第2話|突然の王宮召喚

あの日、森で男を見送ってから三日。リナの日常は、銀色の鎧に身を包んだ騎士たちの訪問によって、無残なほどあっけなく崩れ去った。


「リナ殿。アルフレート第一王子殿下のご命令である。直ちに王宮へ出頭されたし」


村人たちが遠巻きに固唾を呑んで見守る中、リナは古びた薬草籠を握りしめたまま、白亜の城へと連行された。


見上げるほど高い天井、磨き抜かれた大理石の床。歩くたびにコツコツと響く自分の安物の靴音が、場違いなほど虚しく響く。豪華なシャンデリアから降り注ぐ光は、平民の娘であるリナを射抜くように照らし出していた。


「ひどく緊張しているな」


重厚な扉が開かれた先。豪奢な執務机に座っていたのは、あの日の怪我人――ではなく、冷徹な威厳を纏った「王子」、アルフレートだった。


「……アルフレート、様……」


リナが震える声でその名を呼ぶと、側に控えていた側近のセシルが、たしなめるように咳払いをした。


「リナ殿。殿下に対して、そのようにお呼びするのは――」


「構わん。退がっていろ」


アルフレートの低く、地響きのような声が部屋を支配した。彼は立ち上がり、ゆっくりとリナへと歩み寄る。軍服の金飾りが擦れ、シャリ、と冷たい音を立てた。


彼はリナの目の前で足を止めると、細く震える彼女の顎を、手袋を嵌めた指先でくいと持ち上げた。


「……三日ぶりだな。私の薬草師」


鼻腔をくすぐるのは、森の泥の臭いではない。洗練された白檀の香香と、彼自身の体温が混ざり合った、高貴な香りがリナの思考を麻痺させる。


「なぜ、私がここに呼ばれたのでしょうか。私はただの村の薬師で……」


「理由は告げたはずだ。お前を、私の『専属薬師』に任命する。今日、この瞬間からな」


「専属……? ですが、王宮には私などよりずっと優れた医師や薬師が――」


「いらん。他の者の手など、私の体には触れさせたくない」


アルフレートはリナの頬を、まるで壊れやすい硝子細工でも扱うかのように、慈しむように撫でた。その指先の熱に、リナの心臓が警鐘を鳴らす。


「お前が森で言ったのだ。薬師にとっての報酬は、患者が生きていることだと。ならば、私の命をお前に預ける。お前が責任を持って、私の側で、私の健やかな生を守り続けろ」


「それは……あまりに強引です」


リナは潤んだ瞳で彼を見上げた。恐怖よりも、彼の瞳の奥に潜む「何か」に圧倒されていた。それは、獲物を逃さないと決めた捕食者の、静かな狂気にも似た情熱。


「強引? ああ、そうだろうな。私は一度欲しいと決めたものは、どんな手段を使っても手に入れる」


彼はリナの耳元に顔を寄せた。熱い吐息が耳朶をかすめ、リナの背筋を甘い戦慄が駆け抜ける。


「お前をあの森に置き去りにした三日間、私がどれほど苛立っていたか。他の誰かがお前に触れていないか、お前が私のことを忘れて笑っていないか……。その想像だけで、この城を焼き払いたい気分だった」


「……っ、何を……おっしゃって……」


「愛しているなどという生温い言葉では足りない。お前をこの城の、私の手の届く場所に閉じ込め、その瞳に私だけを映させたい。……嫌か?」


リナの唇が震える。 (嫌……だなんて、言えない) 彼の瞳は、冷徹な仮面の裏側で、泣き出しそうなほど切実に彼女を求めていたから。


「私は……身分も違いますし、何も持っていません」


「お前のその体ひとつあればいい。他は私がすべて与えてやる。衣装も、宝石も、地位も。……いや、何もいらないというなら、この部屋から一歩も出さずに飼い殺してもいいのだぞ?」


「殿下、脅しすぎです」


控えていたセシルが苦笑いしながら口を挟んだが、アルフレートはリナを見つめたまま動かなかった。


「返事は?」


逃げ場はなかった。背後にある扉は閉ざされ、目の前には、世界を統べるような強大な力を持つ男が、自分ひとりに執着して跪こうとしている。


「……私に、務まるでしょうか」


「務まらせる。お前が泣くなら私が拭い、お前が望むなら星さえも落としてやろう」


アルフレートはリナの手を取り、その掌に深く、刻印を刻むかのような熱い口づけを落とした。


「今日からお前は、私のものだ。……リナ」


リナの胸の中で、何かが音を立てて崩れ、新しい感情が芽生えていく。 それは、平穏な暮らしを失った絶望ではなく、この美しくも危うい「孤独な怪物」に必要とされてしまったことへの、抗いがたい幸福感だった。


王宮の高く閉ざされた窓から差し込む夕刻の光が、二人を黄金色に染め上げる。 リナは知る由もなかった。この「専属薬師」という名目が、彼女を世間の目から守り、同時に彼だけの愛の檻に閉じ込めるための、巧妙な罠であったことを。


「さあ、部屋へ案内しよう。……お前のための、最高に贅沢な檻へ」


アルフレートは満足げに目を細め、腰を抜かしそうなリナの腰を、当然のような顔で強く抱き寄せた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る