第7話 レベルアップ
俺はいつもの時間にパソコンの前に座り、『黒いアイコン』をダブルクリックした。
――パパパンッ!
その瞬間、安っぽいファンファーレ音がスピーカーから鳴り響き、画面上に派手な文字が踊った。
『LEVEL UP!! (Lv.1 -> Lv.2)』
「うおっ、びっくりした」
心臓を抑える俺の目の前で、いつもの狐巫女・ヨーコがぴょこんと飛び出してくる。
『おめでとうございます、No.a様! 前回の配信にて、素晴らしい反響が観測されました! その結果、配信者レベルが2に上昇しました!』
「……反響?」
俺は眉をひそめた。
画面左側の『COMMENT』欄や『VIEWER』数は、相変わらずグレーアウトしたままだ。
具体的な数字は何も見えない。
「数字も見えないのに反響って言われても、実感ないんだけど。……これ、どういう基準で上がってるんだ?」
『当システムは、リスナーの感情エネルギーや拡散数などの総量を計測してレベルを決定します』
「感情エネルギー……また随分とふわっとした指標だな」
俺は呆れたように肩をすくめた。
前回、誰かが聞いていたという確証さえない。
ゼロだったかもしれないし、通りすがりの一人が間違ってクリックしただけかもしれない。
だが、俺はすぐに一つの結論に達した。
(まあ、まだレベル1だったしな)
ソシャゲのログインボーナスみたいなものだろう。
最初のレベルアップなんて、チュートリアルの延長だ。
ほんの数秒でも再生されれば、あるいは配信を完走さえすればレベルが上がる、そういう激甘設定に違いない。
「ま、上がることは悪いことじゃないか」
『レベルアップ特典として、【背景画像設定】機能が解放されました。現在はデフォルトの黒背景ですが、任意の画像をアップロードして表示させることが可能です』
「お、それは地味に嬉しいな」
俺は殺風景な黒い画面を見つめた。
ラジオ配信とはいえ、ずっと真っ黒な画面というのも味気ないと思っていたところだ。
「せっかくだし、変えてみるか」
俺はフォルダを開き、今回の配信のイメージに合う画像を探した。
今日の選曲は決まっている。
少しアンニュイで、湿っぽい気分に浸りたい。
俺はネットのフリー素材サイトからダウンロードした、『雨の降る夜の街角』の写真をアップロードした。
ガラス越しに滲む街灯の光が、今の気分にぴったりだ。
「よし、こんなもんだろ」
ヘッドセットを装着し、マイクの位置を直す。
準備完了。
俺は『ON AIR』ボタンをクリックした。
インジケーターが赤から緑へ変わる。
二回目の配信が始まった。
「こんばんは、No.aです」
BGMには、静かな雨音のSEを流している。
俺は普段よりも少しトーンを落として、マイクに語りかけた。
「……皆さん、生きてますか? 俺はちょっと、最近うまくいかないことが多くて、元気ないです」
店番をしている時の、あの「自分は何をしているんだろう」という虚無感。
夢を追いかけていた頃の輝きと、今のくすんだ自分とのギャップ。
具体的な愚痴をこぼすつもりはないが、その鬱屈とした空気感だけを言葉に乗せる。
「男だって、誰かに慰めてほしい夜はありますよね。……まあ、俺を慰めてくれる相手なんていないんで、自分で自分を慰めるしかないんですけど」
自虐的に笑い、俺はマウスを操作した。
「今日は、そんな気分の時に俺がよく聴く曲を流します」
セットリストの一曲目。
俺の「泣き曲」の定番だ。
「この曲は……振られた男が、去っていった彼女を想って泣く……という、かなり未練がましい失恋ソングです」
曲紹介をする俺の声は、自然と湿り気を帯びる。
「『行かないでくれ』って惨めにすがりついて、君がいないと生きていけないって嘆いて。……格好悪いですよね。でも、男の恋愛なんて、案外そんなもんだったりします」
モニターの向こう側にいるかもしれない、見えないリスナーに向けて。
あるいは、過去の自分に向けて。
「それでは、聴いてください」
俺はプレイヤーの再生ボタンをクリックした。
美しいピアノのイントロが流れ出す。
同時に、俺は手元のスイッチでマイクをミュートにした。
ここからは、俺は喋らない。歌わない。
リスナーと一緒に曲を聴くだけだ。
椅子に深く座り直し、マグカップのコーヒーを啜る。
モニターには、雨の街角の写真と、楽曲に合わせて揺れる波形だけが映し出されている。
(……いい曲だなぁ)
男性ボーカルの、絞り出すような切ない歌声が響く。
『どうして僕を置いていくんだ』
『君のいない朝なんて来なくていい』
歌詞の一言一句が、胸に染み渡る。
俺は目を閉じて、リズムに合わせて指先で膝を叩いた。
こうして好きな曲に没頭している時間だけは、現実の些細な悩みを忘れられる。
デトックスだ。
心の澱を、音楽が洗い流してくれる。
画面の向こう側は静かだ。
相変わらず反応は見えない。
でも、もし誰かが聞いてくれているなら、この「雨」のような切なさを共有できているかもしれない。
まあ、「男がメソメソしてんじゃねえよ」と笑われている可能性の方が高いが。
曲がクライマックスを迎え、慟哭のようなロングトーンがフェードアウトしていく。
俺は余韻を十分に楽しんでから、マイクのミュートを解除した。
「……お届けしたのは、俺の好きなバラードでした」
ふぅ、と小さく息を吐く。
なんだか、少しスッキリした気がする。
「暗い曲ですみません。でも、たまにはこういうのもいいでしょ?」
時計を見ると、残り時間はあと僅かだった。
相変わらず十五分は短い。
「聞いてくれてありがとう。来週もまた、この時間に」
俺は『ON AIR』ボタンにカーソルを合わせる。
「それじゃ、おやすみなさい。No.aでした」
クリック。
配信終了。
『DISCONNECTED』の文字と共に、部屋に静寂が戻った。
「よしっ」
俺は大きく伸びをした。
言いたいことを言って、好きな曲を流して、勝手に満足する。
最高のストレス解消だ。
「風呂入って寝よ」
俺は軽い足取りで部屋を出た。
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