〈飛ぶ首〉

「勿論、あなたの上官、いぬい少将には話を通してあります」

「それは構いませんが……私でお役に立てますでしょうか?」

「勿論ですよ。だって冬梧とうご様、お強いでしょう?」

 柔和に微笑む月古つきこは画板を冬梧の手から優しく取り上げた。冬梧の顔を覆う黒々とした絵画に月古は大事そうに触れると、幾重もの画板を立てて保存する棚の中に丁重に仕舞った。

「冬梧様には改めて自己紹介をしなければならないのですが、僕は軍人専属の人物画家であると同時に軍属として依頼者の悩みを解決する仕事をしています」

「依頼者の悩み……?」

「はい。例えばあなたのように何かに悩む人の依頼です。刀に触れると錆びる、毎晩、何かに首を噛まれるといった軍では解決できない『悩み』を解決するのが僕のもう一つの仕事です」

「はあ……」

 冬梧は怪訝な表情を隠しきれなかったが、月古は慣れているのか気にしていない様子だった。

「見てもらう方が早いです。今からその依頼者が来ます。早速ですが、あなたには香中こうなか暉朗きろうの代わりを務めてもらいたいんです」

「俺は反対だ」

 冬梧が答える前に扉の前にずっと立っていた暉朗が声を上げる。冬梧は今の今まで暉朗が扉の前にいたことに気付いていなかった。冬梧と同じく背丈のある暉朗が腕を組んだまま冬梧を睨んでいる。

「暉朗。これは必要なことです」

「ですが」

「あなたも扉の前で観察して分かったでしょう?」

「しかし」

「兄さん」

 それでも引かない暉朗に月古の呆れたような声が聞こえる。兄さん、と呼ばれたことで暉朗は苦々しい表情を浮かべると冬梧を一瞥した。

「……月古を頼んだ」

 そう言って暉朗は扉を開けて早々に部屋を出て行ってしまった。

「冬梧さん。ごめんなさい。暉朗は過保護なんです」

「気にしていません。……ご兄弟だったのですね」

「……一応。複雑な家系なものですから」

 月古の言葉に冬梧は自分が迂闊な発言をしてしまったことに気付き、後悔した。気まずい雰囲気が部屋を満たそうとした時、扉を叩く音がした。

「依頼者です。冬梧様は僕の背後にいてください」


 **

 依頼者は〈緒宇良ノ国おうらのくに〉帝国軍省整備局大尉の中堂なかどう理市りいちという冬梧の同期だった。三白眼の目の下には色濃い隈が紫紺に滲んでいる。

「……冬梧か。お前、何故ここにいる」

「軍務だ」

 軍務と言っていいのか分からないが、冬梧は月古の後ろで言葉少なに答えた。理市は一瞬、悩む素振りを見せたものの、冬梧から目を逸らして月古に向き合った。

「……実は毎夜、眠った後に体から首が離れるのです」

 理市は首に手を触れた。開襟ネクタイ式の軍装の、ネクタイごと首を抑えながら理市は続ける。

「俺は……首のままで飛んでいるのです。人のいない大通りで雄叫びを上げながら首を前に前にと飛ばしているのです。そしてとある家に入り込んでいるのですが、その家が……」

 理市は言葉を切って、気まずそうに冬梧を見た。

「〈緒宇良ノ国〉帝国軍省整備局中佐、荒巻あらまき丙三へいぞうの屋敷です」

「なっ」

 思わず声を上げてしまった冬梧に月古が振り返った。月古は笑顔を浮かべると、人差し指を自分の口元に当てて、口の形だけで静かに、と冬梧を窘めた。

「失礼しました。続けてください」

 理市は額に汗の玉を浮かべて続きを口にした。

「荒巻中佐の屋敷に飛び込んだ俺は……口を大きく開けながら屋敷の廊下を縦横無尽と飛び回っているのです。そしてとある部屋に行きつくと、締め切られた障子を通り抜け、布団の上に眠る荒巻中佐に向かって突撃しようとしているのです」

 ただ俺は、と理市は語気を荒げた。

「決して……荒巻中佐に対して何か思うことはありません! 自分も分からないのです。毎夜毎夜……どうして首が離れるのか……」

飛頭蛮ひとうばん

 月古の声に理市が目を丸くする。月古は尚も続けた。

「あるいは抜け首。何かの執着や未練によるものが飛頭蛮や抜け首という物の怪の形となる奇病です。飛頭蛮の殆どは女性であることが多いのですが抜け首なら男性の前例もあります。ただ……気になるのは理市様に心当たりがないことです。荒巻様に対して殺してやりたいと思う程の恨みはありませんか?」

「ある訳がないだろう!」

 理市が声を荒げながら椅子から立ち上がる。椅子は床の上に大きな物音を立てて倒れた。理市は今、冬梧を睨んでいた。冬梧が月古の前に出たからだ。理市は声を荒げたことを恥じてか気まずそうに俯いている。

「理市様」

 冬梧が振り返ると月古は理市を見上げて穏やかに笑んでいた。声を荒げられたにも拘らず、怖がっている様子はない。

「大変失礼を致しました。長らくの時間を頂きますが、解決致しましょう。その前にひとつだけ、いいでしょうか」

「はい……」

「どのような因業を前にしても、その結果を受け入れていただきたいのです」

 理市は一瞬、顔を歪めたが即座に姿勢を正し、月古に向かって深々と頭を下げた。

 月古はゆっくりと立ち上がると冬梧に向き合った。

「冬梧様。あなたは僕が絵を描き終えるまで後ろで見守っていただけませんか?」

 穏やかな笑みと共に彩雲のような瞳が冬梧を見つめる。様々な色が踊る瞳に見つめられた冬梧は底知れぬ恐怖を覚えながらも、無言で頷いた。

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