アキのための補習授業を設けるとのことだった。そして、それにさえ出席すれば、このまま卒業できるようにしてあげたい。そう言われたそうだ。
しかし、アキは自らの意志で、学校側の提案を断った。顔の痙攣が治ってくるにつれて、少しずつ登校できるようになってきたが、授業についていくことができなかったため、留年してもいいから、しっかりと授業を受けて勉強したい。父親にも全く同じ説明をしたらしい。
「アキがそう思うならそれでいい」父親は、ただそう言ってくれたそうだ。
「だから、私は高校に四年間在籍していたことになるの」アキは淡々とそう言った。僕はアキのことを本当に立派な人だと思った。惰性で生きてきた僕とは違う。
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星の記憶を巡る夜、空から舞い降りたのはきっと君の声だった happy song @happy_song
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