第6話 静かな日常と、涙色のプレイリスト
カーテンの隙間から差し込む朝日で、俺は目を覚ました。
意識が浮上すると同時に、昨夜の出来事が脳裏をよぎる。
謎のアプリ。狐面のヨーコ。
そして、誰も聞いていないであろう異世界への配信。
あれは夢だったんじゃないか。
そんな疑念を抱きながら、俺はベッドから這い出し、机の上のパソコンをスリープから復帰させた。
画面には、例の『黒いアイコン』が鎮座している。
ダブルクリックして起動してみる。
真っ黒なウィンドウが開き、ヨーコのアバターが定位置に現れた。
『おはようございます、No.a様。次回の配信可能時間まで、あと六日と十四時間です』
事務的なテキストが表示されるだけだ。
新着メッセージの通知もなければ、「いいね」の数が表示されることもない。
静かなものだ。
SNSでバズった時のような、通知欄が赤く埋め尽くされる高揚感もなければ、アンチコメントに心を痛めることもない。
「……ま、そんなもんだよな」
俺は苦笑して、ウィンドウを閉じた。
やはり、あれは神様がくれた「秘密の独り言スペース」なのだろう。
世界中が熱狂するようなシンデレラストーリーなんて、そうそう転がっているわけがない。
俺は大きく伸びをして、部屋を出た。
夢の時間は終わりだ。
今日もまた、代わり映えのしない現実が始まる。
◇
「いらっしゃいませー」
気の抜けた俺の声が、店内に響く。
実家の『伊吹雑貨店』は、昭和の空気をそのままパック詰めしたような、古びた店だ。
日用雑貨から駄菓子、ちょっとした贈答品まで扱っているが、近くに大型スーパーができてからは、客足もまばらだ。
レジカウンターに肘をつき、スマートフォンでニュースサイトを眺める。
芸能ニュースの欄には、自分と同世代の俳優がドラマの主演に抜擢されたという記事が載っていた。
胸の奥がチクリと痛む。
見なかったことにして、アプリを閉じた。
「あら、今日はのあちゃんが店番かい?」
自動ドアが開き、近所に住む常連の田中さんが入ってきた。
手には醤油の瓶を持っている。
「あ、田中さん。こんにちは。袋入ります?」
「いいよいいよ、このままで。……それにしても、のあちゃんは偉いねぇ」
田中さんは小銭をトレーに出しながら、目を細めて俺を見た。
「大学を出たら、ここを継ぐんだって? 今どきの若い子はみんな都会に行きたがるのに、親孝行だこと」
「あはは……まあ、長男ですし」
愛想笑いを浮かべて、レジを打つ。
「親孝行」。
その言葉が、今の俺には皮肉に聞こえる。
俺は親孝行でここを継ぐわけじゃない。
夢に破れて、他に行く場所がなくて、逃げ帰ってきただけだ。
オーディションには落ち続け、就職活動をする気力もなく、親の脛をかじりながら店番をしている。
俺は、ただの「売れ残りの店番の兄ちゃん」だ。
マイクの前で格好つけて喋っていた『No.a』なんて人間は、どこにもいない。
それが現実だ。
「じゃあね、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
田中さんの背中を見送りながら、俺は小さく溜め息をついた。
店内の古ぼけた柱時計が、ボーン、ボーンと時を告げている。
ここには、煌びやかなスポットライトも、歓声もない。
あるのは、ゆっくりと澱んだ時間だけだ。
◇
夜になり、店番を終えて自分の部屋に戻った。
風呂に入ってさっぱりしたところで、再びパソコンの前に座る。
次の配信まで、あと数日ある。
気は早いが、次の構成を考えておくのも悪くない。
「前回は……自己紹介と、明るめのラブソングだったな」
音楽ライブラリを開き、マウスホイールを回す。
画面には、数え切れないほどの楽曲が並んでいる。
どれも俺が青春を費やして集め、練習してきた曲たちだ。
今の気分は、どうだろう。
昼間の田中さんの言葉が、まだ少し胸に引っかかっている。
夢への未練。
諦めきれない想い。
でも、どうにもならない現実。
「……こういう気分の時は、やっぱりバラードかな」
自然と、カーソルが静かな曲調のフォルダに向かう。
失恋ソング。
別れの歌。
叶わなかった願いを歌う曲。
俺は一曲のタイトルに目を止めた。
男性ボーカルが歌う、涙を誘う名曲だ。
愛する人が去っていくのを、男が涙を流して引き止める。
『行かないでくれ』と懇願し、『君がいない世界なんて意味がない』と嘆く。
女々しいと言われるかもしれないが、俺はこの曲が好きだった。
男だって泣きたい夜はある。
強がってばかりじゃ生きられない。
今の俺の、誰にも評価されず、夢が手から滑り落ちていく虚しさと、この歌詞が妙にリンクする気がした。
「よし、次はこれにしよう」
俺はその曲を『第2回配信セットリスト』というフォルダに放り込んだ。
しっとりと、感情を込めて曲紹介ができそうだ。
どうせ誰も聞いていないなら、俺の個人的なセンチメンタルを垂れ流したって文句は言われないだろう。
◇
そして、配信当日。
俺は約束を果たすために、家を出た。
手にはコンビニのレジ袋。
中身は、近所の和菓子屋で買ってきた特製のお饅頭だ。
裏山の石段を登る。
夕暮れの神社は、ひぐらしの鳴き声に包まれていた。
相変わらず人の気配はない。
俺は社の前に立ち、お饅頭を供えた。
「神様、約束のもの、持ってきましたよ」
パン、パン、と手を合わせる。
返事はない。
あのおばあちゃんのような声は聞こえない。
けれど、ふわりと柔らかな風が吹き抜け、社の周りの木々がザワザワと揺れた。
まるで「ありがとねぇ」と笑っているように感じられた。
「……今夜も、少しだけ繋がせてもらいます」
俺は社に向かって語りかけた。
「誰も聞いてないかもしれませんけど、いい気晴らしになってます。ありがとうございます」
そう。
これは俺の、俺による、俺のためのリハビリだ。
誰かに届かなくてもいい。
この十五分間だけは、俺は「店番の兄ちゃん」じゃなくて、「配信者」でいられる。 それだけで十分だ。
俺は一礼して、石段を降り始めた。
空には一番星が光り始めている。
今夜の選曲は、涙色のバラード。
男の涙なんて、誰も見たくないかもしれない。
でも、それでもそういう気分なんだ。
足取り軽く家路につく俺の背後で、夜の闇が深まっていった。
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