『海賊王の娘 ~紅き潮風の継承者~』
山太郎
第1話『父の遺産』
第1話『父の遺産』
親父が死んだのは、三日前だった。
港町の安宿で、一人、静かに。私が駆けつけた時には、もう冷たくなっていた。
「……親父」
ベッドの上で眠るように横たわる親父の顔は、穏やかだった。苦しんだ様子はない。ただ、静かに、旅を終えたように見えた。
海賊王ダリウス・クロウ。
かつて七つの海を駆け巡り、数え切れないほどの伝説を残した男。私の親父。
「海賊王」なんて大層な名前で呼ばれていたけど、私が知る親父は、そんな伝説の男じゃなかった。いつも港町の酒場で酒を飲み、昔話を語り、笑っている。ただの、優しい親父だった。
私が小さい頃、親父はよく海の話をしてくれた。大きな波、激しい嵐、美しい夕日。船の上での冒険。仲間たちとの絆。でも、母さんの話だけは、決してしなかった。
「……なんで、何も言わなかったんだよ」
私は親父の手を握った。冷たかった。
親父は私に何も教えてくれなかった。母さんのこと。海の民のこと。心臓のこと。全部、隠していた。
「親父……」
涙が溢れた。止まらなかった。
私は、ずっと聞きたかった。母さんのことを。母さんはどんな人だったのか。どうして死んだのか。私を産んで三日後に死んだと聞いている。でも、それ以上のことは、何も知らない。
親父に尋ねても、黙るだけだった。悲しそうな顔をして、ただ、黙っていた。
そして今、親父は逝った。
何も、教えてくれないまま。
「……ひどいよ、親父」
私は親父の手を握りしめた。
「私、何も知らないまま……どうすればいいの」
窓の外から、海の音が聴こえた。
波の音。
親父が愛した海の音。
カモメの鳴き声。
港の喧騒。
「……親父、ごめん。泣いてばかりじゃ、ダメだよね」
私は涙を拭いた。
「ちゃんと、送ってあげないと」
葬儀は、翌日だった。
港町の人々が集まり、親父を送った。皆、親父のことを「伝説の海賊」と呼び、敬意を払った。昔の仲間たちも来てくれた。マルコも、サラも、トムも。みんな、親父のことを慕っていた。
「リディア、親父さんは立派だった。お前の誇りだ」
マルコが肩に手を置いた。
「……うん」
「何かあったら、いつでも言えよ。俺たち、親父さんには恩がある」
「ありがとう、マルコ」
「お前、親父さんそっくりだな。強い目をしてる」
「……そうかな」
「ああ。親父さんも、お前くらいの時、そんな目をしてた」
葬儀が終わり、私は親父の部屋へ戻った。
小さな部屋。ベッドと机と椅子だけの、質素な部屋。
「……親父、本当に、ここで一人で暮らしてたんだね」
私は部屋を見回した。
壁には、古い地図が貼られている。親父が旅した海の地図だ。七つの海。北の海、南の海、東の海、西の海。そして、死海。
机の上には、空のグラスと、半分読みかけの本。
「……『海の民の伝説』」
本のタイトルを読む。
海の民。
母さんは、海の民だったと聞いている。
でも、それ以上のことは知らない。
「……親父の遺品、整理しないと」
私は机の引き出しを開けた。
中には、古い地図と、小さな羅針盤と、一冊の日記があった。
「……これ」
羅針盤を手に取った。青銅製で、表面に細かい装飾が施されている。装飾は、波のような模様。よく見ると、文字も刻まれている。読めない文字。海の民の文字だろうか。
針は、北を指していた。
「これ、母さんの……?」
私は羅針盤を握りしめた。暖かかった。まるで、生きているように。心臓のように、脈打っているような感覚。
「……不思議」
私は羅針盤を胸に当ててみた。
鼓動が、シンクロする。
私の心臓と、羅針盤の鼓動が。
「……これ、本当に母さんのものなんだ」
次に、日記を手に取った。
古い革表紙。黄ばんだ紙。重厚感がある。
私は日記を開いた。
親父の字だった。几帳面な、でも力強い字。
『航海日誌 ダリウス・クロウ』
最初のページには、日付と場所が書かれていた。
『20年前、北の海にて』
私は息を呑んだ。
20年前。私が生まれる前。
『セレーナと出会った』
母さんの名前だ。
私は震える手で、ページをめくった。
『セレーナは海の民だった。青い瞳、黒い髪。海の声が聴こえると言った。俺は彼女に惹かれた』
『最初に会ったのは、港町の酒場だった。彼女は一人で座り、海を見ていた』
『俺が声をかけると、彼女は笑った。「あなたは、海賊ね」と』
『俺たちは、すぐに打ち解けた』
『彼女は、心臓を探していた。ネプトゥヌスの心臓を』
心臓。
私は息を止めた。
ネプトゥヌスの心臓。
伝説の宝。
『心臓は、北の死海にあると言われている。三つの試練を越えれば、手に入るらしい』
『だが、心臓には代償がある。使うほどに、人間性を失う。記憶を失う。最後には、死ぬ』
代償。
『俺はセレーナを止めようとした。でも、彼女は言った。「私は、海を守りたい」と』
『海の民として、心臓を手に入れなければならないと』
『俺には、彼女を止められなかった』
『俺は、彼女についていくことにした』
『俺たちは、北の死海へ向かった』
ページをめくる。
『死海への道は、厳しかった』
『嵐、霧の海、渦潮。何度も、死にかけた』
『でも、セレーナは決して諦めなかった』
『死海への道には、四つの門がある』
『白、赤、青、黒の門』
『心に従って、門を選べ、とセレーナは言った』
『俺たちは、青い門を選んだ。セレーナの直感だった』
『門をくぐると、そこは別世界だった。音が消える海。沈黙の海』
『三つの試練を越えた。水の試練。火の試練。風の試練』
『試練は、厳しかった。何度も、諦めようと思った』
『でも、セレーナは決して諦めなかった。俺も、セレーナのために戦った』
『そして、心臓の在処を知った』
次のページ。
『セレーナは、心臓を手に入れた』
私は息を呑んだ。
母さん、心臓を手に入れてたんだ。
『心臓を手にした瞬間、セレーナの目が光った』
『そして、海が動いた。セレーナの意志で、海が動いた』
『すごい力だった。嵐を起こし、波を操る』
『でも、代償が現れた』
『セレーナの右手に、青白い印が浮かんだ』
印。
『セレーナは、その印を見て、震えた』
『そして、セレーナは言った。「ダリウス、あなたの顔が、分からなくなってきた」と』
『俺は、恐怖した』
『セレーナが、俺を忘れていく』
『それが、代償だった』
『セレーナは、泣きながら言った。「ダリウス、私、あなたを忘れたくない」と』
『俺は、セレーナを抱きしめた』
『「なら、心臓を手放せ」と言った』
『セレーナは、すぐに心臓を手放した』
『心臓は、氷の海の底に戻っていった』
『セレーナの印は、少し薄くなった』
『でも、完全には消えなかった』
『セレーナの体は、日に日に弱っていった』
私は涙が溢れた。
母さん。
『俺たちは逃げた。死海から、心臓から』
『そして、この港町に辿り着いた』
『セレーナは、ここで穏やかに暮らした』
『俺たちは、結婚した』
『そして、娘が生まれた。エメラルディア。リディア』
私の名前。
『セレーナは、リディアを抱いて、笑った』
『「この子は、海のように美しい」と』
『でも、セレーナは、リディアを産んで三日後に死んだ』
『医者は「体が弱っていた」と言った』
『でも、俺には分かっていた。心臓の代償だ』
『たとえ手放しても、代償は残る』
『俺は、全てを隠すことにした。心臓のことも、海の民のことも、セレーナのことも』
『娘を、守るために』
『娘には、普通に生きてほしい。海賊にも、海の民にも、ならずに』
『でも、もし娘が海を求めるなら』
『この日記と羅針盤を、渡そう』
『娘よ、お前が選んだ道を、進め』
『ただし、覚えておけ』
『心臓の代償は、恐ろしい』
『一人では、耐えられない』
『だが、お前には仲間がいるはずだ』
『仲間と共に、進め』
『俺は、お前を信じている』
『お前は、俺とセレーナの娘だ』
『強く、優しく、海を愛する娘だ』
『愛してる、リディア』
ページが終わった。
私は日記を閉じた。
「……親父、母さん」
涙が止まらなかった。
親父は、私を守るために、全てを隠していたんだ。
でも、この日記を残してくれた。
羅針盤を残してくれた。
そして、母さんの真実を教えてくれた。
母さんは、心臓を手に入れた。
でも、親父を忘れたくなくて、手放した。
それでも、代償は残った。
そして、私を産んで、死んだ。
「……母さん、あなたは、親父を愛してたんだね」
私は羅針盤を握りしめた。
羅針盤が、微かに光った。
暖かい光。
「……母さん」
私は立ち上がった。
「……私も、行くよ。母さんが行けなかった場所へ」
私は親父の日記と羅針盤を持って、部屋を出た。
港へ向かった。
海風が、顔に当たる。
潮の匂い。
カモメの鳴き声。
私は、海が好きだ。小さい頃から、ずっと。
港には、小さな船が停まっていた。
「よう、リディア」
声をかけられた。振り向くと、マルコが立っていた。
マルコ・ヴァレンティ。元軍人で、親父の昔の仲間。32歳。顔に大きな傷があるが、優しい目をしている。頼りになる男だ。
「……マルコ」
「親父さんのこと、まだ考えてるのか?」
「うん。親父の日記、見つけたんだ」
「日記?」
「うん。母さんのこと、書いてあった」
マルコは目を見開いた。
「セレーナさんの?」
「うん。母さん、心臓を探してたって」
「心臓……まさか、ネプトゥヌスの心臓か?」
「知ってるの?」
「ああ。親父さんから、少し聞いたことがある。でも、伝説だと思ってた」
「伝説じゃない。本当にあるんだ」
私は日記を見せた。
マルコは日記を読み、顔をしかめた。
「……セレーナさんが、手に入れてたのか」
「うん。でも、すぐに手放した。親父を忘れたくなくて」
「……そうか」
マルコは日記を閉じた。
「で、お前、何するつもりだ?」
「……北の海に、行く」
マルコの顔が強張った。
「北の海?」
「うん。心臓を、探しに」
「リディア、待て。心臓には代償があるんだろ?危険すぎる」
「分かってる。でも、行くんだ」
私は羅針盤を握りしめた。
「母さんの遺志を、継ぎたい。それに、私、母さんのこと、何も知らない。母さんがどんな人だったのか、知りたい」
「でも……」
「それに、親父の日記に書いてあった。『仲間と共に、進め』って」
私はマルコを見た。
「だから、一人じゃない。マルコ、一緒に来てくれる?」
マルコは溜息をついた。
「……ったく。親父さんも、お前も、頑固だな」
「だって、親父の娘だもん」
「ま、そうだな」
マルコは笑った。
「分かった。俺も行く」
「マルコ!」
「お前一人じゃ、心配だ。それに、親父さんへの恩返しでもある」
「……ありがとう」
「礼なんていらねえよ。仲間だろ」
私は頷いた。
「でも、二人じゃ船を動かせないな」
「ああ。最低でも四人は必要だ」
「知り合いは?」
「二人、心当たりがある。サラとトムだ」
「サラ・ブレイク?船医の?」
「ああ。知識も豊富だし、役に立つはずだ。それに、古代の知識を研究してる。心臓のことも知ってるかもしれない」
「トムって、あの元盗賊の?」
「ああ。今は真面目に働いてる。親父さんに捕まって、改心したんだ。明るいし、ムードメーカーになる」
「そっか」
「二人に声をかけてみる。お前は船の準備をしろ」
「分かった」
マルコは港を離れた。
私は船に近づいた。
小さな船。でも、しっかりとした造りだ。親父が昔使っていた船らしい。
船体には、鴉の紋章が描かれている。クロウ号。親父の船の名前だ。
「……この船で、北の海へ」
私は羅針盤を見た。
針は、北を指していた。
「母さん、待っててね」
私は船に乗り込み、船室を確認した。
小さいが、必要なものは揃っている。
食料、水、武器、毛布。
「……これで、しばらくは大丈夫」
夕方、マルコが戻ってきた。
二人連れていた。
一人は黒髪ショートの女性。眼鏡をかけている。サラ・ブレイクだ。25歳。冷静で知的な雰囲気。
もう一人は金髪の男性。常に笑顔のトム・ハリスだ。23歳。明るくて、ムードメーカー。
「よう、リディア!久しぶり!」
トムが手を振った。
「トム、久しぶり」
「親父さんのこと、残念だったな。いい人だったのに」
「……うん」
「でも、お前、親父さんに似てきたな。強そうな顔してる」
「そうかな」
「ああ。親父さんも、昔、そんな顔してたって、マルコが言ってた」
サラが近づいてきた。
「リディアさん、お久しぶりです。マルコさんから聞きました。北の海へ行くと」
「うん。心臓を探しに」
「ネプトゥヌスの心臓ですね。興味深いです」
「興味深い、って……」
「私、古代の知識を研究していたんです。心臓についても、少し知っています」
「本当?」
「ええ。心臓は、海神ネプトゥヌスが創ったと言われています。海を守るために。でも、力には代償があります」
「代償……」
「ええ。使えば使うほど、人間性を失う。記憶を失う。最後には、死ぬ」
私は親父の日記を思い出した。
母さんも、そう言っていた。
「でも、方法があるかもしれません」
「方法?」
「ええ。古代の文献に、『力を分かち合う儀式』というものがあります。詳細は不明ですが」
「力を分かち合う……」
「ええ。もしかしたら、代償も分散できるかもしれません」
「……なるほど」
「ですから、同行させてください。研究の機会として。そして、リディアさんの力になりたいです」
「助かる。ありがとう、サラ」
「いえ。こちらこそ、貴重な機会をいただいて」
トムが笑った。
「俺も行くぜ!面白そうだし!」
「面白そう、って……危険だよ?」
「だから面白いんだろ?それに、親父さんには恩がある。お前を守るのは、俺の役目だ」
「……ありがとう、トム」
「礼なんていらねえって!仲間だろ?」
マルコが腕を組んだ。
「これで四人だ。船を動かせる」
「船は、あれでいいの?」
「ああ。クロウ号。親父さんの船だ。小さいが、しっかりしてる。北の海まで持つだろ」
「なら、出発しよう」
「今から?」
「うん。一刻も早く」
マルコは溜息をついた。
「……ったく。せっかちだな」
「親父の娘だから」
「ま、そうだな」
私たちは船に乗り込んだ。
マルコが舵を取り、サラが地図を広げ、トムが帆を張った。
私は船首に立ち、羅針盤を見た。
針は、北を指していた。
「……母さん、行くよ」
船が動き出した。
港が遠ざかっていく。
私は振り向かなかった。
前だけを見た。
北の海へ。
心臓へ。
母さんの遺志を継ぐために。
そして、母さんのことを知るために。
海風が、髪を揺らす。
波の音が、心地よい。
「……私、海が好き」
マルコが舵を取りながら言った。
「おい、リディア。北の海は危険だぞ。覚悟はできてるか?」
「うん。できてる」
「なら、いい」
マルコは笑った。
「親父さんも、きっと見守ってくれてる」
「……うん」
私は空を見上げた。
夕日が、海を赤く染めていた。
「……綺麗」
トムが隣に来た。
「な、綺麗だろ?俺、この景色が好きなんだ」
「うん。私も」
「リディア、お前、親父さんに似てるよ」
「トムにも言われた」
「親父さんも、いつも海を見てた。そして、『海は怖いが、美しい』って言ってた」
「……親父が」
「ああ。お前も、そう思うだろ?」
「……うん」
私は海を見た。
海は、怖い。
嵐も、波も、渦潮も。
でも、美しい。
そして、私を呼んでいる。
「……行くよ、母さんのところへ」
夜、私は甲板で一人、考えていた。
親父の日記を読み返す。
母さんのこと。
心臓のこと。
代償のこと。
「……母さん、代償は怖かった?」
母さんは、親父を忘れかけた。
それが、怖かった。
だから、心臓を手放した。
「……でも、代償は残った」
私は右手を見た。
まだ、何も起きていない。
でも、いずれ、私にも代償が現れる。
心臓を手に入れたら。
「……怖い」
正直、怖かった。
でも、引き返せない。
「……でも、私には仲間がいる」
マルコ、サラ、トム。
みんな、一緒にいてくれる。
「……一人じゃない」
私は立ち上がった。
星が、綺麗だった。
北の空に、北極星が輝いている。
羅針盤の針も、北を指している。
「……もうすぐ、北の海だ」
船室に戻ろうとした時、マルコが声をかけてきた。
「おい、リディア。眠れないのか?」
「うん。ちょっと、考え事してた」
「……不安か?」
「少し」
マルコは隣に座った。
「お前、親父さんに似てるよ」
「みんなに言われる」
「ああ。親父さんも、いつも一人で抱え込んでた。強がって、笑って、でも、一人で悩んでた」
「……親父が」
「ああ。でも、最後には仲間を頼った。だから、生き延びた」
マルコは私を見た。
「お前も、一人で抱え込むな。辛い時は、頼れ」
「……うん」
「俺たちがいる。サラも、トムも。これから出会う仲間も」
「……ありがとう、マルコ」
「礼なんていらねえよ。仲間だろ」
私は笑った。
「うん。仲間だ」
マルコは立ち上がった。
「さ、寝ろ。明日から、本格的な航海だ」
「うん。おやすみ、マルコ」
「おやすみ」
私は船室に戻り、ベッドに横になった。
親父の日記を胸に抱く。
「……親父、母さん、見守っててね」
目を閉じた。
波の音が、子守唄のように響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます