第4話|初めての嫉妬

王宮の生活は、リナにとって豪華な迷宮に閉じ込められたようなものだった。 調合室を出て、中庭の薬草園へ向かうわずかな時間が、彼女にとって唯一、外の空気を吸える「自由」だった。


「リナ殿、その籠、お持ちしましょう」


声をかけてきたのは、王宮守備隊の若き騎士、カイルだった。彼はリナと同年代で、王宮の作法に戸惑う彼女に、いつも気さくに道を教えてくれる。


「あ、カイルさん。ありがとうございます。でも、これくらいなら自分でも……」


「いいえ、リナ殿は殿下の『宝物』ですからね。もしお怪我でもされたら、僕の首が飛んでしまいます」


カイルは爽やかに笑い、リナの腕から重い籠をひょいと持ち上げた。 村の幼馴染と話しているような、どこか懐かしく、安らぐひととき。リナはふっと表情を緩め、控えめな笑みを浮かべた。


「ふふ、大袈裟ですよ。でも、助かります。この根っこ、土がついていると意外と重くて」


「へえ、これが薬になるんですか? 驚いたな、ただの雑草に見えるのに」


二人は並んで歩き、他愛もない会話に花を咲かせた。リナの頬を撫でる風は心地よく、春の陽光が彼女の亜麻色の髪を柔らかく輝かせている。


だが、その平穏は、背後から放たれた極寒の殺気によって一瞬で凍りついた。


「――楽しそうだな」


低く、低く。地を這うような声。 リナの背筋に、氷の柱が突き立てられたような戦慄が走る。


振り返ると、そこにはアルフレートが立っていた。 背後には側近のセシルが青い顔をして控えている。アルフレートの瞳は、いつもリナに向ける甘い青ではなく、すべてを焼き尽くす冷徹な焔を宿していた。


「で、殿下……! 公務ではなかったのですか?」


「あまりに胸騒ぎがしてな。戻ってみれば、私の薬草師が、どこの馬の骨とも知れぬ男と見つめ合っている」


「……っ、そんなんじゃありません! 彼はカイルさん。荷物を運んでくださって……」


カイルは慌てて膝をついたが、アルフレートはその存在を無視し、大股でリナに近づくと、彼女の手首を乱暴に掴み上げた。


「殿下、痛いです……!」


「黙れ。……その男の顔を二度と見たくない。セシル、そいつを今すぐ私の視界から消せ。配置換えだ。北の果ての国境警備へ送れ」


「殿下! そんな、カイルさんは何も……!」


リナの叫びは届かなかった。アルフレートはリナを引きずるようにして、自分の執務室、さらにその奥にある自室へと連れ去った。


重厚な黒檀の扉が、凄まじい音を立てて閉まる。 部屋の中は、昼間だというのに厚いカーテンが引かれ、薄暗がりに彼の纏う白檀の香りが濃密に沈殿していた。


「何様のつもりだ、お前は」


壁際まで追い詰められ、アルフレートの両腕がリナを閉じ込める。壁と彼の広い胸板の間で、リナは呼吸することさえままならない。


「私の許可なく、男と笑うな。その声を、あのような端役のために使うな」


「……ひどいです。カイルさんは親切にしてくれただけなのに……」


リナの瞳に涙が溜まるのを見て、アルフレートはさらに激昂した。彼はリナの顎を指先で強く、食い込むほどに持ち上げる。


「他の男のために、私に逆らうのか? 私がどれほどお前を想っているか……この胸の中を裂いて見せてやりたいほどだ。お前が誰かに笑いかけるたび、私の心臓は嫉妬という猛毒に蝕まれるのだ」


彼の吐息が、リナの唇を掠める。熱い。森で出会ったあの日の熱病が、今の彼を支配していた。


「殿下……、苦しいです……」


「苦しければいい。私なしでは息もできないほど、お前を追い詰めたい。……いいか、リナ。お前の瞳、お前の唇、その柔らかな肌。すべて私だけのものだ。他の男を見るな。……二度と、私の理性を試すような真似はするな」


彼はリナの首筋に、牙を立てるような深い口づけを落とした。 「あ……っ……」 リナの口から漏れた小さな吐息を、彼は逃さず自分の口内で奪い取る。 強引で、痛いほどに切実な口づけ。それは「愛している」という甘い囁きよりも、もっと昏く、激しい「所有欲」の宣言だった。


彼の大きな手が、リナの腰を強く引き寄せる。リナは彼の軍服の冷たい感触と、その奥にある狂おしいほどの心臓の鼓動を感じていた。


「……私の名を呼べ」


唇が離れた瞬間、彼は懇願するように囁いた。冷徹王子の仮面は完全に剥がれ落ち、そこにあるのは、たった一人の女の愛を乞う、孤独な支配者の姿だった。


「アルフレート……様……」


「様はいらない。……もう一度」


「アルフレート……」


名前を呼んだ瞬間、彼の顔がリナの肩に埋められた。 「ああ、リナ。……殺したいほど愛おしい。お前をこのまま、誰の目にも触れない場所へ埋めてしまいたい」


その言葉に含まれた異常なほどの独占欲に、リナは恐怖を感じ、同時に、深い悦びに震えた。 自分のような平民の娘のために、一国の王子がここまで心を乱し、なりふり構わず求めてくる。その重すぎる愛が、リナの孤独だった魂を、逃げ場のない幸福で満たしていく。


「……アルフレート。私を、壊さないでください……」


リナが震える手で彼の背中に回すと、彼は満足げに、獣が獲物を確かめるような唸り声を漏らした。


「壊さない。……お前が私だけを見ている限りはな」


薄暗い部屋の中、二人の影が重なる。 窓の外の平穏な日常はもう遠い。 リナは知ってしまった。王子の「嫉妬」という名の炎が、自分たちの関係を、もう後戻りできない場所へと焼き払ってしまったことを。


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