第8話 女帝の焦燥(主人公外視点)

帝都の一等地にそびえ立つ、クリスタルタワーの最上階。  

世界的な複合企業『ローゼンバーグ・グループ』の総帥、エリザ・ローゼンバーグは、執務室の革張りのソファに深く身を沈めていた。


部屋の照明は落とされ、眼下には宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっている。  

だが、彼女の瞳が捉えているのは夜景ではない。  

目の前の巨大なホログラムモニターに映し出された、誰もが知る一般的な動画配信サイトの画面だ。


「……さて。巷で噂の『のあ君』、お手並み拝見といこうかしら」


彼女は手元のグラスを揺らし、最高級の赤ワインを一口含んだ。  

先日の深夜、ネット上を騒がせた「謎の男性配信者」の噂は、当然彼女の耳にも届いていた。  

前回は情報の捕捉が遅れ、祭りに参加し損ねた。  

その失態を取り戻すべく、今夜はこうして万全の体制で待機しているのだ。  

音響機材はコンサートホール仕様の最高級品。

回線は業務用の専用帯域を確保済みだ。


やがて、時刻になった。  

画面上のインジケーターが『LIVE』に変わる。


『こんばんは、No.aです』


スピーカーから流れてきたのは、低く、それでいて絹のように滑らかなテノールだった。  

合成音声特有のノイズは皆無。  

紛れもない、生身の男性の声だ。


「……なるほど。これは確かに、国宝級ね」


エリザは感嘆の溜息を漏らした。  

だが、すぐに眉をひそめる。  

声の色が、どこか暗い。  

画面に表示されているのも、涙で滲んだような『雨の街角』の写真だ。


『……皆さん、生きてますか? 俺はちょっと、最近うまくいかないことが多くて、元気ないです』


スピーカー越しに聞こえる、自嘲気味な笑い声。  

その瞬間、エリザの中で「品定め」をするような余裕は消え失せた。


「元気がない? ……誰? 誰が貴方を不快にさせたの?」


彼女の双眸に、鋭い光が宿る。  

男性は守られるべき存在であり、常に幸福で満たされていなければならない。

それがこの世界の理だ。  

だというのに、彼は傷ついている。  

『慰めてほしい』という彼の言葉が、エリザの胸の奥にある支配欲と庇護欲を、灼熱の炎のように燃え上がらせた。


『今日は、そんな気分の時に俺がよく聴く曲を流します』


彼はそう言って、曲の解説を始めた。


『この曲は……振られた男が、去っていった彼女を想って泣く……という、かなり未練がましい失恋ソングです』


カチャン、と乾いた音がした。  

エリザが、ワイングラスをテーブルに置いた音だ。


「……今、なんて言ったの?」


思考が停止する。  

振られた?  男性が?  女性に?


「ありえない……」


この世界において、男性は「選ぶ側」であり、女性は「選ばれる側」だ。  

女性から男性を捨てるなど、天変地異が起きてもあり得ない。  

もしあるとすれば、それは――。


「騙されたのね」


エリザの美しい顔が、修羅のように歪んだ。  

無垢な彼を言葉巧みに籠絡し、飽きたらゴミのように捨てた「悪女」がいる。  

そうとしか考えられない。


曲が流れ始めた。  

男性ボーカルの悲痛な叫びが、最高級のスピーカーを通して部屋中に響き渡る。  

エリザには、それが単なる楽曲には聞こえなかった。  

No.a本人の、魂の叫びのように聞こえた。


「かわいそうに……。あんなに素敵な声をしているのに、こんなにも傷ついて……」


胸が張り裂けそうだった。  

今すぐ彼を抱きしめ、その涙を拭ってやりたい。  

自分ならば、決して彼を悲しませたりしない。  

富も、名誉も、彼が望むならこの夜景のすべてを買い取って与えてもいい。


「……ええ、そうよ。私が癒やしてあげる」


エリザはマウスを握った。  

言葉で伝えられないなら、まずは誠意を見せるのが大人の流儀だ。  

彼女は配信サイトの『投げ銭』ウィンドウを開いた。  

金額入力欄に、迷うことなくこのサイトで設定可能な一回の上限金額『100,000』を入力する。


「まずはこれで、美味しいものでも食べなさい」


送信ボタンをクリックする。


――ピピッ。

無情なエラー音が鳴り響いた。


『現在、このチャンネルではギフトを受け付けていません』

「……は?」


エリザは目を瞬かせた。  

もう一度、クリックする。  

同じエラーメッセージが出る。


「受け付けてない……?」


他のチャンネルでは当たり前のように飛び交っているギフトが、彼にだけは送れない。  

彼は、支援すらも拒絶しているというのか。  

それほどまでに人間不信に陥っているのか。


「ふざけないで……! 私のお金が、受け取れないですって……!?」


エリザは受話器を取り上げ、短縮ダイヤルを押した。  

コール音は一回も鳴らずに繋がった。


『はい、ローゼンバーグ様。本日はどのような――』

「今すぐ動画サイト『StreamX』の管理責任者を出しなさい。三十秒以内によ」


氷点下の声で命じる。  

数十秒後、慌てふためいた声が聞こえてきた。


『は、はい! 運営責任者です! エリザ様、突然どうされましたか!?』

「単刀直入に言うわ。今すぐ『No.a』という配信者のギフト機能を強制的に解放しなさい。私が彼に送金できないじゃない」


『えっ……あ、あの、それは……』


電話の向こうで、責任者が困惑している気配が伝わってくる。


『も、申し訳ありません。ユーザー個人の設定には介入できないことになっておりまして……』

「……は?」


 エリザの声が一段低くなった。


「貴方は私が誰だか分かっていて?」

『も、もちろんでございます! ですが、規約上、そしてシステム上、ユーザーが拒否設定にしている項目を我々が勝手に変更することは不可能なのです! ど、どうかご理解を……!』


ガチャリと電話を切る。  

エリザはギリッと奥歯を噛み締め、再びモニターに向き直った。  

画面の中では、まだ雨が降り続いている。  

曲は終わりに近づいていた。


「……そう」


彼女はモニターの表面を、愛おしげに指でなぞった。


「お金すら受け取らないなんて……どこまで高潔で、どこまで悲しい人なの」


届かない黄金と、一方的な愛。  

歪んだ決意を秘めた女帝の瞳は、燃えるように熱く、そしてどこまでも冷徹だった。

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