第1章:虐げられた日々
第1話:ウォーカー家の三男
薄暗い部屋に、朝日が差し込む。
ここはウォーカー侯爵家の屋敷――王都近郊に位置する、名門貴族の館だ。豪華絢爛な本館とは対照的に、この部屋は屋敷の隅にひっそりと存在している。
壁は剥がれかけ、家具は最低限のものしかない。貴族の子息が住む部屋とは到底思えない、質素というより粗末な空間。
狭いベッドの上で、一人の少年が目を覚ました。
ユート・ウォーカー。十二歳。
やや長めの前髪が特徴的な黒髪、深い紺碧の瞳を持つ、整った顔立ちの少年だ。身長は百五十二センチと同年代より少し小柄だが、それは十分な食事を与えられていないことも一因だろう。
「...また、夢を見た」
ユートは小さく呟く。
純白の光に包まれた世界。優しい祖父母、厳しくも愛情深い両親、そして――銀髪の少女。
(神界の記憶...だよな)
それは夢ではなく、記憶だ。
ユートは知っている。自分が神界から転生してきた存在だということを。創造神アルティメアの孫として生まれ、愛する家族に囲まれていたことを。
そして、暗黒神ニクスによって呪いをかけられたことも。
(あれから十二年か...)
ベッドから起き上がり、小さな窓の外を見る。
朝日に照らされた屋敷の庭園は、確かに美しい。だがユートにとって、この場所は牢獄も同然だった。
(神界の温かさが、遠い昔のことのようだ)
胸が締め付けられる。
家族の愛、アルティナの優しさ、何不自由ない日々。それら全てが、今のユートには手の届かないものになっていた。
だが――
(いや、これも試練だ)
ユートは拳を握る。
祖父アルティメアは言った。「試練を乗り越えることで、真の強さを得られる」と。
(俺は負けない。絶対に、この試練を乗り越えてみせる)
暗い部屋の中で、ユートの瞳だけが強い光を宿していた。
コンコン。
粗雑なノックの音。
「三男坊、起きてるか」
扉が勢いよく開けられる。
入ってきたのは、中年の女性使用人だった。顔には隠しきれない嫌悪の表情が浮かんでいる。
「ああ、起きてる。ほら、朝食だ」
使用人は、木の盆を乱暴にテーブルに置く。
その上には、冷え切ったパンと水の入ったコップだけ。
「これで我慢しな。お前には勿体ないくらいだ」
吐き捨てるような言葉。
ユートは黙って頷く。
(怒っても仕方ない。これが今の俺の立場だ)
「それと、今日も訓練場の掃除を忘れるなよ。お前みたいな役立たずにできることなんて、それくらいしかないんだからな」
「...分かりました」
「返事だけは一人前だね。まったく」
使用人は鼻を鳴らして、部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
一人残されたユートは、テーブルに向かう。
冷たいパンを手に取る。硬くて、とても食べられたものではない。普通の子供なら文句を言うだろう。
だがユートは、黙々とパンを齧る。
(文句を言っても、何も変わらない)
水でパンを流し込む。
(それに...神界での記憶がある俺なら、これくらい耐えられる)
グランディオス父が言っていた言葉を思い出す。
「真の強さとは、耐える強さでもある」
(そうだ。今は耐える時だ。力を蓄える時だ)
ユートの中で、静かな決意が燃えていた。
***
屋敷の豪華な食堂。
ウォーカー家の家族が、朝食のために集まっていた。
長いテーブルには、色とりどりの料理が並んでいる。焼きたてのパン、新鮮な果物、湯気の立つスープ、香ばしい肉料理。どれも一流の料理人が腕を振るった、貴族にふさわしい朝食だ。
上座には、ガルバート・ウォーカーが座っている。
四十五歳。身長百八十八センチの堂々たる体格。オールバックにした黒髪に白髪が混じり、灰色の瞳には厳格さが宿っている。
「エリザベス、今日の予定は?」
ガルバートが妻に尋ねる。
「午後から貴族夫人たちとのお茶会がありますわ」
答えたのは、エリザベス・ウォーカー。四十二歳。腰まで届く栗色のウェーブロングヘアに、エメラルドグリーンの瞳を持つ、優雅な女性だ。
「そうか。家名に傷がつかないよう、気をつけるのだぞ」
「ええ、分かっておりますわ」
エリザベスは上品に微笑む。
だが、その視線がふと食堂の隅に向けられた時――表情が微かに曇る。
そこには、ユートが立っていた。
家族の食事の席には座ることを許されず、ただ壁際に立って控えているだけ。まるで使用人のように。
(ユート...)
エリザベスの胸に、罪悪感が湧き上がる。
(本当は...もっと優しくしてあげたい)
我が子だ。愛おしくないはずがない。
だが――
(でも...夫が、周りが...)
エリザベスは弱い女性だった。
夫の顔色を窺い、周囲の目を気にする。ユートが暗黒神の呪いを受けていることで、自分たちまで後ろ指を指されるのが怖かった。
だから、見て見ぬふりをする。
母親として、最低の行為だと分かっている。
(ごめんなさい、ユート。母さん、弱くて...)
心の中で謝罪するが、それを口にすることはできなかった。
「おい、出来損ない」
傲慢な声が響く。
声の主は、レオナルド・ウォーカー。二十二歳。ガルバートとエリザベスの長男だ。
身長百八十五センチの堂々たる体格。短く整えた黒髪に深紅の瞳。整った顔立ちだが、その表情には常に尊大さが漂っている。
「その汚い顔をこっちに向けるな。飯が不味くなる」
レオナルドは、ユートを見下すような視線を向ける。
(虫けらめ)
レオナルドは、心の底からユートを蔑んでいた。
長男として家督を継ぐ立場にある彼にとって、「暗黒神の呪いを受けた弟」の存在は、何よりも恥ずかしいものだった。
(なぜこんな出来損ないが、俺の弟なんだ)
ユートは黙って視線を逸らす。
その態度が、レオナルドの苛立ちを更に煽った。
「返事くらいしたらどうだ、出来損ない」
「...申し訳ございません、兄上」
ユートの声は、感情を消した平坦なものだった。
「ははっ、兄さんそれ酷いっすよ」
軽薄な声で笑ったのは、アルベルト・ウォーカー。十八歳の次男だ。
身長百七十八センチ、ミディアムの無造作ヘアはダークブラウン。琥珀色の瞳には、常に皮肉めいた光が宿っている。
「でもまあ、事実だけど」
アルベルトは、わざとらしく肩をすくめる。
(こいつをいじめるの、マジで面白いんだよな)
アルベルトは陰湿だった。
表面的には明るく振る舞うが、その本質は冷酷で残忍だ。特にユートをいじめることで、自分の中の劣等感を紛らわせていた。
(兄さんには勝てない。でも、こいつには勝てる。だから...)
優越感を感じるために、アルベルトはユートを虐げる。
「まったく。なぜこの家にあのような恥晒しがいるのかしら」
冷たく言い放ったのは、イザベラ・ウォーカー。二十歳の長女だ。
身長百七十センチ。腰まで届くプラチナブロンドのストレートロングヘアに、氷青色の瞳。美貌と才能を兼ね備えた彼女は、家族の中でも特に高いプライドを持っていた。
「父上、やはりあの子は別の場所に――」
「イザベラ、食事中だ」
ガルバートが娘を制する。
「...失礼いたしました」
イザベラは口を閉じるが、ユートへの嫌悪の視線は変わらない。
(あんな出来損ないと同じ血が流れているなんて、耐えられない)
彼女にとって、ユートの存在そのものが許せなかった。
唯一、何も言わないのは、セシリア・ウォーカー。十六歳の次女だ。
身長百六十三センチ。肩までのライトブラウンのボブカット、薄緑色の瞳。彼女は黙って食事を続けている。
(ユート...)
セシリアは、時折ユートに同情的な視線を向ける。
(本当は...これは間違っていると思う)
だが、それを口にする勇気はなかった。
姉や兄たちに逆らえば、自分も標的になるかもしれない。そんな恐怖が、彼女の口を封じていた。
(ごめんね、ユート。私、弱くて...)
見て見ぬふりをする。
それがセシリアにできる、精一杯のことだった。
「ユート」
ガルバートが、息子に視線を向ける。
「はい、父上」
ユートは背筋を伸ばして答える。
「お前は今日も訓練場の掃除だ。魔力も使えぬ役立たずには、それくらいしかできまい」
冷徹な言葉。
だがユートの表情は、微動だにしなかった。
「承知いたしました」
(怒りは感じない。もう慣れた)
ユートは淡々と受け入れる。
(それに...訓練場の掃除は、俺にとって良い鍛錬の機会だ)
誰も気づいていないが、ユートは掃除をしながら密かに身体を鍛えている。箒を振る動作に剣技の基本を織り交ぜ、荷物を運ぶことで筋力を鍛える。
(呪いで魔力は不安定だが、身体能力は鍛えられる)
神界での記憶が、ユートを支えていた。
アルティナから教わった剣技、グランディオスから学んだ鍛錬法。それらを密かに実践することで、ユートは確実に強くなっていた。
(いつか必ず...この屈辱を晴らしてみせる)
「では、失礼いたします」
ユートは一礼して、食堂を出る。
その背中を、家族たちは冷たい視線で見送った。
***
食堂を出たユートは、長い廊下を歩く。
壁には歴代のウォーカー家当主の肖像画が飾られている。どれも威厳に満ちた表情で、名門の歴史を物語っていた。
(この家には、俺の居場所はない)
そう思いながらも、ユートの足は止まらない。
廊下の突き当たりにある窓から、外が見える。
広大な庭園。その向こうには、訓練場がある。
(さて、今日も掃除を始めるか)
だが、その時――
「ユート様」
優しい声が、背後から聞こえた。
振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
金色に輝く金髪を腰まで届くウェーブロングにし、サイドには三つ編みを添えている。サファイアブルーの瞳は、優しさと正義感に満ちていた。
身長百四十八センチ。ユートと同じ十二歳。
リリアナ・フォンテーヌ。
ユートの婚約者だ。
「リリアナ...」
ユートの表情が、わずかに緩む。
「おはようございます、ユート様」
リリアナは、にっこりと微笑む。
その笑顔は、ユートの凍てついた心を溶かす、唯一の温かさだった。
「ああ、おはよう」
「今日も...訓練場の掃除ですか?」
「そうだよ」
リリアナの表情が、悲しげに曇る。
「やっぱり...ウォーカー家の皆様は、ユート様に酷すぎます」
(この子だけは...本当に俺のことを心配してくれる)
ユートの胸が、温かくなる。
リリアナは、ユートが追放されると決まった後も、婚約を解消しようとしなかった。むしろ、ユートへの想いを強くしたほどだ。
「大丈夫だよ、リリアナ。これくらい、何でもない」
「でも...!」
リリアナは言葉を詰まらせる。
(ユート様は、いつも強がって...)
彼女には分かっていた。
ユートが本当は傷ついていること。家族からの冷遇に、心を痛めていること。
でも、それを決して表に出さない強さを持っていることも。
「リリアナ」
ユートが、少女の頭を優しく撫でる。
「心配してくれて、ありがとう。でも本当に大丈夫だから」
「...ユート様」
リリアナの瞳に、涙が浮かぶ。
(私、ユート様のために何ができるんだろう)
無力感が胸を締め付ける。
婚約者でありながら、ユートを守ることができない。
「あのね、リリアナ」
ユートが、真っ直ぐに少女の目を見る。
「君が側にいてくれるだけで、俺は救われてる。それだけで十分なんだ」
「ユート様...」
リリアナの頬が、ほんのり赤く染まる。
「だから、そんな顔しないで。君の笑顔が、俺の支えなんだから」
ユートの言葉に、リリアナは涙を拭う。
「...はい」
そして、精一杯の笑顔を作る。
「分かりました。ユート様が頑張っているのに、私が泣いていてはいけませんね」
「そうだよ」
二人は微笑み合う。
朝日が差し込む廊下で、二人だけの温かな時間が流れた。
(この子だけは...絶対に守る)
ユートは心の中で誓う。
(いつか必ず強くなって、リリアナを守れる男になる)
「それじゃあ、俺は訓練場に行くよ」
「はい。頑張ってくださいね」
リリアナが手を振る。
ユートも手を振り返して、訓練場へと向かった。
***
ウォーカー家の訓練場は、広大だった。
貴族の子弟が剣技や魔法を鍛えるための場所として、十分すぎるほどの広さがある。
だが今、そこに人影はない。
早朝の訓練はまだ始まっておらず、静寂が支配していた。
「さて、始めるか」
ユートは倉庫から箒とバケツを取り出す。
訓練場の床には、昨日の訓練で散らばった土や砂、時には血痕すらある。それらを丁寧に掃除するのが、ユートの日課だった。
箒を手に取り、掃き始める。
一見すると、ただの掃除。
だが――
(一、二、三...)
ユートの動きには、リズムがあった。
箒を振るう動作が、そのまま剣技の基本動作になっている。
横払い、縦払い、突き。
それぞれが剣の振りに対応していた。
(アルティナが教えてくれた基本の型...)
神界での記憶が蘇る。
銀髪の少女が、優しく、時に厳しく剣を教えてくれた日々。
「ユート様、剣は力だけではありません。正確さ、速さ、そして何より――心です」
アルティナの声が、脳裏に響く。
(心か...)
ユートは箒を振り続ける。
掃除をしながら、確実に身体を鍛えている。
誰も気づかない、密やかな鍛錬。
(この十二年間、俺は無駄に過ごしてきたわけじゃない)
虐げられながらも、ユートは諦めなかった。
神界での記憶を頼りに、独学で身体を鍛え続けてきた。
魔力は呪いで不安定だが、身体能力は確実に向上している。
(今の俺なら、訓練を受けた一般兵くらいなら倒せるはずだ)
もちろん、それを誰かに見せることはない。
見せれば、また家族から何を言われるか分からない。
(力は、必要な時まで隠しておく)
それがユートの戦略だった。
太陽が昇り、訓練場が朝日に照らされる。
ユートは黙々と掃除を続けた。
孤独な作業。
だが、彼にとっては心地よい時間でもあった。
(この静けさが...好きだ)
家族の冷たい視線もなく、兄姉の嘲笑もない。
ただ自分と向き合える、貴重な時間。
「...よし、半分終わった」
額の汗を拭う。
その時――
「おい、出来損ない」
聞き慣れた、傲慢な声。
ユートは内心で舌打ちする。
(最悪のタイミングだ)
振り返ると、そこにはレオナルドとアルベルトが立っていた。
そして彼らの後ろには、訓練生たちが数人従っている。
「掃除が遅いんじゃないか?」
レオナルドが、腕を組んで見下ろしてくる。
「これだから無能は困るよなあ」
アルベルトが、わざとらしく肩をすくめる。
訓練生たちが、クスクスと笑う。
(また始まったか...)
ユートは表情を変えない。
怒りも、悲しみも見せない。
それが、これ以上虐められないための、唯一の防御手段だった。
「申し訳ございません。すぐに終わらせます」
「ふん」
レオナルドは鼻を鳴らす。
(こいつ、本当にムカつく)
ユートが何を言っても、何をしても、レオナルドは苛立つ。
存在そのものが、気に入らない。
「なあ、アルベルト」
「何、兄さん?」
「こいつに...少し教育してやらないか?」
レオナルドの口元に、邪悪な笑みが浮かぶ。
アルベルトも、同じように笑った。
「いいっすね。俺も、ちょうど訓練前の準備運動がしたかったところっす」
(やばい...)
ユートの背筋に、緊張が走る。
この展開は、何度も経験している。
そして毎回、激しい痛みと屈辱が待っていた。
「さあ、出来損ない」
レオナルドが、腰の剣に手をかける。
「少し...遊んでやろう」
その目には、明らかな悪意が宿っていた。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
『面白かった!続きが気になる!今後の展開が気になる!』と思いましたら
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また、他の作品(・その者、神羅万象の主につき~取り扱いに注意せよ~ ・元天才プログラマー、モンスター育成士になる ・新米農家、配信者になる。~家の納屋にダンジョンが発生したので最近ちまたではやっているダンジョン配信者になろうと思う~)も是非読んでみてください。
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