第9話|二人の誓い
事件から数日が過ぎた。 王宮の喧騒から遠く離れた、静まり返ったアルフレートの寝室。窓の外では冬の予感を含んだ風が木々を揺らし、カサカサと乾いた音を立てている。
部屋の中は、暖炉で爆ぜる薪の音と、オレンジ色の柔らかな光だけが支配していた。リナは、包帯が巻かれたアルフレートの大きな手を、自身の両手で包み込むように握りしめている。
「……殿下、少しはお休みになれましたか?」
リナがそっと声をかけると、目を閉じていたアルフレートの睫毛が微かに震え、深い海のような青い瞳がゆっくりと開かれた。だが、その瞳にはかつての峻烈な光はなく、ひどく脆い、硝子細工のような危うさが宿っている。
「……お前が側にいるか、確かめていただけだ」
アルフレートの声は掠れ、消え入るように細い。彼はリナの手を、壊れ物を確かめるような力加減で握り返した。
「ここにおります。ずっと、あなたのそばに」
「嘘だ。……あの地下室で、私はお前を失う幻覚を見た。お前の首筋に刃が当てられた瞬間、私の世界からは、音も、色も、温度も消え去ったのだ」
彼は上体を起こそうとして、傷口が痛むのか微かに顔を歪めた。リナが慌てて背中にクッションを差し入れようとすると、アルフレートはそれを拒むように、彼女の手首を掴んで自分の胸元へと引き寄せた。
ドクン、ドクン、ドクン。
軍服を脱ぎ捨てた薄い寝着越しに、彼の心臓の鼓動がダイレクトにリナの掌に伝わる。速く、激しく、まるで助けを求めるように脈打っている。
「聞け、リナ。これが私の本体だ。王子としての義務も、冷徹な統治者としての仮面も、お前がいなければただの空っぽの器に過ぎない」
「殿下……」
「お前が『来ないで』と叫んだ時、私の心臓は一度死んだ。お前は私の幸せを願ってくれたが、お前は分かっていない。……お前がいない世界で、私が王座に座り、贅を尽くした暮らしをすることに何の意味がある? それは死を待つだけの、豪華な墓場にいるのと同じだ」
アルフレートはリナの指先を、熱い吐息がかかる距離まで引き寄せ、自身の唇を押し当てた。その唇は微かに震えており、リナは胸が締め付けられるような衝撃を覚える。
「私は臆病者だ、リナ。お前がいない世界を生きる勇気など、これっぽっちも持っていない。……お願いだ、私を一人にしないでくれ。お前という光が消えるなら、私はこの国もろとも暗闇に沈んでも構わないと思っている。それほどまでに、私はお前に依存しているのだ」
初めて見る、王子の涙だった。 一国の未来を背負い、誰にも弱音を吐かずに孤独な戦いを続けてきた男が、今、平民の娘であるリナの腕の中で、ボロボロと大粒の涙を流している。
「……アルフレート」
リナは彼を強く、母が子をあやすように抱きしめた。 彼の体からは、消毒薬の匂いと、彼自身の切実な体温が混ざり合って漂ってくる。
「私はどこへも行きません。たとえ世界中があなたを暴君と呼んでも、私はあなたの、ただ一人のリナとしてここにいます。……あなたの幸せが私であるなら、私は一生をかけて、あなたを幸せにし続けます」
「誓ってくれるか? 神にではなく、私だけに」
「はい。神様ではなく、目の前にいる、私の大切なアルフレートに誓います」
リナがそう告げると、アルフレートはリナの肩に顔を埋め、子供のように肩を震わせて泣きじゃくった。その涙は、これまでの孤独と、彼女を失う恐怖をすべて洗い流すための儀式のようだった。
やがて、泣き疲れた彼が顔を上げると、その瞳にはこれまでにない、静かな、けれど決して消えることのない決意の火が灯っていた。
「リナ。私は決めた。……王座を捨てるのではない。私は王になり、この国の法を書き換える。お前が胸を張って私の隣にいられるように。お前を『平民』としてではなく、私の『唯一無二の魂』として、国中に認めさせてやる」
「……そんな、大変なことを」
「お前の愛に比べれば、国を作り替えるなど容易いことだ。……もう一度、お前の唇で、その誓いを封印してくれ」
アルフレートの手がリナの後頭部を優しく、逃がさないように包み込む。 重なり合う唇からは、もう血の味はしなかった。 あるのは、互いの存在を慈しみ、命を分かち合うような、甘く、深い、魂の融合の感覚。
暖炉の火が静かに揺れ、二人の影を大きく壁に映し出す。 それは檻ではなく、二人が自らの意志で選び取った、永遠の絆の形だった。
「お前を離さない。死が二人を分かつその瞬間まで……いや、死んだ後も、私の魂はお前を追い続けるだろう」
「ええ。私も、ずっとあなたを追いかけます」
冬の夜の冷気さえ届かない、熱い誓いの夜。 二人の運命は、もう誰にも、運命という名の神様にさえも、引き裂くことはできないほど固く結ばれた。
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