第2話『最初の嵐』
第2話『最初の嵐』
出航して二日が経った。
海は穏やかだった。風も心地よく、船は順調に進んでいる。
私は船首に立ち、海を見ていた。
青い海。どこまでも続く水平線。
空は晴れていて、雲一つない。
「……綺麗」
海は、怖い。でも、美しい。
「リディア、ぼーっとすんなよ」
マルコが声をかけてきた。
「ぼーっとしてないよ」
「嘘つけ。お前、さっきから動いてねえぞ」
「……少し、考え事してただけ」
「考え事?」
「母さんのこと」
マルコは溜息をついた。
「……そうか」
「母さんって、どんな人だったの?マルコは会ったことある?」
「ああ、一度だけ。お前が生まれる前だ」
「どんな人だった?」
「……優しい人だった。でも、芯が強い。笑顔が素敵で、でも、目は真剣だった。親父さんが惹かれたのも分かる」
「母さん、心臓を探してたんだよね」
「ああ。でも、手に入れてすぐに手放した。親父さんを忘れたくなかったんだろう」
「私は、手に入れる」
「リディア……」
「大丈夫。一人じゃないから」
私はマルコを見た。
「マルコも、サラも、トムも、一緒にいてくれるから」
マルコは笑った。
「……ったく。お前、本当に親父さんそっくりだな」
「よく言われる」
「お前が決めたなら、俺は従う。でも、無茶はするなよ」
「分かってる」
私は羅針盤を見た。
針は、北を指していた。
「……もうすぐ、北の海だ」
その時、風が変わった。
「……ん?」
私は空を見上げた。
黒い雲が、近づいてきている。
「マルコ!嵐だ!」
「何?」
マルコも空を見た。
「……ちっ。来やがったか」
「どうする?」
「避けられねえ。覚悟を決めろ」
マルコは舵を握りしめた。
「サラ!トム!嵐が来るぞ!準備しろ!」
「了解です!」
サラが地図を片付けた。
「おう!」
トムが帆を調整し始めた。
私も手伝おうとした。
「リディア、お前は船首にいろ!」
「でも!」
「いいから!お前が羅針盤を見てろ!道を見失うな!」
「……分かった」
私は船首に戻った。
羅針盤を握りしめる。
針は、北を指していた。
「……頼む、導いて」
風が強くなった。
波が高くなる。
船が揺れる。
「うわっ!」
トムが転びそうになった。
「トム!」
「大丈夫だ!」
トムはロープにつかまった。
雨が降り始めた。
激しい雨。視界が悪くなる。
「マルコ!見えない!」
「我慢しろ!」
船が大きく揺れた。
「きゃっ!」
私は手すりにつかまった。
羅針盤が光った。
「……え?」
青白い光。
羅針盤が、光っている。
「これ……」
光が、私の手に流れ込んできた。
暖かい。
いや、熱い。
「……これ、母さんの力?」
私の中に、何かが目覚めた。
海の声が、聴こえる。
波の音。
風の音。
雨の音。
すべてが、言葉のように聴こえる。
「……海が、話しかけてくる」
「トム!危ない!」
マルコの叫び声。
私は振り向いた。
トムが、高波にさらわれそうになっている。
「トム!」
私は手を伸ばした。
「誰か!助けて!」
その瞬間、私の中の何かが反応した。
「……海よ、お願い」
海が動いた。
波が、トムを船に押し戻した。
「うわっ!」
トムが甲板に転がった。
「……え?」
私は自分の手を見た。
光っている。
青白い光。
羅針盤と同じ光。
「これ、私が……?」
マルコが叫んだ。
「リディア!今のお前か!」
「分からない!でも、海が動いた!」
「海の民の力だ!」
サラが叫んだ。
「海の民の血が、目覚めたんです!」
「海の民の……」
私は母さんのことを思い出した。
母さんは、海の民だった。
海の声が聴こえた。
海を操れた。
なら、私も。
「……私も、海の民なんだ」
嵐が、少しずつ収まってきた。
雨が弱くなり、風が穏やかになる。
そして、嵐が去った。
空が晴れた。
「……終わった」
私はへたり込んだ。
「リディア、大丈夫か?」
マルコが駆け寄ってきた。
「うん、大丈夫」
「さっきの力、お前が?」
「多分。でも、どうやったのか分からない」
「海の民の力だな」
サラが近づいてきた。
「リディアさん、あなたは母親セレーナから海の民の血を受け継いでいます。その力が、今、目覚めたんです」
「海の民の血……」
「ええ。羅針盤が触媒になったのでしょう。羅針盤は、セレーナさんのものでしたから」
私は羅針盤を見た。
まだ、微かに光っている。
「母さん、これ、私に力をくれたの?」
トムが近づいてきた。
「すげえな、リディア!お前、海を操れるのか!」
「操れるって言うか……よく分からないけど」
「でも、俺を助けてくれたんだろ?ありがとな」
「うん。無事でよかった」
マルコが溜息をついた。
「……ったく。いきなり力が目覚めるとはな」
「ごめん、びっくりさせて」
「いや、助かった。お前のおかげで、トムが無事だ」
「でも、まだよく分からない。この力」
「これから学べばいい。焦るな」
「……うん」
サラが言った。
「リディアさん、海の民の力は、心と繋がっています。あなたが強く願えば、海は応えます」
「心と……」
「ええ。今、トムさんを助けたいと強く願ったでしょう?」
「……うん」
「だから、海が応えたんです」
「なるほど……」
私は海を見た。
穏やかな海。
「……海の声が、聴こえる」
波の音。
魚の声。
風の囁き。
「……不思議」
その時、海の向こうに、何かが見えた。
「……あれ?」
小さな船。
いや、板切れ?
「マルコ、あれ」
「ん?」
マルコも見た。
「……人か?」
「人!」
私は立ち上がった。
「助けないと!」
「ああ。近づくぞ」
マルコが舵を切った。
船が、板切れに近づく。
板切れの上に、小さな影が見えた。
「……子供?」
女の子だ。
茶色の髪。
濡れて、震えている。
「助けるぞ!」
トムが板切れに飛び乗り、女の子を抱きかかえた。
「大丈夫か!」
女の子は、意識がない。
「船に乗せろ!」
トムが女の子を船に運んだ。
サラが駆け寄る。
「私が診ます」
サラが女の子を診察した。
しばらくして、サラが言った。
「……大丈夫です。疲労と低体温症ですが、命に別状はありません」
「よかった」
私は安堵した。
「でも、こんなところで、どうして……」
「分かりません。でも、嵐で船が沈んだのかもしれません」
「そっか……」
女の子を、船室に運んだ。
毛布をかけ、暖める。
私は女の子のそばに座った。
「……大丈夫。もう安全だから」
女の子の顔を見る。
幼い顔。
12、13歳くらいだろうか。
でも、どこか、懐かしい感じがする。
「……青い目」
女の子の目は、青い。
海のような、青い目。
「……海の民?」
その時、女の子の手が動いた。
「……ん」
目が開いた。
青い目。
綺麗な目。
「……ここは?」
「船の上だよ。助けたんだ」
女の子は私を見た。
「……あなたは?」
「リディア。リディア・クロウ」
「リディア……」
女の子は体を起こした。
「私、リラ。リラって言います」
「リラ。大丈夫?怪我はない?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「よかった」
私は笑った。
「どうして、海に?」
リラの顔が曇った。
「村が……海賊に襲われて」
「海賊に……」
「はい。みんな、逃げて……でも、私だけ、船に乗れなくて」
リラの目に涙が浮かんだ。
「家族も……みんな……」
「……そっか」
私はリラを抱きしめた。
「大丈夫。もう安全だから」
リラは泣いた。
私は、何も言わなかった。
ただ、抱きしめていた。
しばらくして、リラが落ち着いた。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
「でも……」
「大丈夫。これから、どうする?」
リラは首を振った。
「分かりません。行く場所も、ないです」
「なら、一緒に来る?」
「え?」
「私たち、北の海に行くんだ。一緒に来ない?」
「でも、私、何もできません」
「そんなことない。リラは、海の民の血を引いてるでしょ?」
リラは驚いた。
「……なんで、分かるんですか?」
「青い目。それに、海の声が聴こえるでしょ?」
「……はい」
「私も、海の民の血を引いてるんだ。だから、分かる」
リラは目を見開いた。
「本当ですか?」
「うん。一緒に来よう。一人じゃ、寂しいでしょ?」
リラは泣きそうになった。
「……いいんですか?」
「もちろん」
私はリラの手を握った。
「これから、仲間だから」
リラは頷いた。
「……ありがとうございます」
私たちは甲板に戻った。
マルコたちに、リラを紹介した。
「この子、リラ。これから、仲間だ」
「よろしくな、リラ」
マルコが笑った。
「よろしくお願いします」
リラは小さく頭を下げた。
サラが近づいた。
「リラちゃん、体は大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「よかった。何かあったら、いつでも言ってね」
「はい」
トムが笑った。
「よう、リラ!俺、トムだ!よろしくな!」
「はい、よろしくお願いします」
リラは少し笑った。
私は船首に立ち、羅針盤を見た。
針は、北を指していた。
「……母さん、私、力が目覚めたよ」
風が吹いた。
優しい風。
まるで、母さんが答えているように。
「……そして、仲間が増えたよ」
リラが隣に来た。
「リディアさん、ありがとうございます」
「お礼なんていいよ。これから、よろしくね」
「はい」
二人で、海を見た。
青い海。
「……リラ、海の声、聴こえる?」
「はい。波の音、風の音……魚の声も」
「私も聴こえる」
「本当ですか?」
「うん。さっき、目覚めたんだ」
「すごいです」
「リラも、すごいよ。海の声を聴けるんだから」
「でも、私、まだよく分からないんです」
「大丈夫。一緒に学ぼう」
「はい」
二人で笑った。
夜、私は甲板で一人、考えていた。
今日、力が目覚めた。
海の民の力。
母さんから受け継いだ力。
「……でも、これは心臓の力じゃない」
心臓の力は、もっと強大なはず。
母さんは、心臓で嵐を起こした。
でも、私が今日使ったのは、小さな波。
「……心臓を手に入れたら、もっと強くなるのかな」
でも、代償もある。
印が出る。
人間性を失う。
「……怖い」
その時、リラが近づいてきた。
「リディアさん、眠れないんですか?」
「リラ。うん、ちょっと考え事してた」
「私も、眠れなくて」
「そっか」
リラは私の隣に座った。
「……リディアさん、今日、ありがとうございました」
「お礼なんていいよ」
「でも、私、助けてもらって……何もお返しできなくて」
「お返しなんていらないよ。仲間だから」
「仲間……」
リラは目に涙を浮かべた。
「私、家族を失って……もう一人だと思ってました」
「……リラ」
「でも、リディアさんが助けてくれて……仲間だって言ってくれて」
リラは泣いた。
「……嬉しいです」
私はリラを抱きしめた。
「大丈夫。もう一人じゃないから」
「……はい」
「これから、一緒に行こう。北の海へ」
「はい」
二人で、星を見た。
北の空に、北極星が輝いている。
「……あれが、北極星」
「綺麗ですね」
「うん。あの星が、北を教えてくれる」
「リディアさんは、北の海で何を探すんですか?」
「心臓。ネプトゥヌスの心臓」
「心臓……」
「母さんが探してた。でも、手に入れなかった。だから、私が」
「……危険じゃないんですか?」
「うん。危険。でも、行くんだ」
「……私も、手伝います」
「リラ?」
「リディアさんが助けてくれたから。今度は、私がリディアさんを助けます」
「……ありがとう、リラ」
「いえ。仲間ですから」
私は笑った。
「うん。仲間だ」
二人で、海を見た。
波の音が、心地よい。
「……リラ、海の声、今も聴こえる?」
「はい。波が、歌ってます」
「歌?」
「はい。海は、いつも歌ってるんです」
「……そうなんだ」
「リディアさんにも、聴こえますか?」
私は目を閉じた。
海の声を聴く。
波の音。
風の音。
そして、歌。
「……聴こえる」
「本当ですか?」
「うん。綺麗な歌」
「はい。海の歌です」
二人で笑った。
「……リラ、これから、よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
私たちは船室に戻った。
明日から、また航海が続く。
北の海へ。
心臓へ。
でも、もう一人じゃない。
仲間がいる。
マルコ、サラ、トム、そしてリラ。
「……大丈夫。みんなと一緒なら」
私は眠りについた。
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