第10話|平民妃の誕生
白亜の聖堂は、冬の澄んだ空気を震わせる鐘の音に包まれていた。 かつてリナに向けられていた冷ややかな悪意や蔑みの視線は、今や驚きと、そして圧倒的な幸福のオーラに呑み込まれ、畏怖を含んだ祝福へと塗り替えられている。
リナは、鏡の中に映る自分を信じられない思いで見つめていた。 纏っているのは、一国の王妃にのみ許される、純白のシルクに数千の真珠を縫い込んだドレス。森で薬草を摘んでいた頃の自分からは、想像もつかないほど遠い場所に立っている。
「……震えているな」
背後から、低く心地よい声が響く。 鏡の中に、正装に身を包んだアルフレートが姿を現した。彼は王位を継承し、若き国王としての風格を纏っているが、リナに向ける瞳だけは、あの地下室で見せた、ひどく切実で熱い輝きを失っていない。
「アルフレート様……。なんだか、まだ夢を見ているみたいで」
「夢ではない。……もし夢だと言うのなら、私が一生、お前を起こさずにいよう」
彼はリナの肩に手を置き、その首筋に顔を寄せて、深く息を吸い込んだ。 「お前をこうして装飾品で飾るのも悪くないが……私は、お前の指先に残る、あの薬草の僅かな香りを誰よりも知っている。そのお前が、私の王妃になるのだ」
「私に務まるでしょうか。皆、納得してくれたのでしょうか」
「納得させた。お前を認めぬ法があるなら書き換え、不満を漏らす者がいるなら、そのすべてを黙らせた。……今日、この瞬間から、お前を傷つけるものはこの地上に存在しない」
アルフレートはリナの手を取り、ゆっくりと大聖堂の扉へと向かった。
扉が開かれた瞬間、光の洪水が二人を飲み込んだ。 パイプオルガンの重厚な旋律が空気を震わせ、何千もの花びらが舞い散る。参列する貴族たち、そして城門の外に詰めかけた国民たちの歓声が、地響きのように鳴り響く。
リナは一歩ずつ、バージンロードを歩む。 隣にいるアルフレートの手の温もりだけが、これが現実であることを教えてくれた。 祭壇の前に立ち、厳かな宣誓が交わされる。
「――健やかなるときも、病めるときも、この女性を唯一の妻とし、愛し抜くことを誓いますか?」
司祭の問いに、アルフレートは迷いなく、会場の隅々まで響き渡る声で答えた。
「誓おう。私の魂が尽き、肉体が滅びた後も、彼女だけを愛し続けると」
その言葉は、もはや義務としての宣誓ではなく、一人の男が捧げる究極の祈りだった。 リナもまた、震える声で愛を誓った。 「はい。私も、一生をかけて、あなたを愛し、お支えします」
「では、誓いの印を」
アルフレートはリナのベールをゆっくりと、慈しむように持ち上げた。 現れたリナの潤んだ瞳を見て、彼は満足げに口角を上げる。そして、吸い寄せられるように唇を重ねた。
数千人の視線の中で交わされる、深くて長い口づけ。 リナは、彼の唇から伝わる熱と、独占欲に満ちた強い力に、目眩を覚えるほどの多幸感を感じていた。
やがて唇が離れた瞬間。 拍手の嵐と歓声が爆発する中、アルフレートはリナの腰を強く引き寄せ、誰にも聞こえない低い声で、耳元にその唇を寄せた。
「……捕まえたぞ、リナ。もう、二度とあのような檻は用意しない」
「アルフレート……?」
「その代わりに、私の愛でお前を縛り続ける。一生、逃がすつもりはない。お前の吐息一つ、眼差し一つまで、すべて私のものだ。……覚悟はできているな?」
その囁きは、甘い呪いのようだった。 かつて感じた束縛の恐怖は、今はもう、溶けるような安心感へと変わっている。 リナは彼の胸に顔を埋め、いたずらっぽく笑って答えた。
「ええ。……あなた以外の場所へ逃げる方法なんて、もう忘れてしまいました」
教会の窓から差し込む冬の陽光が、二人を祝福の光で包み込む。 平民だった少女と、孤独だった王子の物語は、ここで一旦の幕を閉じる。 けれど、二人の「溺愛」に満ちた日々は、これから新しいページを刻み始めるのだ。
王冠を戴いたアルフレートが、リナの手を高く掲げ、バルコニーへと向かう。 そこには、自分たちの新しい王と王妃を待つ、広大な世界が広がっていた。
「愛している、リナ。私の、ただ一人の薬草師」
「私も愛しています。私の、わがままな王子様」
鳴り止まない鐘の音の中、二人は寄り添い、どこまでも続く青空を見上げた。 そこには、どんな困難も、どんな壁も、もう存在しなかった。 ただ、永遠に続く愛の約束だけが、二人の行く末を優しく照らしていた。
完結
『お前を離すつもりはない――薬草師の娘は、冷徹王子の溺愛から逃げられない』 春秋花壇 @mai5000jp
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