第2話
翌朝。
俺、天堂湊は、通学路を歩きながら頭を抱えていた。
隣には、上機嫌で鼻歌を歌っている妹――いや、従妹の深月がいる。
「ふふふーん♪ いい天気だね、湊くん」
「……深月。頼むから学校の近くでは『湊くん』と呼ぶな。『お兄ちゃん』に戻せ」
「えー? なんで? もう他人行儀な兄妹ごっこは終わりでしょ?」
深月が不満げに頬を膨らませ、俺の制服の袖をキュッと掴んでくる。
その仕草は可愛らしいが、問題なのはここが通学路のド真ん中だということだ。
私立神楽坂高校。
進学校であるこの学校において、生徒会長である深月は有名人だ。
「氷の聖女」と呼ばれ、男子生徒の告白を「勉強の邪魔です」と氷点下の笑顔で断り続けてきた高嶺の花。
そんな彼女が、朝から男子生徒(俺)の袖を掴んで、デレデレと甘えている。
「おい見ろよ……あれ、天堂先輩だよな?」
「隣にいるの、兄貴の湊先輩か? なんか雰囲気違くね?」
「会長、あんな顔する人だったっけ……?」
周囲の生徒たちが、ヒソヒソと噂話をしているのが聞こえる。
視線が痛い。
特に男子生徒からの、「なんであの平凡な兄貴が、あんな美少女と……」という嫉妬の視線が突き刺さる。
「深月、離れろ。風紀委員に見つかったら指導されるぞ」
「平気だよ。私が生徒会長だし、風紀委員長は私のマブダチだもん。権力で揉み消すよ」
「権力の私物化をやめろ!」
俺はため息をつきながら、なんとか校門をくぐった。
昨夜の「従兄妹バレ」以来、深月のブレーキは完全に壊れている。
今までは「兄妹だから」という理性の壁があったが、それが撤去された今、彼女は暴走機関車と化していた。
(……頼むから、今日一日、平穏に終わってくれ)
俺の願いは、虚しくも昼休みに粉砕されることになる。
◇
昼休み。学食「カグラ・カフェ」。
俺は日替わり定食のチケットを買い、空いている席を探していた。
普段なら友人と食べるのだが、今日はあいにく友人が風邪で欠席していたため、一人飯だ。
「あ、湊くん! ここ空いてるよ!」
聞き覚えのある鈴のような声。
振り返ると、窓際の特等席に深月が座っており、ブンブンと手を振っていた。
彼女の周りには、取り巻きの女子生徒やお弁当箱が並んでいるが、俺の姿を見るなり、彼女たちは空気を読んで(あるいは深月の無言の圧力に屈して)席を立った。
「あ、えっと、私たちは購買に行ってくるねー」
「ごゆっくりー、会長」
モーゼの海割りのように席が空く。
俺は逃げようとしたが、深月にガシッと腕を捕まれた。
「逃さないよ? 一緒に食べよ?」
「……分かった。分かったから座らせてくれ」
俺は諦めて、深月の対面に座った。
食堂中の視線が俺たちに集中しているのを感じる。
「氷の聖女」が、兄貴を逆ナンして席に連れ込んだ図だ。目立たないわけがない。
「はい、湊くん。私のお弁当、卵焼きあげる」
「いらん。俺は定食がある」
「えー、食べてよぉ。今朝、湊くんのために甘めに焼いたんだよ?」
深月が弁当箱から卵焼きを箸でつまみ、俺の口元に差し出してくる。
いわゆる「あーん」だ。
食堂がざわめく。
「おい、マジか……?」
「あーん、だと……?」
「聖女様が、あんな甘い顔で……」
俺は顔から火が出る思いだった。
断れば深月が拗ねて、さらに面倒なことになるのは目に見えている。
俺は覚悟を決めて、パクッと卵焼きを食べた。
「……うん、美味い」
「でしょ? えへへ、間接キスだね♡」
「っ!?」
深月は俺が食べた箸をそのまま自分の口に運び、嬉しそうにご飯を頬張った。
食堂のざわめきが、悲鳴に変わる。
「おい聞いたか!? 今、間接キスって言ったぞ!」
「兄妹だろ!? 距離感バグりすぎだろ!」
「アウトだ! 完全に近親のアレだ!」
さらに深月は、俺の口元に米粒がついているのを見つけると、躊躇なく自分の指で拭い取り、それをペロリと舐めた。
「ん。……湊くん、だらしないよ?」
「お前なぁ……! 場所を考えろ!」
「なんで? 愛し合う二人に場所なんて関係ないよ」
「声がデカい!!」
俺は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
終わった。俺の平穏なスクールライフは、音を立てて崩れ去った。
その頃。
私立神楽坂高校の生徒だけがアクセスできる「非公式・裏掲示板」では、とあるスレッドが爆速で消費されていた。
◇
**【速報】生徒会長・天堂深月様、兄貴へのデレが限界突破【近親?】**
1 **:名無しの生徒**
おい、食堂見たか?
会長と兄貴(湊先輩)が一緒にメシ食ってるんだが、距離感バグってね?
いつもベタベタしてるけど、今日はなんか「湿度」が高くないか?
2 **:名無しの生徒**
見た。
会長、自分の弁当を湊先輩に「あーん」してた。
ここまではいつもの日常風景だが、その後のセリフがヤバい。
「湊くん、口についてるよ♡」って言って、指で拭って自分の口に入れたぞ。
3 **:名無しの生徒**
>>2
「湊くん」呼び!?
あんなに「お兄ちゃんお兄ちゃん」言ってたブラコン会長が!?
これはいけません。兄妹のラインを超えてます。風紀委員案件です。
4 **:名無しの生徒**
俺、隣の席で聞き耳立ててたんだが、会話がカオスだった。
会長「ねえ、昨日の話だけどさぁ。式場はやっぱりガーデンウェディングがいいかな?」
兄貴「だから早いって。まずは受験だろ」
会長「えー、じゃあ既成事実だけでも……」
兄貴「お前、学校だぞ! 声がデカい!」
これマジでなんの話? 妊娠?(錯乱)
5 **:名無しの生徒**
>>4
マ?
式場って結婚式場かよwww
兄妹で結婚式とか、どこのエロゲだよwww
でも会長のあの顔見てると、冗談に見えなくて怖い。
6 **:名無しの生徒**
【悲報】俺たちの高嶺の花、実の兄貴と禁断の愛へ。
終わった。俺の青春終わった。
誰か六法全書持ってこい。近親婚の禁止条項を読み上げてやれ。
7 **:名無しの生徒**
待て、お前ら早まるな。
情報通の3年C組の奴から聞いたんだが、とんでもない噂が流れてる。
「天堂兄妹、実は従兄妹だった説」。
8 **:名無しの生徒**
は?
9 **:名無しの生徒**
は????
え、それってつまり……合法?
10 **:名無しの生徒**
>>7
詳しく。
ソースはどこだ。
11 **:名無しの生徒**
俺の親が天堂家の親と知り合いなんだが、昔「湊くんは引き取った子」って言ってた気がする。
養子縁組してないなら、法的には「同居してる親戚」だぞ。
つまり、民法734条の近親婚制限には引っかからない。
12 **:名無しの生徒**
うわあああああああああああああ!!!!
最強のカード切りやがった!!!!
「美少女の幼馴染」で「妹属性」で「ひとつ屋根の下」で「結婚可能」!?
そんなラノベ設定が現実に許されていいのかよ!!
13 **:名無しの生徒**
>>12
勝ち確すぎる。
湊先輩、前世で国でも救ったんか?
それとも世界を救った勇者の転生体か?
14 **:名無しの生徒**
てことは、今日のあのデレデレは……
「もう兄妹じゃないから遠慮しなくていいよね?」っていう解放の舞なのか?
会長のリミッター解除ってことか?
15 **:名無しの生徒**
速報。
食堂を出る時、会長が先輩の腕に胸を押し付けながら上目遣いで一言。
「放課後、まっすぐ帰ろうね? ……続き、しよ?」
先輩、顔真っ赤にして逃走。会長、小悪魔スマイルで追跡。
現場からは以上です。
俺は帰って枕を濡らす。
16 **:名無しの生徒**
爆発しろ(祝福)。
いや、やっぱ爆発しろ(嫉妬)。
17 **:名無しの生徒**
とりあえず、我々にできることは一つだ。
二人の邪魔をして会長に凍らされないように、遠くから見守ることだ。
……くそっ、尊いなちくしょう!
◇
放課後。
掲示板でそんな祭りが開催されているとも知らず、俺は教室で荷物をまとめていた。
視線を感じる。
クラスメイトたちが、まるで珍獣を見るような、あるいは英雄を見るような目で俺を見ている。
「……おい天堂。お前、妹と……いや、なんでもない」
友人の一人が話しかけてきたが、途中で言葉を濁して去っていった。
なんだ、なんなんだこの空気は。
「湊くん! 帰ろ!」
教室のドアがガラッと開き、鞄を持った深月が入ってきた。
一瞬で教室の空気が華やぐ。
だが、その笑顔は俺だけに向けられたものだ。
「……ああ、帰るか」
俺が立ち上がると、深月は当然のように俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
柔らかい感触と、温かい体温。
クラス中の男子の殺気が背中に刺さる。
(……従兄妹だってバレるのは時間の問題かもしれないな)
いや、もう手遅れかもしれない。
俺は諦めの境地で、愛重めの「婚約者(予定)」と共に、夕暮れの廊下を歩き出した。
家に帰れば、二人きりの時間が待っている。
昨日はベッドの端で耐え抜いたが、果たして今日は理性を保てるのだろうか。
俺たちの「甘々で波乱に満ちた新生活」は、まだ始まったばかりだ。
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