異世界配信、はじめました。〜バズらない俺が、あっちでは唯一の男性として大人気みたいです〜

いちごぴゅーれ

第1話 神様のご褒美

誰かに自分を見てほしかった。  

自分の声を、誰かに聞いてほしかった。  

そんなありふれた承認欲求は、現代社会において珍しいものじゃない。

誰もがスマートフォンという魔法の杖を持ち、世界中に向かって「私を見てくれ」と叫んでいる時代だ。


伊吹のあ。それが俺の本名だ。  

漢字で書くと少し堅苦しいが、音の響きは気に入っている。  

ネット上でのハンドルネームは『No.a』。

中学生の頃、オンラインゲームで適当につけた名前を、そのまま使い続けている。

当時はなんだか意味深で格好いいと思っていたのだ。

今思い返すと顔から火が出るほど痛々しいけれど、愛着がないわけではない。


俺は現在、二十二歳、大学四年生。  

世間一般で言えば、人生の岐路に立たされている時期であり、社会という名の荒波に漕ぎ出す準備を終えていなければならない年齢である。  

だが、俺の船は港に繋がれたままだ。

いや、正しくは出航することを諦め、陸に上がって家業の店番をしようとしている、と言うべきか。


パソコンのモニターが、青白く薄暗い部屋を照らしている。  

メールボックスの最上段には、未読の通知が一件。  

件名は『選考結果のお知らせ』。  

送信元は、先日受けた某大手芸能事務所の新人発掘オーディション事務局。


マウスを握る手に、じっとりと嫌な汗が滲む。  

期待していないと言えば嘘になる。  

今回こそは、と思った。

課題曲の歌唱審査の手応えも悪くなかったし、面接官の反応も上々だった気がする。  

もしかしたら。万が一。ひょっとして。  

そんな淡い希望が、胸の奥で風船のように膨らんでいる。


「……よし」


意を決して、クリックした。  

画面が切り替わり、事務的なフォントが羅列された本文が表示される。  

俺の視線は、文章の冒頭ではなく、末尾にある定型句を無意識に探していた。  

そして、それはすぐに見つかった。


『――末筆ながら、伊吹様の今後のご健闘とご活躍をお祈り申し上げます』


プシュウ、と音を立てて、胸の中の風船が萎んでいくのがわかった。  

お祈りされてしまった。  

これで何回目だろうか。

もう数を数えるのもやめてしまったけれど、三十回までは数えていた気がする。


「……はあ」


部屋の空気を全部吐き出すような、深く重い溜め息が漏れた。  

椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げる。  

六畳一間の、なんの変哲もない俺の城。

壁には防音用のウレタンフォームが不格好に貼り付けられている。  

俺なりに、努力はしてきたつもりだ。  


中学生の頃、テレビで見たアイドルの輝きに憧れた。

自分もあんな風に、ステージの上でスポットライトを浴びてみたいと思った。  

高校生になると、歌や演技の練習を始めた。

文化祭ではバンドのボーカルもやった。

そこそこ評判は良かったし、近所の女子高生からファンレターをもらったことだってある。  

いけるんじゃないか、と勘違いするには十分な出来事だった。

   

大学生になってからは、活動の場をネットにも広げた。  

ゲーム実況、「歌ってみた」、雑談配信。

流行り廃りの激しいネットの波に乗ろうと、必死にパドルを漕いだ。  

けれど、結果は残酷なほどに出なかった。  

同接数は良くて二桁。ひどい時は「0」が延々と並ぶこともあった。

コメント欄は静まり返り、俺の独り言だけが虚空に消えていく。    


結局、俺には「何か」が足りないのだ。  

人を惹きつけるカリスマ性なのか、圧倒的な才能なのか、あるいは単なる運なのか。

自分では「そこそこいける」と思っていても、世界は俺を見つけてくれなかった。

俺は『No.a』という名前の、ただの「名無し」のまま終わろうとしている。


「雑貨屋、継ぐかあ……」


ぽつりと呟いた言葉が、部屋の隅に吸い込まれた。  

実家は、田舎町で古くから続く雑貨屋を営んでいる。  

両親は「好きなことをやればいい」と言ってくれていたが、同時に「ダメだったら戻ってきてもいい」とも言ってくれていた。  

それは優しさだが、今の俺には逃げ道に見える。


そして、俺はその逃げ道に足を踏み入れようとしている。  

就職活動はしていない。実家を継ぐことが、俺の就職だ。  

悪くない人生だと思う。

住み慣れた土地で、馴染みの客と世間話をしながら、のんびりと歳を重ねていく。

それはそれで幸せな形なのだろう。    

ただ、諦めきれない何かが、まだ胸の奥で燻っているだけだ。

 

バズりたい。

有名になりたい。  

ちやほやされたい。  

俺の声を聞いてほしい。  

そんな子供じみた欲望の燃えカスが、いつまでも消えてくれないのだ。


「……寝るか」


モニターの電源を落とすと、部屋は完全な闇に包まれた。  

その暗さが、今の俺の心の中を映しているようで、少しだけ居心地が悪かった。


          ◇


翌朝。  

カーテンの隙間から差し込む日差しで目を覚ました俺は、重い体を引きずってベッドから起き上がった。  

昨夜の落ち込みを引きずっているのか、頭の芯がぼんやりとしている。  

顔を洗い、ジャージに着替えて外に出る。  

田舎特有の、澄み切った朝の空気が肺を満たしていく。

ひんやりとした冷気が、眠っていた細胞を無理やり叩き起こすようだ。


俺は家の裏手に回った。  

そこには、鬱蒼とした杉林に囲まれた、小さな石段がある。  

苔むした石段を一段ずつ登っていく。

湿った土の匂いと、緑の匂いが混じり合った、どこか懐かしい香り。  

五十段ほどの階段を登りきると、そこには小さな社がひっそりと鎮座していた。


ここが俺の毎朝のルーティン場所だ。  

名前もよく知らない、古びた神社。  

子供の頃から遊び場にしていた場所で、いつからか毎朝ここに来て手を合わせるのが日課になっていた。  

特に信心深いわけではない。

ただ、ここに来ると心が落ち着くのだ。

誰もいない静寂の中で、自分自身と向き合える気がして。


手水舎の水は枯れているので、持参したペットボトルの水で手を清める。  

社の前に立ち、鈴緒を掴んで揺らす。  

ガラガラ、と乾いた音が静寂を破る。  

二礼、二拍手。  

パン、パン、という柏手の音が、木々の間に吸い込まれていく。


いつもなら、ここで願うことは決まっている。  

『オーディションに受かりますように』  

『次の動画がバズりますように』  

『有名になれますように』  

そんな、他力本願で切実な願い事だ。


けれど、今朝は違った。  

合わせた手のひらに額を押し当て、俺は心の中で独りごちた。


(……今までありがとうございました。もう、潮時かもしれません)


神様に報告するような、自分に言い聞かせるような言葉。  

夢を見るのは楽しかった。

でも、そろそろ目を覚ます時間だ。  

実家を継いで、親孝行をして、普通に生きていく。

それも悪くない。  

平凡な自分を受け入れる強さを持とう。


(これからは、真面目に働きます。だから……見守っていてください)


そう念じて、最後の一礼をしようとした、その時だった。


「――おやまあ。随分としおらしいことを言うねぇ」

不意に、声が聞こえた。  


風の音でも、鳥のさえずりでもない。  

しわがれているけれど、温かみのある、おばあちゃんのような声。

 

「え?」

俺は顔を上げ、周囲を見回した。  

誰もいない。  


杉の木が風に揺れているだけだ。  

近所のお年寄りが散歩に来たのかと思ったが、人の気配は全くない。

この神社は裏山の中腹にあり、ここへ続く道は俺が登ってきた石段一本だけだ。

誰かがいれば気づくはずだ。


「空耳……か?」

寝不足で幻聴でも聞こえたのだろうか。  


首を傾げながら、帰ろうと背を向けかけた時、また声が響いた。  

今度はもっとはっきりと。

耳元で囁かれたように。


「空耳じゃないよぉ。いつもありがとねぇ、のあちゃん」

「うわっ!?」


俺は情けない声を上げて飛び退いた。  

心臓が早鐘を打つ。  

見えない。やっぱり誰もいない。

けれど、声は確かに聞こえた。しかも、俺の名前を呼んだ。


「だ、誰ですか? 隠れてないで出てきてくださいよ」


恐る恐る声を張り上げる。  

すると、虚空からクスクスという笑い声が降ってきた。


「隠れてるわけじゃないよ。あんたには見えないだけさね。私はここにいるよ、ずっと前からね」

「……ここって、社の中に?」

「まあ、そんなところだねぇ」


のんびりとした口調は、不思議と恐怖を感じさせなかった。

むしろ、縁側でお茶を啜っているおばあちゃんと話しているような、奇妙な安心感がある。  

……待てよ。社の中にいて、姿が見えなくて、ずっと前からいた?  

それってつまり。


「か、神様……?」

「そう呼ぶ人もいるねぇ。まあ、近所の世話焼き婆さんだと思っておくれ」


神様は肯定した。  

マジかよ。俺は呆然と口を開けた。  

二十一世紀の現代日本で、神様の声を聞くなんて。

ストレスで脳がいよいよバグったのか、それとも超常現象か。


「あんた、昔からずっと頑張ってたねぇ」

俺の混乱をよそに、神様は語りかけてきた。


「雨の日も風の日も、ここに来て手を合わせて。人が見ていないところでも発声練習をして。誰も聞いていない配信でも、一生懸命喋って」


「……見てたんですか」


「見てたよぉ。あんたが悔し泣きしてるのも、布団の中で足をバタバタさせてるのも、全部ね」


「うわ、それは恥ずかしいから忘れてください!」


顔が一気に熱くなる。  

神様というのは、随分と趣味が悪いというか、プライバシーの侵害が甚だしい存在らしい。


「ふふふ。でもね、私はあんたのこと、嫌いじゃないよ。不器用だけど、真っ直ぐで。夢を諦めようとしてる今も、やっぱりどこかで未練たらたらなところも、人間らしくて可愛いじゃないか」


「……褒められてる気がしないんですけど」


「だからね、ご褒美をあげようと思ってさ」


「ご褒美?」


唐突な提案に、俺は瞬きをした。  

神様のご褒美。なんだろう。

宝くじが当たるとか、突然イケメンになるとか、そういう現世利益的なものだろうか。


「あんた、声を届けたいんだろう? 誰かに聞いてほしいんだろう?」


「それは……まあ、はい。でも、もう才能ないって分かったんで」


「才能なんて、場所が変われば評価も変わるもんさね」

神様の声が、少しだけ悪戯っぽく弾んだ。


「ちょっと遠いけど、あんたの声がよく届く場所に繋いどいたよ」


「繋いだ? どこにですか? 海外とか?」


グローバル展開なんて考えてもみなかった。

英語なんて喋れないし、海外で俺の歌が受けるとも思えない。


「もっと遠くだねぇ。ここより少し不便で、でも賑やかで……男の子が全然いない場所さ」


「は? 男の子がいない?」


女子校か何かだろうか?  

話が抽象的すぎてよく分からない。


「きっと喜ばれるよぉ。あんたみたいな男の子の声は、あっちじゃ『奇跡』みたいなもんだからねぇ」


「奇跡って……大袈裟ですよ」


「まあ、やってごらんよ。週に一回、十五分だけしか繋がらないけどね。あんたの好きなように、喋ったり歌ったりすればいいさ」


週一回、十五分。  

随分と限定的なご褒美だ。回線速度の制限でもあるんだろうか。


「あの、具体的なやり方とか、サイトのURLとかは……」


「帰ってパソコンを開けば分かるよ。……じゃあね、のあちゃん。たまにはお供え物にお饅頭でも持ってきておくれよ」


声が遠ざかっていく。


「ちょ、ちょっと待ってください! 神様!?」


呼び止めたが、返事はなかった。  

風が止み、元の静寂が戻ってくる。  

残されたのは、狐につままれたような顔をした俺だけだった。


          ◇


家に帰るまでの道中、俺はずっと「夢だったんじゃないか」と自問自答していた。  

朝の空気が薄れて、現実的な朝食の匂いが漂う時間になっても、あの声の余韻は耳に残っていた。


ご褒美。  

男の子がいない場所。  

繋いでおいた。


部屋に戻った俺は、吸い寄せられるようにデスクに向かった。  

スリープモードになっていたパソコンのキーボードを叩く。  

ファンの回転音と共に、画面が明るくなる。


見慣れたデスクトップ画面。  

散らかったフォルダや、ゲームのショートカットアイコン。  

その中に、一つだけ。  

昨日までは絶対になかった、異質なアイコンが鎮座していた。


「……これか?」


それは、真っ黒な四角形のアイコンだった。  

名前はない。ただの黒い四角。  

普通なら、ウイルス感染を疑って即座に削除する案件だ。

怪しすぎる。  

けれど、俺の指は躊躇わなかった。


『あんたの声がよく届く場所に繋いどいたよ』


あのおばあちゃん……神様の言葉が、背中を押している気がした。  

どうせ、終わろうとしていた夢だ。  

最後に神様の悪戯に付き合うのも、悪くないかもしれない。  

もしウイルスだったら、パソコンごと買い換えればいい。

それくらいの貯金はある。


「週一回、十五分……か」


俺はマウスを握り直し、黒いアイコンにカーソルを合わせた。  

カチ、カチッ。  

ダブルクリックの乾いた音が、部屋に響く。


一瞬の暗転の後、画面中央にシンプルなウィンドウが展開された。  

そこに表示されていたのは、見たこともない配信ソフトのインターフェース。  

そして、アカウント名の欄には、最初からこう入力されていた。


『No.a』


俺のハンドルネーム。  

俺は息を呑み、そして小さく笑った。  

どうやら、本当らしい。


これが、俺と異世界の奇妙な縁の始まりだった。  

この時の俺はまだ知らない。  

この過疎配信者のお遊びが、海の向こうどころか次元の彼方で、とんでもない伝説になろうとしていることを。

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