中年冒険者、選ばない道を行く

冒険者ギルドの掲示板は、朝から騒がしかった。


 新しい依頼書が貼られるたびに人が集まり、報酬額と危険度を見比べては、誰が行くか、どの程度うまい話かを品定めする。

 剣の柄を叩きながら談笑する者、地図を広げて仲間と相談する者。

 若さと勢いが、空気そのものを押し上げていた。


 ハンスは、その輪に加わらない。


 掲示板の中央――討伐や探索依頼が並ぶ場所には目もくれず、端の方に貼られた紙へと視線を落とす。



「……旧坑道、か」


 かつて採掘に使われていた坑道。

 今は放棄され、街の外れで半ば忘れ去られている場所だ。


 依頼内容は単純だった。

 内部の状況確認。

 魔物が住み着いていないか、崩落の兆候がないかを見るだけ。


 報酬は安い。

 期限も緩い。

 実績にもならない。


 だからこそ、残っている。



「へえ、そんなの受けるやついるんだな」


 背後から、気の抜けた声がした。


 振り向くと、若い冒険者が二人。

 装備は新しく、動きも軽い。数をこなしている最中なのだろう、顔には自信があった。


「それ、金にならないだろ」


「時間の無駄じゃね?」


 ハンスは依頼書から目を離さず、ゆっくりと紙を剥がした。



「必要だから残ってる」


「は?」


「誰かがやらなきゃならねぇ仕事ってのは、たいていそうだ」


 若手の一人が肩をすくめる。



「俺たちはダンジョン行くんで」

「ランクも上げたいし」


「そうかい」


 それだけ言って、ハンスは受付に向かった。


 若手たちは背中を見送りながら、小さく笑っていたが、ハンスは気にしない。

 自分が何を選んだのかは、ちゃんと分かっている。


 旧坑道は、思った以上に静かだった。


 入り口から数歩進むと、外の音はすぐに消える。

 湿った空気。土と石の匂い。

 かつて人が行き交っていた痕跡が、今は朽ちかけたまま残っている。


 ハンスは松明を掲げ、足元を確かめながら進んだ。


 魔物はいない。

 だが、それで終わりではない。



「……」


 彼は立ち止まり、壁に手を当てる。

 指先に、わずかな違和感。


 表面は固い。だが、その奥が弱っている。


 視線を上げると、天井の一部に細かな亀裂が走っていた。

 見慣れていなければ、ただの影にしか見えない程度のものだ。



「放っときゃ、そのうち落ちるな」


 ハンスは無言で印を付け、進路を変更する。

 奥へ行けば行くほど、同じような箇所が増えていた。


 無理をすれば進める。

 だが、進む理由はない。


 確認は十分だ。

 危険はここにある――それが分かればいい。


 来た道を戻り、坑道を出る。


 空気が一気に軽くなった。



「……これでいい」


 討伐も戦果もない。

 だが、この坑道に誰かが無理に入って怪我をすることは、防げる。


 ギルドに戻ると、受付の職員が驚いた顔をした。



「もう戻られたんですか?」


「ああ。奥は危ない。補強か、封鎖した方がいい」


 それだけ告げ、手早く地図を渡す。


 職員は慌てて書き留め、深く頭を下げた。



「助かります」


 それ以上は求められない。

 それでいい。


 ギルドを出ると、ちょうど若手冒険者たちが戻ってくるところだった。

 装備には泥がつき、顔には疲労が見える。



「……あ」


 一人がハンスに気づき、気まずそうに目を逸らした。


 何かあったのだろう。

 だが、ハンスは聞かない。


 すれ違いざま、若手の一人がぽつりと言った。



「……ああいう仕事も、必要かもな」


 ハンスは振り返らず、手を軽く上げただけだった。




 家に戻ると、すでに夕方だった。


 扉を開けると、鍋の煮える音が聞こえる。



「おかえりなさい」


 アメリアが顔を出す。

 袖をまくり、少し汗をかいている。



「今日はどうでした?」


「いつも通りだ」


「そうですか」


 それ以上、深くは聞かない。


 鍋の中では、野菜が煮えていた。

 ごろっとした芋と人参。肉は入っていないが、香りは悪くない。



「地味な仕事でしたね」


 アメリアが、分かっているように言う。



「地味だ」


 ハンスは椅子に腰を下ろし、湯気を眺める。



「でも、必要な仕事です」


「ああ」


 短い返事。


 それだけで、会話は終わった。


 危険を選ばない。

 だが、逃げてもいない。


 選ばなかっただけだ。


 明日も、同じように生きていく。

 それが、今のハンスの冒険だった。

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