第4話紅灯街の針 ── 帰るべき食卓

​「おい、しっかり押さえておけ。暴れると針がズレる」

シアンは咥えていた煙草のようなスティックを地面に捨て、無造作に袖をまくり上げた。

​目の前には、呼吸も絶え絶えの姫。

その体は「金剛の毒」によって細胞レベルで破壊されかけていた。王宮の正規医師団が見れば、即座に「死亡診断書」を書くレベルだ。

​だが、シアンの目は違っていた。

彼はボロボロの医療鞄から、機械仕掛けのメスではなく、何本もの**「銀の長針」**を取り出した。それは、今のハイテク医療では時代遅れとされる、古の道具だった。

​「先生、それは……」

侍が声を上げようとするのを、シアンは手で制した。

「教科書通りの治療じゃ、この娘は助からん。だがな、生命力(ライフ)の流れってのは、配線図みたいに単純じゃねえんだよ」

​ヒュッ。

シアンの手が霞んだ瞬間、姫の首筋、胸元、そして黒く変色していた指先に、正確無比に針が打ち込まれていた。

それは医学というより、壊れた精密機械を直感で修理する職人の技に近かった。

​「……ぐ、う……!」

姫の喉が小さく鳴り、止まっていた血流が爆発的な勢いで巡り始める。

毒の黒い霧が、針を避けるように散っていく。

​「やってみな分からん、とは言ったが……よし、繋がった」

シアンの額に脂汗が滲む。

それは、科学の限界を超え、彼女自身の「生きたい」という意志を無理やり引っ張り上げる、魂の綱引きだった。

​数分後。

姫の頬に、微かだが確かな赤みが戻っていた。呼吸も穏やかになっている。

侍は信じられないものを見る目で、目の前の薄汚れた男を見上げた。

「あなたは……一体……」

​「ただのヤブ医者さ」

シアンは道具を乱雑に鞄に放り込むと、急にそわそわし始めた。

「よし、命の危機は脱した。あとはお前さんの愛で温めてやりな。……俺は帰るぞ」

​「帰る? まだ礼も……」

​「バカ野郎、時間がねえんだよ」

シアンは診療所の窓から見える夕日を睨みつけた。

「今日は妻のメイが『特製の煮物』を作って待ってるんだ。冷めたら味が落ちるし、何よりあいつが悲しむ」

​人類を救うような神業を見せた直後に、煮物の心配をする男。

侍は呆気にとられ、そして深く頭を下げた。

「……感謝します。この御恩は、必ず」

​「礼はいい。その娘が起きたら、美味い飯でも食わせてやんな」

シアンはひらひらと手を振り、ネオンが輝き始めた紅灯街の雑踏へと消えていった。

漂うのは、消毒液と、どこか懐かしい家庭の匂いだった。

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