第6話 偶然の再会


時間が凍りついたようだった。


目の前に立っているのは、確かに朱音だった。


けれど、私の記憶にある、眉間に皺を寄せ、常にイライラしていた妹とは別人のようだった。


艶やかな栗色のロングヘア、

体にフィットした質の良さそうなブラウス、

微かに香る上品な香水。


彼女は、都会の雑踏の中でも一際目を引く「自立した大人の女性」になっていた。


「……朱音、なの?」

「うん。久しぶりだね、お姉ちゃん」


朱音はサングラスを指先で回しながら、ふわりと微笑んだ。


その笑顔には、かつての棘がない。

私は戸惑い、言葉を失う。


その時、朱音の視線が私の背後――交差点の向こう側へとスッと向けられた。


そこには、電柱の影からこちらを監視している母がいるはずだ。


「相変わらずなんだね、あの人」


朱音は呆れたように呟くと、躊躇なく私の手首を掴んだ。


「え?」

「あそこからだと丸見えだよ。場所、変えよう」


私の返事も待たず、朱音は強い力で私を引っ張った。


彼女は迷いなく、すぐ近くにあった雑居ビルの陰へと入り込み、そのまま路地裏のオシャレなカフェのドアを開けた。

まるで、こうなることを予期していたかのように。


店に入り、奥のボックス席に座らされると、外の喧騒も母の視線も遮断された。


心臓がバクバクと鳴っている。

私は膝の上で手を握りしめ、小さくなっていた。


「アイスティーでいい?」


朱音は店員に注文を済ませると、頬杖をついて私をじっと見つめた。


罵倒される。

反射的に身構える私に、朱音は困ったように眉を下げた。


「そんなに怯えないでよ。……ごめんね、急に連れ出して」

「う、ううん……」

「五年前のこと、ずっと謝りたかったんだ」


予想外の言葉に、私は顔を上げた。


「あの時は私も若かったし、余裕がなかった。和真とのことでパニックになってて……お姉ちゃんに酷いこと言っちゃった。本当にごめんなさい」


朱音が頭を下げる。

私は混乱した。


あの地獄のような別れ際、彼女は私を「パラサイト」と呼び、呪うように睨みつけたのだ。

それなのに、謝っている。


「怒って……ないの?」


「怒るわけないじゃん。悪いのは全部、あの異常な両親だよ。お姉ちゃんは被害者だもん」


被害者。


その言葉が、乾いた心に染み込んでいく。

誰も言ってくれなかった言葉だ。


両親は私を「可哀想な子」と呼び、自分自身は「ダメな人間」だと思っていた。

けれど朱音は、「私は悪くない」と言ってくれた。


「私ね、家を出てから必死で働いたの。それでやっと、自分の会社を持てるくらいになったんだ」


「えっ、会社……?」

「うん、小さなデザイン事務所だけどね。だから今は、心にもお金にも余裕があるの。そうしたら、急にお姉ちゃんのことが心配になって」


朱音は私の手を、テーブル越しにそっと握った。

その手は温かく、そして強かった。


「ずっと探してたんだよ。でも、実家に連絡してもお父さんたちが取り次いでくれないし。……今日会えたのは、運命かもしれないね」


朱音の瞳が潤んでいるように見えた。


私はこの時、心の底から安堵していた。

妹は変わったのだ。


あの毒々しい家から離れ、立派に自立し、そして私を許してくれた。

世界に、私を否定しない人間が一人増えたのだと。


「私……私こそ、ごめんなさい……何も変わってなくて……」

「ううん。生きててくれてよかった」


朱音はハンカチを取り出し、私の涙を拭ってくれた。

その仕草は、まるで聖女のように優しかった。


けれど、朱音はふと表情を曇らせ、声を潜めた。


「でもね、お姉ちゃん。今日会えたのは嬉しいけど……実は、どうしても伝えなきゃいけないことがあるの」


空気が変わった。


優しげな雰囲気が消え、真剣で、どこか切迫した眼差しが私を射抜く。


「お父さんたちが、お姉ちゃんに隠してることがある」


「隠し事……?」


「うん。私も最近知ったんだけど……あまりにも酷い話で、最初は信じられなかった」


朱音はバッグから封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。

そこには、役所の公印が押された書類のようなものが入っていた。


「驚かないで聞いてほしい。お姉ちゃんの人生が、勝手に書き換えられてるの」


ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。


朱音の深刻な表情が、ただ事ではないことを告げていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る