第2話 狐面のヨーコと配信準備
神様からご褒美をもらった。
そう言われて、素直に「やったー!」と喜べるほど、俺は純粋な子供ではなかった。
どちらかと言えば、「タダより高いものはない」と疑ってかかる程度には、世間の冷たさを知っているつもりだ。
だが、俺の目の前にある現実――パソコンの画面に鎮座する『黒いアイコン』は、確かにそこにあった。
削除しようと思えばできる。ウイルススキャンをかけることもできる。
けれど俺は、まるで催眠術にでもかかったように、その正体不明のアプリを起動していた。
「……シンプルだな」
画面いっぱいに展開されたのは、漆黒を基調としたウィンドウだった。
装飾は一切ない。
画面中央に波形を表示するであろうインジケーター。
下部にマイクの入力レベルを示すバー。
そして右上に、赤く大きな『ON AIR』というボタンがあるだけだ。
プロ向けの機材ソフトと言うよりは、作りかけのベータ版を見せられているような気分になる。
「ヘルプとか、説明書はないのか?」
カーソルを動かしてメニューバーを探すが、設定項目らしき歯車アイコンが一つあるだけで、テキストファイルなどは見当たらない。
不親切設計にも程がある。
これじゃあ、どうやって配信の設定をすればいいのか分からないじゃないか。
俺が眉をひそめて画面を睨んでいると、唐突にポロン、という電子音がスピーカーから響いた。
直後、画面の右下に何かがポップアップする。
「うおっ!?」
思わずのけぞる。
現れたのは、可愛らしい2Dのアバターだった。
紅白の巫女服を身に纏い、顔には白い狐のお面を被っている。
お面には赤い隈取(くまどり)が描かれており、そこから覗く瞳はデジタルな光を放っていた。
デフォルメされた二頭身のキャラクターが、ぴょこぴょこと動いている。
その狐巫女の頭上に、ふきだしのようなテキストボックスが表示された。
『初めまして! 私は当配信システムの専属ナビゲーター、「ヨーコ」です! 神様の代理でサポートさせていただきます!』
「……喋った」
いや、正確には音声は出ていない。文字が表示されただけだ。
どうやら、このソフトのアシスタント機能らしい。
「えーと、どうも。ヨーコさん?」
マイクに向かって話しかけてみる。
すると、音声認識機能が働いているのか、ヨーコのふきだしが更新された。
『はい、ヨーコです。以後お見知り置きを。伊吹のあ様、この度は当「配信ツール」の起動、誠にありがとうございます』
やけに丁寧な口調だ。そして、どこか事務的でもある。
神様の代理と言う割には、随分とシステムチックだ。
『このツールは、あなたの声を「あちら側の世界」へ届けるための、特別な架け橋となります。音声データは次元を超えて送信されますが、あちら側からの物理的な干渉は一切ありませんのでご安心ください』
「あちら側の世界……ねえ」
まだ半信半疑だ。
本当に異世界なんてものがあるのなら、もっと大々的にニュースになってもいいはずだ。
まあ、神様曰く「男の子がいない」世界らしいから、そんな場所に俺の声が届いたところで、どうなるものでもないだろう。
「とりあえず、使い方が分からないんだ。これ、普通の配信ソフトと同じ感じでいいのか?」
『はい。基本操作は直感的に行えるよう設計されております』
ヨーコが画面上の各パーツを指し示すようなアニメーションをする。
『マイク入力、BGM設定、音量調整。これらは既存の配信ソフトと同様です。ただし、一部機能に制限がかかっております』
「制限?」
俺の視線は、画面の左側に固定されたグレーアウトしているエリアに向いた。
そこには『COMMENT』『VIEWER』という文字が薄っすらと見えるが、クリックしても反応がない。
普通の配信サイトなら、ここにリスナーからのコメントが流れたり、現在の同時接続数が表示されたりするはずの場所だ。
「これ、使えないのか?」
『はい。現在は「レベル不足」のため、ロックされています』
「レベル……?」
ゲームじゃないんだから。
俺は呆れたように息を吐いた。
『伊吹様の現在の配信者ランクは「ビギナー」です。配信を重ね、あちら側の世界での知名度や貢献度が上がるとレベルアップし、様々な機能が解放される仕組みとなっております』
「なるほどね。最初はコメントも見れないし、今何人が聞いてるかも分からないってことか」
普通の配信者なら、「リスナーの反応が見えないなんて配信じゃない!」と怒るところかもしれない。
だが、俺の反応は逆だった。
「……まあ、その方が気楽でいいか」
俺は苦笑した。
今まで散々、画面の隅に表示される「0人」という数字に心を折られてきたのだ。
誰もいないのに一人で喋り続ける虚しさ。
時折増える数字に期待して、すぐに減って絶望するジェットコースターのような感情の起伏。
それがないなら、むしろ精神衛生上よろしい。
どうせ過疎配信だ。最初から「誰もいない」と思ってやった方が、変に緊張しなくて済む。
『また、アーカイブ機能も現在は解放されておりません』
ヨーコが淡々と続ける。
『サーバー容量……いえ、次元回線の負荷軽減のため、配信データは保存されません。一期一会のライブ配信のみとなります』
「アーカイブもなしか。……うん、それも別にいいよ」
失敗しても証拠が残らないなら、好都合だ。
俺は肩の力が抜けていくのを感じた。
これは、神様がくれた暇つぶしだ。
誰かに評価されるためのオーディションじゃない。
自分が楽しめればそれでいい。
「よし、大体のことは分かった。で、時間は?」
『一回の配信につき、厳格に「十五分間」と定められています。延長は不可能です。時間になると強制的に回線が切断されますので、時間配分にご注意ください』
「了解。十五分一本勝負だな」
俺はヘッドセットを装着し、マイクの位置を調整した。
慣れた手つきだ。何百回と繰り返してきた動作。
でも、今日はいつもと少しだけ気分が違う。
「売れなきゃいけない」というプレッシャーがない分、純粋に「何を喋ろうか」というワクワク感が戻ってきている気がした。
十五分。
ラジオ番組の一コーナーくらいの尺だ。
何をしようか。
初回だし、凝った企画をやる必要はないだろう。
まずは挨拶。自己紹介。
俺がどういう人間か、軽く話す程度でいい。
それだけだと間が持たないから、何か曲でも流そうか。
俺はマウスを操作し、パソコン内のミュージックライブラリを開いた。
昔から集めてきた、膨大な楽曲データ。
バンド時代のデモ音源、歌ってみたの音源、そして単に趣味で集めたお気に入りの曲たち。
DJ気分で曲を選ぶのは嫌いじゃない。
「……これにするか」
選んだのは、最近よく聴いている男性アーティストのラブソングだった。
アップテンポすぎず、バラードすぎず、心地よいミディアムテンポのJ-POP。
歌詞がストレートで、メロディが綺麗な曲だ。
自分が歌うわけではないけれど、「俺はこういう曲が好きです」という名刺代わりにはなるだろう。
BGMリストに楽曲ファイルをドラッグ&ドロップする。
準備は整った。
『準備はよろしいですか?』
画面の中で、ヨーコが小首を傾げる。
『異世界の迷える子羊たちが、あなたの声を待っています(たぶん)』
「(たぶん)って付けるなよ。……まあ、誰も聞いてなくても、壁に向かって喋るよりはマシだろ」
俺はマイクのポップガードを指で軽く弾いた。
ボッ、ボッ、という音がインジケーターを跳ねさせる。
音声入力、良好。
BGM音量、バランスよし。
手元には水も用意した。
深呼吸を一つ。
肺の中の空気を入れ替える。
オーディションの時のような、胃がキリキリする緊張感はない。
あるのは、久しぶりにマイクの前に座った、心地よい高揚感だけだ。
「よし」
短く呟き、俺はマウスカーソルを右上の赤いボタンに合わせた。
『ON AIR』。
そのボタンをクリックすれば、俺の声は海を越え、空を超え、次元を超えて届くらしい。
本当かどうかは分からない。
けれど、信じてみることにした。
少なくとも、この十五分間だけは、俺は「名無しのNo.a」じゃなく、誰かに声を届ける「配信者」になれる。
カチッ。
乾いたクリック音と共に、ボタンの色が赤から『LIVE』という鮮やかな緑色に変わった。
インジケーターが動き出す。
俺の、最初の異世界配信が始まった。
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