第3話『霧の海』

第3話『霧の海』


出航して五日が経った。


海は穏やかで、船は順調に進んでいる。


リラは、すっかり船に慣れた。


「リディアさん、お茶です」


リラがお茶を持ってきた。


「ありがとう、リラ」


「いえ」


リラは私の隣に座った。


私たちは船首で、海を見ていた。


青い海。


風が心地よい。


「……海、綺麗ですね」


「うん。綺麗だね」


「私、海が好きです」


「リラも、海の声が聴こえるんだよね」


「はい。小さい頃から」


「どんな声?」


「波の音、風の音、魚の声……色々です」


「魚の声?」


「はい。魚も、話すんです」


「へえ。面白いね」


「リディアさんも、聴こえますか?」


「うーん、まだよく分からない。嵐の時に初めて聴こえたから」


「そうなんですか」


「でも、これから練習する」


「私も、手伝います」


「ありがとう、リラ」


二人でお茶を飲んでいると、マルコが声をかけてきた。


「おい、リディア。霧が出てきたぞ」


「霧?」


私は前を見た。


確かに、霧が出ている。


濃い霧。


「……視界が悪くなるね」


「ああ。気をつけろ」


船が霧の中に入った。


視界が、ほとんどゼロになる。


「……何も見えない」


「マルコ、大丈夫?」


「ああ。でも、慎重に進む」


サラが地図を見ている。


「この辺りは、霧の海と呼ばれています。霧が濃く、迷いやすいそうです」


「迷いやすい?」


「ええ。羅針盤も狂うことがあるとか」


私は羅針盤を見た。


針が、揺れている。


「……本当だ。針が、安定しない」


「どうする?」


「……リラ」


私はリラを見た。


「海の声、聴こえる?」


リラは目を閉じた。


しばらくして、リラが言った。


「……はい、聴こえます」


「どっちに進めばいい?」


「……北です。まっすぐ、北」


「分かった。マルコ、北だ」


「了解」


マルコが舵を切った。


船が、ゆっくりと進む。


霧の中。


何も見えない。


「……不気味だね」


トムが呟いた。


「ああ。でも、進むしかねえ」


その時、リラが声を上げた。


「……待ってください」


「どうした?」


「……何か、います」


「何か?」


「船です。大きな船」


私は前を見た。


霧の向こうに、影が見えた。


「……本当だ」


船が近づく。


巨大な船。


でも、動いていない。


帆も破れている。


「……幽霊船?」


トムが震えた。


「幽霊船って……」


「いや、人がいるかもしれない」


マルコが舵を切り、船を近づけた。


「おーい!誰かいるか!」


マルコが叫んだ。


返事はない。


「……誰もいないのか?」


「分からん。乗り込んでみる」


「危なくない?」


「大丈夫だ。リディア、お前はここにいろ」


「でも」


「いいから」


マルコとトムが、幽霊船に乗り込んだ。


私とサラとリラは、船で待った。


「……大丈夫でしょうか」


リラが不安そうに言った。


「大丈夫。マルコは強いから」


しばらくして、マルコが戻ってきた。


「いたぞ。二人」


「二人?」


「ああ。女と男だ。どっちも生きてる」


「よかった」


マルコが二人を連れてきた。


一人は、40代くらいの女性。茶色の髪で、優しい顔をしている。


もう一人は、28歳くらいの男性。筋肉質で、無口そうだ。


「大丈夫ですか?」


サラが駆け寄った。


女性が答えた。


「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」


「よかった」


「私、ケイトと言います。こちらは、ベン」


男性が頷いた。


「……ベンだ」


「どうして、こんなところに?」


「船が、嵐で壊れて……漂流していたんです」


ケイトは疲れた顔で笑った。


「助けていただいて、ありがとうございます」


「いえ、当然のことです」


私はケイトとベンを見た。


「これから、どうするんですか?」


ケイトは寂しそうに笑った。


「……分かりません。行く場所も、ないので」


「なら、一緒に来ませんか?」


「え?」


「私たち、北の海に行くんです。一緒に来ませんか?」


「でも、私たち、足手まといになるかも」


「そんなことないです。人手は多い方がいい」


マルコが頷いた。


「ああ。船を動かすには、人が必要だ」


「……いいんですか?」


「もちろんです」


私は笑った。


「これから、仲間です」


ケイトは目に涙を浮かべた。


「……ありがとうございます」


ベンも頷いた。


「……よろしく」


こうして、仲間が七人になった。


リディア、マルコ、サラ、トム、リラ、ケイト、ベン。


七人で、北の海を目指す。


霧が、少しずつ晴れてきた。


「……あ、晴れてきた」


リラが言った。


「よかった」


霧が完全に晴れた。


そして、目の前に、広大な海が広がった。


「……わあ」


リラが声を上げた。


「綺麗……」


青い海。どこまでも続く。


「……ここが、北の海か」


マルコが呟いた。


「北の海……」


私は羅針盤を見た。


針は、北を指していた。


「……死海は、もうすぐだ」


ケイトが近づいてきた。


「リディアさん、何を探してるんですか?」


「心臓。ネプトゥヌスの心臓」


「心臓……」


ケイトは目を見開いた。


「それって、伝説の……」


「はい。でも、伝説じゃない。本当にあるんです」


「どうして、そんな危険なものを?」


「母の遺志を、継ぎたくて」


私は羅針盤を握りしめた。


「母は、心臓を探してた。でも、手に入れてすぐに手放した。代償が怖くて」


「代償……」


「使うほど、人間性を失うって。でも、私は、手に入れる」


ケイトは優しく笑った。


「……そうですか。なら、私も手伝います」


「ケイトさん?」


「私、娘を探してるんです。五年前、嵐で離れ離れになって」


「娘さんを……」


「ええ。エリンって言います。まだ、見つかってない」


ケイトは寂しそうに笑った。


「だから、リディアさんの力になりたいんです。もしかしたら、心臓の力で、娘を見つけられるかもしれない」


「……分かりました。一緒に、探しましょう」


「ありがとうございます」


ベンも近づいてきた。


「……俺も、手伝う」


「ベンさんも?」


「ああ。俺も、家族を失った。海賊に」


ベンは拳を握りしめた。


「復讐じゃない。ただ、新しい家族が欲しい」


「……家族」


私は七人を見た。


マルコ、サラ、トム、リラ、ケイト、ベン。


「……そうだね。私たち、家族だ」


みんな、笑った。


船が、北へ進む。


私は船首に立ち、海を見た。


「……母さん、私、仲間ができたよ」


風が吹いた。


優しい風。


「……ありがとう」


私は羅針盤を握りしめた。


針は、北を指していた。


「……もうすぐ、死海だ」


その夜、ケイトが料理を作ってくれた。


温かいスープと、パン。


「わあ、美味しそう」


リラが目を輝かせた。


「ケイトさん、料理上手ですね」


「ありがとう。娘のために、よく作ってたから」


「娘さん、元気にしてるといいですね」


「……ええ」


ケイトは寂しそうに笑った。


「必ず、見つけます」


「ええ。きっと見つかりますよ」


みんなで食卓を囲んだ。


温かいスープ。


美味しい。


「……美味しい」


「よかった」


ケイトが笑った。


トムが言った。


「なあ、ケイトさん。俺たち、家族みたいだな」


「そうね。本当に」


「俺、家族ってのがよく分からなかったんだけど、こういうのが家族なのかな」


「そうよ。一緒にご飯を食べて、笑って、支え合う。それが家族」


「……そっか」


トムは笑った。


「なら、俺たち、家族だな」


「うん」


みんな、笑った。


食事の後、私は甲板で一人、考えていた。


家族。


母さんと親父も、こうやって一緒にご飯を食べたのかな。


笑って、話して。


「……母さん、親父、私、いい仲間ができたよ」


星が綺麗だった。


北極星が、輝いている。


「……もうすぐ、死海だ」


ベンが近づいてきた。


「……眠れないのか」


「ベンさん。うん、ちょっと考え事してた」


「……そうか」


ベンは私の隣に立った。


「……俺も、眠れない」


「どうして?」


「……家族のこと、思い出して」


「……そっか」


「俺の家族は、二年前、海賊に殺された」


「……」


「黒鯨団って言う、残忍な海賊だ」


黒鯨団。


「……復讐したいんですか?」


「……いや」


ベンは首を振った。


「復讐しても、家族は戻らない。それより、新しい家族が欲しい」


「新しい家族……」


「ああ。お前たちみたいな」


ベンは私を見た。


「……だから、俺も戦う。お前たちを守るために」


「……ありがとう、ベンさん」


「礼なんていらねえ。家族だろ」


私は笑った。


「うん。家族だ」


二人で、星を見た。


「……ベンさん、黒鯨団って、北の海にいるんですか?」


「ああ。十の海賊団の一つだ」


「十の海賊団……」


「北の海を支配する、十の海賊団。どれも強力で、残忍だ」


「……そっか」


「もしかしたら、お前たちも戦うことになるかもしれない」


「……覚悟は、できてる」


「……そうか」


ベンは少し笑った。


「……お前、強いな」


「そうかな」


「ああ。親父さんに似てる」


「親父を知ってるんですか?」


「ああ。噂でな。海賊王ダリウス・クロウ。伝説の男だ」


「……親父」


「お前は、親父さんの娘として、誇りを持っていい」


「……ありがとう」


私は羅針盤を握りしめた。


「……私、頑張るよ」


「ああ。俺たちも、一緒だ」


二人で、船室に戻った。


明日も、航海が続く。


北の海を進む。


死海へ。


心臓へ。


でも、もう怖くない。


仲間がいるから。


家族がいるから。


「……大丈夫。みんなと一緒なら」


私は眠りについた。

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